運命の導き手
「何故、戻ってきた……!?」
目の前で胴体を貫かれた少年をなんとか両手で受け止め、ファザーは叫ぶ。怒りと驚愕の混ざりあった眼差しの先で、細目の男性がにこやかに笑う。
「戻ってきた? 八て、おかしなことを言いますね」
ファザーはぎり、と歯ぎしりをしてフォボスを睨みつける。
「……お前は確かに、その足で屋敷を出たはずだ……!! それでもここに来たということは私にトドメでも刺しにしたのか!?」
「あなたに?」
フォボスはキョトンとした表情で首を傾げ、細い目を少しだけ見開く。ファザーの唾を飲み込む音がその場で大きく響けば、フォボスは噴き出す。
「フッ……ア、ハハハハハハハ!!」
「!?」
甲高い笑い声が廊下で反響し、屋敷を燃やし続ける炎が勢いを増す。それでもなお火事の元凶は腹を抱えて、血だらけの腕でファザーを指さす。
「ハハハハハ……ッ、あなたにそこまでの価値があるとでも思ったんですか!?」
「っ、ならば、なぜここに来た!?」
「ハッ、だぁからここに来たんじゃなくて」
フォボスは空気に触れて固まりかけた血液を舐めとる。
「───最初からここであなた達をずっと観察してたんですよ?」
ファザーは目を見開く。「最初から」の最初がいつ頃からなのか、記憶を辿ろうとして頭を巡らす。
「………な、んのために」
フォボスはファザーに価値などないと言い放った。ならば観察する必要はないはずだ。それでもここにいるということは───
ファザーは受け止めた少年を強く抱きしめる。背中側から腹部に向かってぽっかりと空いた穴と、そこから溢れ出る血と内臓がこれ以上出ないように自分の手と身体で抑え込む。
「……っ」
だが、抱きしめている身体から温もりが徐々に引いていくのが分かった。
「それハもちろん! 実験してみたいことがあったのですよ!」
だが、深刻そうな表情を浮かべるファザーとは対照的に、にこやかな笑顔で手を合わせるフォボス。そんな彼の後ろ側に奇妙な物が見えた。
「なにを、するつもりだ」
「ちょっとした実験です。どうやらその少年は相当しブといようでしたので……やはり錯乱させる程度だと直ぐに正気に戻ってしまいましたから」
「?」
いまいち要領の掴めないフォボスの言葉を訝しむ。
───錯乱?
階下から微かに聞こえてきた戦闘音と、その階下から来た少年の、軽傷とは呼べない傷と何か関連があるのか。
───いや、それよりも。
ファザーはさっきから、フォボスの後ろで蠢く大きな赤い固まりがどうも気になっていた。ドクン、と心臓の様に鼓動するその見た目は、どうしたって不気味でならない。
そのファザーの視線に気づいたフォボスはにたりとした表情を浮かべ、背後に視線を向ける。
「ああ、これですか? 気になりますよね」
先程からずっと会話の成り立たなかった筈が、急に心の中を見透かされたように語りかけられ、ファザーは肩を強ばらせる。
しかしフォボスはまるでサプライズのためにプレゼントを隠す子供のように、興奮した顔をファザーに向ける。
「実はこれ、生きているんですよ」
「………」
「ホネも皮も脳もないんですけど、ヒトツだけ得意なことがあってですね」
───嫌な、予感がする。
フォボスがゆっくりとその奇妙な生き物を見せつけるように体をずらす。すると、表面にびっしりと這うような脈とその脈を動かすための赤い筋肉が見え始め、薄く透けるようなその肉の中に、何かがあるように見えた。
まるで人形のようで、様々な髪色をした──
そこまで考えて、ファザーの思考が止まる。
「中に入れた者達を、ゆっくりと溶かしていって養ブンにすることで生き長らえるそうですよ」
「せっかくなので、中に入れてみました」
「なんだと思います?」
───お前の子供達だよ
「っ……、ぁ、あぁ………、お前は……っ、なんて、こと、を!!」
「ア、ハハハハハッ!! そう、そのハンノウですよ!! ヒトはなんて面白いんでしょう!! いくらやってもこれバカリはたまらない!!」
心底おかしいように笑い続けるフォボスが理解出来ず、ファザーは泣きそうになる己の心を押さえつける。そして、今も自分の横でぐったりとしている赤毛の少年──流星の頭を掴み自分の影に隠す。
まさか、この子が目的で来たのか──?
