ササ
───遡ること50年前。
「なんだ、またこんなところでサボってたのか?」
視界に映るのは、女性。短い髪をかきあげてこちらを見下ろす姿に、太陽の光とはまた違った眩しさを覚えた。
「サボってなんかないっすよ、休憩っす。きゅーけい」
背中に感じる芝生の青臭さを勢いよく吸って、目を閉じる。こうして木陰で寝そべる度に探しにくる彼女は、本当に世話好きなのだと思う。
「全くお前というやつは。任務の度に失踪したと報告が上がっているのにも関わらず、懲りずにまたサボって……」
「まあまあ。ササ班長もどうです? なかなか気持ちいいんすよ?」
ぽんぽん、と自分の横の芝生を叩く。その誘惑に負けたのか、ササ班長も呆れた様子で腰掛けた。
「……確かに。ここはいい眺めだな」
「でしょ?」
桶長洲盆地が一望出来る高台。そこに生えている一本の大木の木陰が一番のお気に入りだった。
青い空と、一面緑に覆われた盆地を眺めていると自分だけの世界に浸ることができて、嫌なことも全て吹き飛んでしまう。
「……ササ班長。遠征、いっちゃうんすね」
「ああ。まあ、な。桶長洲にはショートが少ない。ササ班も人数が増えてきた頃合いだ。ここらで遠征組と残留組を決めるべきだった」
「でも俺、嫌っすよ。ササ班長みたく纏めあげる自信ないし……」
「別に私のようにしろとは言っていないさ。お前はお前らしくすればいい」
盆地を眺めているササのその横顔を見て、胸に僅かなわだかまりを覚える。優しい言葉をかけられるのはあまり嬉しくない。
ササの横にいる今の時間がもっと続けばいい、副班長なんて肩書きなど捨てたい。そんな想いを口に出すことも出来ずに、遠征日前日に逃げ出す始末だった。
「………ヨゼフ」
「なんです?」
「流水町の長である私の父、私の姉。それと………姉の養子であるジョンのことを宜しく頼むぞ」
その声色には、なにか覚悟めいたものが感じられて思わず立ち上がった。今度は俺が見下ろす形になって、互いに目を合わせる。
「三人だけでいいんすか?」
「うん?」
「せっかくなら、桶長洲盆地にいる流水町の皆を守りますよ!!」
ササは一瞬驚いた顔をしたが、その後すぐに、普段なかなか見られないような眩しい笑顔を見せた。
「そうか、なら任せよう」
その笑顔にトキメキを覚えつつ、ジョンという名前を聞いて忘れていたことを思い出す。
「あ、そういえばジョンから稽古頼まれてたんだった!」
「………対策軍に入るつもりなんだろうか」
ササは微妙な笑みを浮かべ、心配そうに唸る。
「そんなに過保護だと嫌われちゃうっすよ? それにもうジョンだって十歳なんすから、護身のためにも強くなることは悪いことじゃないと思うんすけどねー」
確かジョンとの稽古はあともう半刻後のはず。高台から桶長洲の盆地を見下ろして、腰に手を当てる。
「でも……今のプラグって使い勝手悪いんすよね……寿命削るし、無駄に威力高いし」
手がちょうど腰に下げた刀の鍔に当たる。
「上層部も考えてはいるが、数十年は変わらないだろうな……今まで何の役にも立たなかったコンセントがやっとショートとの戦闘において役立つことが判明したんだ。一人の命で大勢を助けられるなら安いものだ」
「……そういう考え、俺は嫌いなんすけどね」
◇
日の落ちかけた夕暮れ、もうすぐ闇が迫ってくるというとき、流水町に大量のショートの群れが襲いかかってきた。
町に響くのは泣き声と悲鳴。誰か助けて、と嘆く声ばかりであった。
「ヨゼフ、町民たちは!?」
「盆地の外にショートが居るせいで、避難が滞っています!」
「そんな……」
桶長洲盆地の外側からショートの襲撃。街の人間の逃げ道はもう残されていなかった。
「パラボネラ植物さえ植生すれば……!!」
「パラボネラ……」
悔しげに唇を噛み締めショートの群れを睨みつけるヨゼフの隣で、ササは呟く。
桶長洲盆地にも、その外側の流水大地にもパラボネラ植物は植生できない。それはもとから分かっていたことだが、ササを含め、班の全員がもどかしく感じていたことであった。
そんな矢先にこの襲撃である。
ササ班だけではこの数のショートを相手することは出来ない。
ショートを倒しきるより前に命のプラグで隊員の命が尽きる方が早いからだ。他の班の応援が間に合うまで耐えられるかは分からない。
つまり、流水町の民を守ることができない──絶体絶命の危機ということだ。
しかし、ササは自身の命のプラグである、軍旗を握り直した。
「パラボネラが植生すれば、あるいは……」
「ササ班長……? なにを……」
ササの様子がいつもと違うことに気付いたヨゼフは構えていた刀を鞘に収め、歩み寄る。
だがササの手が突き出され、近づくことを拒否される。
「───私の命で、流水大地を潤す」
「なっ」
次の瞬間、ササは手元にある軍旗の先を自身の腹に突き刺した。
これには堪らず、ヨゼフがササのもとへ駆け寄る。
「何してんすか!! ササ班ちょ………う……」
すぐさま止血しようとササの腹に手を当てようとして、その血が地面に落ちることなく軍旗を伝っていくのが分かった。
思わずヨゼフはその血の伝う様子を眺め、段々と真っ白な軍旗が赤に染まっていく様に言葉を失った。
