愛情の香り
───赤い髪が鏡に映るたび、自分を殺したくなった。
母親に捨てられ奴隷としての人生を送ることになった少年を初めに買ったのは、コレクターの貴族だった。
少年は高価な服を着せられ、鏡の前で化粧をほどこされた。九歳の少年は、唯一の家族である母親に売り飛ばされたことにひどくショックを受け、何をされても反抗する気すらなかった。
しかし、美しい人形のように着飾られた少年の瞳に、幸せそうな表情を浮かべる貴族が入り込んだ瞬間怒りの感情が沸き起こり、少年はその場でその貴族を殴り飛ばした。
コレクターはそのことを聞いて、手に余ると判断し少年を売りに出した。
───赤い髪が鏡に映るたび、自分を殺したくなった。
次に少年を買ったのは、嗜虐心のある準貴族だった。
買われた途端、地下室に閉じ込められあらゆる手段をもって暴力をふるわれた。ときには水に沈められ、ときには火で炙られた。何故だか火で炙られたときだけは怪我を負うことがなかった。
そうして十一歳になるまで地下室で過ごした少年はいつしか脱出する術を手に入れ、念入りな計画のもと地下室から脱出することに成功した。
布で身を隠し、夜の街を歩く少年はふとショーウィンドウに映る自分の赤い髪を見て、下唇を噛んだ。
───赤い髪が鏡に映るたび、自分を殺したくなった。
仮初の自由を手に入れた少年に手を差し伸べてきたのは、教会のシスターだった。
食べ物を得られず、安心できるような居場所すらなかった少年にとってそれは一筋の光だった。
その教会は、少年のような世の中から見離された子供を保護するために設立されたらしく、少年の他にも赤髪を持つ人や獣人、身体的欠陥を持つ人が大勢いた。
様々な事情を抱えた人々に出会ったことで、少年は少しだけ人生を前向きに考えられるようになった。
引き取られて数日、少年は何故赤髪が迫害されるのかを知った。ショートという化け物が赤い毛先を持っているせいで、赤髪の人間がそのショートの血縁ではないかと噂されているらしいのだ。
それに加えて元々赤髪の人間には、他の人間にはない能力が備わっているらしい。
少年は貴族の所から逃げ出したとき、ふと目の端に映った赤い色を不気味に思い、それを避けながら街を歩いていた。
もしかするとあれは貴族の雇った追手だったのかもしれない。
二週間程その教会で過ごしていた少年は、寝静まった夜にふと目が覚めた。その日は妙に寝つきが悪く、水を飲もうと少年は子供達と一緒に寝ていた部屋を出た。
廊下を歩いていくと、明かりがついている部屋が一つだけあった。教会の大人達がいるのかなと思い、引き寄せられるようにその部屋の扉に耳を寄せる。
──子供達はみんな寝たかね。
──ええ、ぐっすりと。
──それで人数はどのくらいだったかな。
──今月で十五人です。
──これ以上は厳しくなるな。
なにやら大人の事情について話し合っているらしく、まだ十一歳の少年には理解できない言葉もあった。
──今日は夜泣きする子もいない。安心できるな。
──やっとゆっくり休めますね。
──ここに来た時は大泣きされて驚いたものだ。
大人達は笑いながら会話していた。少年はそのやり取りに安心感を覚え、当初の目的である水場に向かおうとして、聞き捨てならない言葉を耳にした。
──明日には全員出荷だな。
少年は息を潜めた。
その言葉が出た瞬間、大人達が未知の生き物のように思えた。自分を買っていった貴族達は常にその不気味さ、陰険さ、横暴さが表面上に出ていた。
だからこそ、自分を引き取り、温かい寝床と食事をくれた大人達もそうだとは思えなかった。
聞き間違いかと思い、また耳を澄ます。
──それにしても本当に買い取ってもらえるんだろうな。
──かなりの変人ですけど、金に糸目は付けないそうです。
──なら、いいんだ。
ダメだ。これ以上聞いてはいけない。
そう直感した少年は扉から耳を離した。そして自分達が出荷されるということ、誰かに買い取られること。耳にしたその単語を反芻する。
少年は直ぐにここから逃げることも出来たが、新たに手に入れた居場所で出会った仲間達を見捨てるわけにもいかなかった。
部屋にいる大人達に気づかれないようにゆっくりとした足取りで寝室に戻った少年は、寝ている子供達の肩を掴んで、起こすことを試みた。
しかし、いくら揺すっても誰も起きない。
そのうちに寝室の外からこちらへと歩いてくる気配が見えた。赤い色が近づいてくる。咄嗟に少年は毛布にくるまり、寝ているフリをした。
──よし、全員揃ってるな。
──睡眠薬が効いているはずよ、今のうちに運び出しましょう。
──荷台でいいな?
