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歪みの果て


 その時、千早が呟いた。


「だとしたら――若葉ちゃんは約束の場所にいるかもしれない」


 宗谷は、千早の方を向いた。瑞穂には千早の言葉は聞こえないが、宗谷につられて千早の方を見る。


「さっき瑞穂ちゃんの言ったことが正しいなら――若葉ちゃんの想いは失われていないのなら――あの約束が記憶ではなく、想いになっているとしたら――若葉ちゃんは、約束の場所にいる」


 時計は、夜の九時を過ぎようとしていた。


   ●●

 

 約束の場所に、今里桜花は立っていた。


 恐らく彼女は、なぜ自分がここに立っているのかわからないのだろう。不安げに、行き去っている人々を見つめている。


「ありがとう──ございました」


 千早は、宗谷に頭を下げた。約束を果たすこと、即ちそれは、千早の消滅を意味していた。


「待って、千早ちゃん」


 宗谷は千早を呼び止める。


「どうしても――行くの? できれば、僕には行って欲しくない」


「ごめんなさい。私も、宗谷さんとは別れたくない。それでも――これが、私が存在している理由ですから――」


 千早は、桜花のもとへと歩いていく。


 そして、桜花は千早のことに気づいたようだった。見えるはずはないが、“歪みの能力者”故か、ほんの僅かながらも千早の気配を感じ取っているかのようだった。


 千早は、桜花にゆっくりと抱きついた。


「ちーちゃん?」


「遅くなって――ごめんね。本当に、ごめんね」


   ●●


「若葉ちゃん――あなた、すごく空っぽだ――まるで私が入れそうなくらいに――」


 千早の残留思念は桜花の中へと入っていく。かつて儚い沼の虚空と呼ばれた黒く濃い歪みが入り込んでいた、今となっては今里桜花の空っぽの部分。


「ちーちゃん――?」


 桜花の中に入ることで、桜花は千早を認識した。


 しかし約束を果たしたことで、千早は消えそうになっていた。


「やだ――せっかく会えたのに――ずっと――“ずっとこのままでいたい”」


 千早を中に宿した桜花。溶けていく。千早と一つになったまま、歪みの中に身を委ねていく。


「それなら――あたしのからだを、ちーちゃんにあげるね」


「それなら――あたしのこころを、わかばちゃんにあげるね」


 身体を持ち心が空っぽの少女と、身体を喪い心だけの少女。


 “抱き合う二人はいつしか、ひとつになろうとしていた”


「操り人の翼、歪みの無に生やす。真実を包み隠す四肢。黄泉へと繋がる歯牙。その虚はなにものでもなく。意味もなく。自我もなく。形もなく。空ゆえに渇き、成れの果ての渦を巻き掻き回し、声ではない吐息と共に。儚い沼の虚空は消える――」


「上手く——混ざれないね——」

 千早は言う。


「何か、心残りがあるんじゃないかな——」


 千早は綯交ぜになりつつある中で、桜花の黒い芯のようなものに触れ、そして悟った。


「そっか、江坂くんは、若葉ちゃんが——」


「江坂くんは試験のあと、もうおかしくなっていた——、そのうち誰かを傷つけるに違いなかった。そんな江坂くんを見たくはなかった。だから、あたしは彼を殺した。彼が寝ている隙に、彼の首を締めて殺した。」


「若葉ちゃんは、江坂くんに謝りたいのかな?」


「たぶん」


「あそこに、江坂くんが……いるね」


 もはや半分ほど混ざりつつあった。ふと横を見ると、道路を隔てた先に宗谷の姿があった


 彼女にはそれが江坂に見えた。


「ごめん……ごめんなさい……江坂くん……」


 そこで2人の少女の心残りは消え去った。


 “歪みの能力者”今里桜花が、その能力によって新たに作り出した穢れのない“歪み”は、2人の身体と心を掻き回し、一つに練り上げていく。


   ●●


 少女は目覚めた。


 混ざり合い、今里桜花の身体を持った少女はしかし、その中身は何者でもなかった。


 過去の記憶は、苦痛は、混ざりすぎてその欠片も残ってはいなかった。


 それは小さな少女だった。

 今里桜花の身体と羽衣千早の心が“能力”による歪みによって混ざりあった存在だった。


 少女は周囲を見回して、そして見つけた。


 見覚えがあるような無いような、


 優しい眼差しの少年と青い髪をした小さな少女。


 二人の少年と少女は近づいてきた、そして言う。


「はじめまして」


 手を差し伸べて、儚い少女の白い遺憶に。



 ~ 終 ~

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