「桶長洲盆地の……町の皆は何処にいる……?」
「ひ、避難できるように、盆地の入口に……ってまさかそこまで行くんすか!?」
「そうだ。私が道を開く。皆を逃がす準備をするんだ……!」
◇
「お母さん……お母さん……!!」
「やめろジョン!! 逃げるんだ!!」
「嫌だ……っ、あいつ、僕の……お母さんを……っ!!」
ヨゼフは暴れるジョンを抱きかかえ、ショートの群れから離れるために桶長洲盆地の入口へと走り出す。
ジョンはずっと、お母さん──ササの姉である松を殺した相手に向かって叫び続けているが、それを許容するほどの余裕はなかった。
ササが命懸けでショートを食い止め、町の人間の逃げ道を切り開かんと自分を傷つけた。
「いいから言うこと聞けよ……!! 松さんだってジョンを守るために体張ったんだからよ!!」
「でも……っ、他の皆だって捕まって……傷だってつけることが出来たんだ……っ! 僕にだって倒せるよ……!」
「馬鹿野郎!」
ヨゼフはジョンの頬を強く叩いた。
「俺でも太刀打ちできない相手だぞ!? お前なんかがどうにかできるわけ、ないだろ!!」
「っ………」
その言葉を聞いてやっと、ジョンは暴れるのを止めた。
それと同時に、走っていたヨゼフの視界に戦闘中のササの姿が映る。
「ササ班長! もう町には誰もいないっす!」
「! ……ヨゼフさん? なにを言って……」
ジョンは後ろ向きに抱えあげられながら、今まで走ってきた道を見る。
ショートに捕まったからといって、まだ死んでいない人だって町に残っているはずだ。
だが、ヨゼフの足は止まらない。そのヨゼフに気づいたのか、ササがヨゼフの方へと近づいてくる。
「そうか、ではジョンを頼む」
「それなんすけど……」
二人の距離がすれ違うほどにまでに近づいた瞬間、ヨゼフは鞘にしまったままの刀をササに押し付けた。
「せめて俺のプラグを持ってってください。なんの役にも立たねぇっすけど、一応」
「……ありがとう」
ササは血で染まった軍旗を右手に、貰った刀を腰にさし、ヨゼフに抱えあげられたままのジョンの頭を撫でる。
「ジョン……すまない。辛い思いをさせてしまって」
「なに……? ササ叔母ちゃん、なにするの…?」
その問いに答えることなく、ササはヨゼフとすれ違う形で桶長洲盆地の入口に立つ。
桶長洲盆地と外との境となる場所で、ササは赤色の軍旗を地面に突き立てた。
「これで……町の皆を逃がすことができる」
ササはヨゼフとジョンの他に、なんとかショートの猛攻から逃れた人々を見る。そこに町の長と姉の姿はない。
「──これから私は命をかけて盆地の外にいるショートを盆地内に閉じ込める!」
その言葉で人々が一斉にざわつく。「命を?」「やめてください」そういった言葉が飛び交う中、ササの眼差しに迷いはなかった。
「その間、盆地の外に逃げ、そこで暮らして欲しい」
その真摯な姿に、文句や反対意見を言う者はいない。ササの必死な願いの最中であっても、既に彼らはショートに取り囲まれていた。命を代償にした奇跡でも起きなければ、生き残る術はない。
だが、全員が全員、ササに生贄になって欲しい訳ではなかった。
町が出来た頃からずっとお世話になっていた者や、新しく町に引っ越してきた者であってもササに恩義を感じない者など居なかった。
──だからこそ、誰もササを止められない。
残った者の、覚悟を決めた目を見てササは頷き、背を向けた。
「己の資質たる理よ、我が命をもってその偉大な力を現せ……!」
ヨゼフはそのササの後ろ姿を見つめる。これが一生の別れだとしたら、何か伝えなければいけない。
そう思いつつ、話しかけることで心残りができそうな気がして、ヨゼフはただ、ササの背中に手を当てた。
「獣の檻!!」
その声に呼応するように、ササの頬についた擦り傷や、軍旗を突き刺した腹から血が流れ出し軍旗へと吸い込まれていく。
そして町の住民を取り囲んでいたショートの足元から芽が出始め、あたりいっぱいにパラボネラの香りがただよう。
「パラボネラの芽だ……!!」
「今だ! これを辿って脱出するぞ!」
パラボネラの香りに刺激され、犬型のショートは一瞬たじろぎ、次の瞬間には住民を避けて盆地の中へと走り出す。
それを好機に、住民達はパラボネラの芽が出た場所を辿りながら盆地から離れていく。
「後は、頼む………ヨゼフ。ここでお別れだ」
ササの背中に手を当てていたヨゼフは、彼女の体が今にも崩れそうなのを察知した。
「本当に……これで良かったんすか」
「ああ」
「桶長洲盆地にショートを閉じ込めて、俺らでさっさと逃げろって?」
「ああ」
「それで、ササ班長は、どうなるんすか」
ぽろぽろと、ササの頬が剥がれ落ちるのがヨゼフの目に映った。
聞かなくとも分かることだったかもしれない、と後悔さえした。
それでもササはヨゼフの方へと首だけで振り返ると、穏やかに微笑む。
「───私は、ここで盆地と生きる」
そしてその言葉を最後にササは灰色の塵となり、ヨゼフの足元に散らばった。
ヨゼフはその塵の上で、静かに嗚咽を殺し涙を流す。
───密かに恋をしていた彼女に、想いを伝えられぬまま。