なんのために買い取られるのかは分からなかったが、大人達には一切の躊躇などなかった。
他の子供達同様に担がれ、荷台に詰め込まれる。このままでは連れていかれる。そう思った少年は荷台の扉が閉められる前に大人達の目を掻い潜って逃げ出した。
できるだけ教会から遠く、遠く。
裸足のまま、皮膚がめくれ血が出ても構わず走った。木の枝で頬を切っても、トゲに引っかかっても、走り続けた。
教会の姿が見えなくなり、ある池のほとりに着いた瞬間、そういえば水を飲みたかったのだと気づき、池の水をすくおうとして水面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは紛れもなく自分の姿であり、汗と血と涙で汚れた顔と、それでも綺麗なままの赤い髪があった。
やりきれず、少年は指先にあたった小石を水面に投げつけた。
───赤い髪が鏡に映るたび、自分を殺したくなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
貴族の追手から逃げつつ、教会を後にした少年は山で過ごすようになった。誰の目にも触れられないような洞窟で獣を狩り、毎日を過ごしていた。
「……っ」
一日に数本。痛みに耐えながら髪の毛を抜く。
鋭利なものが手に入ればすぐにでも髪の毛を切るのだが、生憎と石と木の枝程度しか身近にない。
ここまでくると死んだ方がいいのだろうが、この身体は容易に死ぬようにはできていない。赤髪の血筋のせいか、はたまた生まれ持ったものなのか、貴族による拷問にも耐え抜いた肉体であった。
「……だからって殺されるのも、嫌だな」
死ぬのなら、自死を選ぶ。自分の刃で自分を殺したい。
少年は立ち上がって暗い洞窟を出る。時刻はおよそ午後五時。夕日が沈み始める時間だ。
寒くなる夜に備えて、少年は燃やすための枝を拾いに向かう。
脇に枝を抱え森の中を徘徊していると、ふと自分以外の気配を捉えた。
今まで見えていた赤い色は、自分の敵となる者、自分の命を脅かす者を示していることがこの数ヶ月で判明した。
少年の捉えた色はまさにその赤色。獣ではない。獣というのは自分の命を脅かす者ではなく、むしろ自分の血肉となるべき生き物だからである。
───なら、これは。
「ショートか」
思わず舌打ちする。
少年にとって親の仇ともとれる存在。
少年は脇に抱えていた枝を地面にそっと置く。そして音を出さないようにゆっくりと木を登る。
すると人間の匂いを嗅ぎつけてきたのか、赤色の気配は少年の眼下にまで近づいてきた。
そして、真下にショートの姿が見えた瞬間、少年は木から飛び降りショートの背中にしがみつく。
「───!?」
「くたばれ」
少年に気づいた狼のショートは、必死に少年を振り落とそうとするも、尋常ではない握力と脚力によって少年の体を引き剥がすことができないでいた。
少年はそのままショートの首を締め上げ、ぐっと足に力を入れる。すると次第に最初は暴れ回っていたショートの力も弱くなり、痙攣し始めた。
十分と経たないうちにショートの呼吸が途絶え、その身が塵へと変化する。
少年は腕を軽く振り、まとわりついた塵を落とす。
「はぁ……疲れた」
通常の獣とは違い、ショートは死んでも死体が残らない。残るのは疲労感だけだ。
しかし放っておいてもいずれ人間を襲う。その犠牲が自分である可能性がある限り、こうして倒さねばならないのだ。
少年はため息をつきながら、地面に置いたままの枝を拾い集める。
「……?」
そのまま踵を返して自分の寝床に戻ろうとしたとき、また別の気配を感じ取った。
今度は赤色ではない。白く淡い色。
今まで、敵と認識した人物や、ショートしか視界に映らなかったためか、それ以外の別の色が見えることに驚いた。
「これは、なんだ?」
少年はその色が示す意味と、その存在に惹かれ、拾ったばかりの枝を投げ捨て色の方向へと近づく。
「………家?」
そこにあったのは一軒の家であり、少年は崖の上からその家を見つけた。窓に灯りがついていなかったが、その白い色の気配は確かに家の中にあった。
───しかし、妙に小綺麗な家だ。
庭の手入れもされており、畑を作った形跡もある。今もなお生活している人がいるのだろう。
「………あ」
そうしてじっくりと崖の上から観察しているうちに、その白い色がうっすらと消え始めているのが見えた。
ゆっくりと消えていくのは、その人物が眠りに着いた証だ。
気づけば辺りはすでに暗く、夜の帳が下りていた。少し早い気もするが、家の主が就寝したのだろう。
「………」
他人の家に侵入することは悪いことであり、ましてや物を取ることは窃盗罪に問われる。
しかし、毎日毎日髪を毟る行為の無意味さは己が一番理解していた。
「ハサミを借りるだけ、借りるだけだ」
少年はそう呟くと、滑り落ちないようにその崖からゆっくりと降り始める。岩の先端に指を引っ掛け、繊細な体重移動を駆使しなんとか崖の下に着地する。
崖の上からではそこまで大きな家ではないと思っていたが、下に来てみるとその家の大きさに少年は驚かされた。
