幸せのタネ
春とは名ばかりの2月。
「幸せの種」をもらった。
会社の先輩の結婚式で余興の景品として、幸せのお裾分けという含みの品。
シャレとはいえ少々辛い。ブーケよりはマシだけど。
2年間の想いにエンドマークがついたのでヤケ酒を流し込んだ帰り、オシャレな小袋からタネをだしてアパートの植え込みに捨てた。
桜の開花が遅い4月。
新しいプロジェクトがはじまり、残業が続く。
忙しい方がいい。
気がまぎれる。
不安定な気候の5月。
連休も出社
先輩が他部署で幸いだった。
たまに廊下ですれ違うだけでも、とても胸が痛むから。
後半2週間は、会社に泊まり込みとなる。
同僚からついに女を捨てたな、と言われた。
頑張りすぎると身体を壊すぞ、とも。
余計なお世話。
毎日雨降りの6月半ば。
傘に雨音を受けながら帰宅すると、入口の植え込みに見慣れない植物が生えていた。「幸せの種」が芽吹いた?
新しい緑に願いを託したくなる。
太陽が解き放たれる7月。
「幸せの種」の花が咲いた。
アマリリスやチューリップに似た、淡いピンク色の大ぶりの花。
驚いたことに花の中から10㎝にも満たない小さな女の子が出てきた。
にっこり可愛く笑ったので、思わず部屋に連れ帰ってしまった。
童話風に「幸せ姫」と名づけた。
入道雲が見事な8月。
幸せ姫は話しかけると花びらの重なるような声で応える。
言葉は話せないよう。
大きさは、初めて会ったときからあまり変わらず10cmほど。
どういう風になっているのかピンク色の花びらを身にまとっていて、一見ドレスを着たお姫様のよう。
水があればいいらしく、世話は簡単。家に帰るのが楽しみになる。
プロジェクトにトラブル発生。対応にてこずる。
女だからと甘く見られているのかも。
ここががんばりどころ。
わたしをからかってばかりの同僚が、意外にも手伝ってくれて助かる。
夏が別れを惜しむ9月。
幸せ姫は甘い香りを漂わせるようになった。
雑誌のガーデニングの写真に興味を持ったので、花の本を何冊かプレゼントした。
ひとりの時間を、本を眺めて過ごしているよう。
仕事上のトラブルは収束、ようやく軌道にのる。
空が透き通る10月。
幸せ姫の香りが増した。わたしに香りが移るほどらしい。
会社でいつもの同僚に、何の香水をつけているのかしつこく聞かれた。
面倒くさいヤツだけど、今回は「すごくいい匂い」と言われたので、ちょっとうれしいような。
ただ、「匂い」じゃなくて「香り」って言ってほしかったな。
イベントでもらったコスモスの花束を持ちかえると、
幸せ姫は身体をふるわせて喜んだ。時々花を買って帰るようにした。
トラブルへの対応が評価されてグループリーダーに昇格。
月と星が輝きだす11月。
もう大丈夫。
先輩が幸せそうに奥さんを自慢するのだって、笑って聞いていられる。
同僚がわたしをからかうのも、2月の2次会の時の飲みっぷりをもう一度見たいという理由で飲みに誘うのも、気にならなくなってきた。
その夜、小さな花束をたずさえ、かわいい同居人が喜ぶ様を思いながら部屋のドアをあけると、幸せ姫が床に倒れていた。
わたしに気づくと小さな少女はわずかに微笑みを浮かべた。
けれど、二度と立ち上がることなく、花びらが散るように、輪郭を崩して消えた。
あとには甘い香りだけが残った。
新しい年への胎動を感じる12月。
花屋を見かけると店先を覗いてしまう。
「何かお探しですか?」
振り向くと、小柄な女性の笑顔があった。
幸せ姫が生まれる種を探している、とは言えない。
普通なら信じられない出来事だし、一方で失恋と仕事のストレスが創りだした幻だったのでは、と疑う気持ちもあったから。
ためらうわたしに、
「あなたから漂うその香り……。
小さな花の娘を育てませんでしたか?」
女性の意外な言葉に、感情があふれ出した。
「ええ! 『幸せの種』の花から小さな女の子が生まれて……。
家に帰れば笑って迎えてくれて、一緒に笑って、雑誌を眺めて、お花をプレゼントすれば喜んでくれて……、とても楽しかった。
わたし、あのコがいて、毎日が幸せだった。
でも先月消えてしまったんです。
わたし、もっと気をつけてあげればよかった」
一気に吐き出すと、涙が頬をつたった。
幸せ姫。
ずっと家の中にいて、あなたは幸せだったのかしら?
「幸せ姫とはよい名をつけて頂きました。
花の娘は短命な精霊です。
あなたに香りが移っているということは、花の娘が幸せに寿命を全うした証。
大事にしてくださってありがとう」
そう言う女性の顔が「幸せ姫」に似ていると思ったら、また泣けた。
ハンドバッグをまさぐってハンカチを出し、涙をぬぐいながら顔を上げると、エプロン姿の男の人が立っていた。
「……今、わたしと話していたお店の方は?」
「この店はわたしだけですし、お客様は今入っていらっしゃったばかりですが?」
男の人はけげんな顔をした。
何が起こったのかわからなかった。
女性がいた気配は全然なく、わたしは店先でハンカチを持って佇んでいた。
あの人は誰だったの? 一瞬の夢?
夢でもなんでもよかった。 幸せ姫が、幸せだったってわかったから。
ありがとうを言いたいのはわたし。
辛い日々の中でも幸せ姫の笑顔が支えになってくれた。
誰かの笑顔があんなにもうれしいなんて。
「何をお探しですか?」
店員の声がけに、
「幸せの種を探してました。
でも、どこにあるかわかったので大丈夫です」
不思議そうな男性店員を残し、わたしは街に足を踏み出す。
幸せ姫。
花から生まれた小さな女の子には、もう2度と会えない気がする。
でもいい。
幸せ姫はわたしにとって、あのコだけ。他の誰も代わりにならない。
それに……。
幸せは、何かを大切に思うことから始まるってこと、わかったから。
今度は別のタネを探すよ、幸せ姫。
そしてね、大事に大事に育てるつもり。
さて、明日も仕事。
同僚からの飲みの誘い、たまには受けてみるかな。
<了>
時々、思いもよらないところに思いもよらない花が咲いていてびっくりすることがあります。
我が家では、前に植えていたものが枯れ、処分するか悩んでいた鉢にいつのまにかゼラニウムが育っていました。
たしかに他にゼラニウムの鉢はあるのですが、他のところに苗を生やすなんてことがなかったので、どうして空いた鉢を見つけ、そこに種を飛ばしたのか不思議です。
幸せのタネも、そんな風にいつの間にか必要な人のところに飛んでくるものなのかもしれません。
さて、このところ毎日連続投稿していましたが、この作品でいったんおやすみです。
また年内中、できればもう少し前倒しで何かできればと思っています。
では、その時また♪