「良いハンノウを見せて貰いました……ボクは満足です。でハ、あちらのヘヤでゆっくりとあなたの子供達を観察させて貰いますね」
「っ!? なぜ、そこで!?」
「………それハ言えませんが」
フォボスは細い目をファザーではなく、ファザーが隠した流星へと向けられた。
「ボクがこの屋敷に留まるための人質──でどうでしょう? その子だけハ、この中に入れないであげますよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「──!! ──星!! 流星!!」
「っ……? ファザー……?」
「起きたか!!」
目を擦り、眠たげに瞼を上げる。暖炉の裏のスイッチを押してから記憶がない流星は、辺りを見回す。
屋敷の廊下で、ファザーが自分の肩を掴んでいるのが分かったが、どうして自分がここに居るのかが分からなかった。
「流星……!! 頼みを聞いてくれ!!」
「たのみ……?」
ファザーは頭から血を流していて痛そうだった。けれど、今は救急箱を取ってこれるような状況じゃないのは分かっている。
流星は息苦しさをなんとか押さえ込んで、頷く。
「僕に出来ることなら」
「……流星。以前私が言っていたことを覚えているな?」
「っ……ファザー、待ってそれは」
ファザーの言葉を聞いて、流星の顔色が変わる。頼みは頼みでも、ファザーがこれから言うであろう頼みは一番聞きたくないことだと気づいたからだ。
懇願するように流星はファザーの服を掴み、首を横に振る。
「だ、ダメだよ。だってまだ見つかってない。そうでしょ?」
「………いいや」
「だって、だって僕、嫌だよ…!! まだ皆……ファザーと一緒に居たいのに!!」
「流星」
俯いたまま涙ぐむ流星の肩を掴む。肩に触れてもなお首を横に振り続ける流星に、ファザーは体を引き寄せ抱きしめる。
「っ、ファザー……?」
「その皆が、死んでしまうかもしれないのだ」
「……っ!! っだ、誰に…!? まさかあそこにいる……!?」
流星はファザーに身を任せていた体を引き起こし、背後へと目を光らせる。流星の目には赤い色をした気配が映り込み、同時にその気配の近くに子供達の気配もある事に気づく。
「どうして……だってアイツは屋敷を出ていったのに……」
「流星、お前の目にはアイツの気配が見えているのだろう? けれど、アイツは……ずっと私達の傍に居たと言っていた。見えていたか?」
「……っ」
屋敷内のスプリンクラーを起動させファザーの元に向かう途中で、ショートの気配が屋敷から居なくなったことを確認したはずだ。その後ファザーの元に来た時には酸素不足でしばらくぐったりとしてしまったが、ショートの気配を見たときは正気だった。
「僕の目が、間違えた…?」
「いや、おそらく逆だ。向こうが上手だったのだろう」
不安げに唇を震わせ、「自分のせいだ。自分のせいで皆が」とぶつぶつ呟く流星にファザーは再び力強く肩を掴む。
「だからこそだ。流星、本当は分かっているんだろう」
「!!」
「代々、ウィクリフ家は赤髪と親和性が高い。元はといえばフォボスの襲来もそれが元凶だ。ならば流星、お前は………」
流星は下唇を噛み締め、泣きそうになる表情を抑えた。そして膜の張った瞳を、白く輝く気配を纏った人物へと向ける。
「もう、見つけているんだろう?」
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普通の人は灰色に、自分の敵は赤色に。流星はそうやって人を見分けていた。赤色には近付かないように。そう生きてきた流星は、ファザーに引き取られてからある一言を告げられた。
"気配が白く見える人が居たら教えて欲しい"
流星は生きてきて今まで一度も気配が白く見える人物には会ったことがなかった。自分にそう言ってきたファザー以外には。
詳しく話を聞くと、ファザーは赤髪の少年を保護する際、いつもその言葉を告げるようだった。
『灰色は普通で、赤色は危険で、白色はどういう意味なの?』
『数年前まで居た赤髪の子は、人生を変えられた存在だと言っていた』
『人生を?』
『私は、そこでこう定義した』
───自らを運命へと導く存在だと。
『だから、頼みがあるのだ』
『? 僕にできることならなんでもやるよ?』
『運命へと導く存在が現れたとき、流星がウィクリフ家を継いで欲しい』
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「どうして……どうして、"ウィクリフ家を継いで欲しい"なんて……ファザーは僕を運命へと導いてくれるんでしょ……?」
「だからこそだ。今日が、その運命の日なのかもしれない」
ファザーにしがみつく流星は、決してどこにも行かせないように強く強く握りしめる。しかし、ファザーはそんな流星に一切触れない。
「なんで、なんでファザーが行かなきゃいけないの……? そんなの、他の人に……」
「私は、ウィクリフ家の生き残りだ。母も、叔母も、父も、祖父も、従姉妹でさえフォボスに根絶やしにされた」
「なら、なおさら……!!」
ファザーは、ヒールで治りきった足を摩る。
「一矢報いなければ、ならない」
「!!」
子供達の命が徐々に削られている中、のうのうと逃げ出すことは出来ない。一矢報いたいと思っていた流星は、ファザーに先にその台詞を言われ口を閉ざす。
「私にとって君達は、私の生きる理由だ」
「僕達にとっても、同じだよ」
「………そう言われると、命を軽く捨てる訳にはいかなくなるな」
大丈夫だ、と言ってファザーは流星を身体から引き離し立ち上がる。そして折れた十字剣の刃に手を添えた。
「なにも無策で行く訳では無い」
退軍時の証として身につけていた十字剣のプラグ。今の隊員には許されていない禁忌を犯すことのできるプラグでもある。
刃に添えた手から血が滴り落ち、十字剣へと吸い込まれていく。
「──許してくれ、母上」
吸い込まれた血液が十字剣を巡り、まるで生きているように拍動を繰り返す。そうして出来たのは、折れたはずの刀身が鋭く蘇り、柄がファザーの手と同化した─────
「命のプラグ」