優に十人は住めるのではないかと言うほどの豪邸。よくよく見ると庭には赤いバラが咲き乱れており、少年の鼻先を優雅な香りが掠めた。
もしかしたら使用人を雇っている貴族なのかもしれないと、少年は慎重に家へと足を運ぶ。
「………不用心だな」
もちろん玄関には鍵が閉めてあったが、一階の窓が開けっぱなしになっているのを見て少年は呟く。
換気のために開けたのだろうが、閉め忘れることが果たしてあろうか。
少年は窓から家の中を覗き込み、誰もいないことを確認してからサッシに足をかけ身を乗り出す。
「……」
自分以外の強盗が入ったらたまったものではないと、一応窓の鍵を閉めた。
改めて家の中を見る。暗いながらも何部屋かあることに気づき、少年は頭を抱えた。
「しまった。ハサミがある部屋が分からない」
シュラム生まれの少年にとって豪邸に入ること自体、奴隷としての肩書きがあったからであり、知っている立地は地下室程度であった。
少なくともこの家は三階建てで、部屋数も十を超えるだろうと少年は察した。
一つ一つしらみ潰しで調べるには危険性が高すぎる。
「となると……」
ハサミではなく、別の鋭利な物で代用するしかない。ハサミよりももっと見つけやすく、鋭利なもの。
そんなもの、一つしか考えられなかった。
───窓から月光が薄く差す、キッチン。
少年は一階を一周して、ようやく目当ての場所を見つけた。綺麗な設備と、清潔な食器。少年が初めて見る物も多かった。
けれど少年はキッチンに辿り着くのに時間を要してしまったことに気づいて、借りるものだけ借りてこの場を離れようと慌てて戸棚を漁る。
お目当ての包丁は丁寧にスタンドに仕舞われており、少年は急いでスタンドから包丁を抜き取る。
「!!」
が、包丁を持ちさろうとした少年の足が止まる。よくよく見ると包丁の手持ち部分に鎖が繋がれており、容易に持ち出せないようになっていた。
戸締りに関しては粗雑なのに対して、刃物の扱いには気を遣う、家主の防犯意識に対して舌打ちをした。
持ち出せないと分かった今、少年は周りを見回す。すると、包丁がギリギリ届く距離に鏡があることに気づいた。あそこならば、と鏡の前に立つが、ピタリと少年は動きを止めた。
「………赤い、髪」
自分の人生を狂わせ、不幸へと導いてきた赤い髪。生まれた時から自分の母親に金の成る木として育てられ、挙句には奴隷となり、追われる身になり、獣のような生活を送るはめになった。
白いキッチンに一人ぽつんと立つ赤い自分が、庭に咲く、手入れの行き届いたバラとは生きる世界が違うように思えて、
それで、なんだか、無性に、
────死にたくなった。
「誰かいるの?」
包丁の切っ先を喉に突き立てようとして、少年は手を止めた。
キッチンの入口に誰かが立っていた。
誰かに見られた時点でその場から立ち去り、すぐにでも家を後にするべきだった。しかし少年は先程までの行動を見られたのかと思い、しばらく身動きできなかった。
死にたいと、自分の意思で喉に刃を向けたことを怒られてしまいそうで、いや、そんなことよりも勝手に他人の家に侵入したことを糾弾されそうで、捕らえられて、暴力的に扱われて、売られて、買われて、それで────
「どうして、泣いているの?」
「……?」
言われた言葉を、少年は一瞬理解できないでいた。
てっきり、出ていけと、去れと、言われると思ったのに。
キッチンの入口に居たはずのその人は、気づけば少年の真正面に立っていた。肩にストールを巻き、ゆったりとした服装をした三十代くらいの女性だった。
だからか、少年にはその女性が自分の母親のように思えてならなかった。
その人は腕を伸ばし、少年の頬に触れる。掌から伝わる温かさと、冷たい液体の感触がした。
そこでやっと、自分が泣いていることに気づいた。
「──名前は?」
名前──?
少年は今まで生きてきた人生の中で、自分の名前が呼ばれたことがあったか思い出そうとして、気づいてしまった。
母親に育てて貰ったときも、貴族に飼われたときも、教会に引き取って貰ったときも、いつも、誰も。
「俺の、名前はなんですか」
「──!」
自分には呼ばれる名前がなかった。
ただの、赤髪だったのだ。
堰を切ったように涙が溢れる。
次第に喉から声が漏れる。
視界が涙で曇る。
呼吸が不規則になる。
崩れ落ちようとして、誰かに抱きとめられた。
バラの香りが鼻腔いっぱいに広がって、温もりに顔を埋める。抱きとめた女性は、しゃくり上げる少年の背中を何度も優しく撫でてくれた。
何かを言わなければいけないのに、謝らなければならないのに、少年の目には女性が白く淡い光に包まれているように見えてしまって、涙以外には何も出てこなかった。
育ててくれたはずの母親ですら、こんな感情を少年にはくれなかった。あの人の愛は、赤髪にだけ注がれていたのだ。
けれど、この女性は目の前の少年を、少年自体を優しく抱きしめている。
───生まれて初めて感じた、本物の愛情だった。




