運命の人
ビル自体、カリヤの出身である長野には数が少ない。
そのためカリヤの目の前で、四角く大きい塊が滑らかに地面を動いている光景は、あまりにも衝撃的だった。
道路を横切っているビルは、本当にビルなのかさえ疑うほどだ。
「足も生えてないし、誰かが動かしてるわけでもねぇのに、移動してる……」
なんのために必要なのか全くわからない。
―――まさか、俺の行くショート対策軍もああやって動いたりすんのかな。
ショート対策軍ファラデー支部。
事前に少しだけ調べてみたが、カリヤはあまりこの支部の情報を手に入れることが出来なかった。
活動や主な仕事などはネット上にも掲載されていたが、その他は全くといっていいほど記載されておらず、ショート対策軍の中でも謎に包まれている支部でもあった。
「でも、食堂は期待出来そうなんだよなぁ。むしろそれしか期待するところないし」
なんでも、このファラデー支部の食堂のメニューが美味しいらしい。農家の息子としては是非とも味わいたいところだ。
「美味しいご飯のためにも頑張って今日の試験を合格しなきゃだな!」
意気揚々と声を上げ、試験会場に向かおうと足を運んだ瞬間、耳を劈くような悲鳴がカリヤの背後から響いた。
「だ、誰か助けて……!」
そこにいたのは恐怖で足がすくんだのか、腰が抜けたまま地面にへたり込んでいる女子高生。そしてその少女に向かって唸り声をあげる犬だった。
―――犬? 犬がどうかしたんだ?
仮にその少女が犬嫌いで、アレルギー症状が出るような体質だったとしても、そこまで過剰に反応する必要性が、カリヤには感じられなかった。
そう、周りの反応を見るまでは。
「ショートだ……!」
「首隠せ隠せ!」
「誰か、対策軍に連絡を!」
「そこの女の子! 早く逃げてー!」
周りの大声の中にカリヤは重要な言葉を聞き取った。
ショートって……
「あの犬がーー!?」
―――ショートってあれだよな? 触られただけで人が死に至るような邪悪な生き物で、確か人間よりも数倍の身体能力とか持ってるやばいやつで……確か、確か変な植物の壁の向こうにしかいないやつ……だよな!?
だが、目の前の犬は牙こそ凶暴だが、体格も見た目も普通の犬と全く同じに見える。唯一、違う所と言えば毛先が赤く染まっている程度だ。
「ま、まさかな……」
カリヤは頭では否定しつつも、恐れて後ずさる。
そしてどうにかこの場から逃げようと模索し始めた。
しかしショートと対峙している女の子は逃げる素振りもなくただただ怯え、その場にへたりこんでいる。
そのままではいずれあの犬に襲われるだろう。
―――ど、どうするか……あの女の子を助けなきゃいけないのは確かだけど、この犬をなんとかする方法なんて知らないぞ俺は……!
しかしカリヤが一旦、距離を置こうと下げた足元に、ちょうど小石があった。カリヤはそれを踏み潰してしまい、砂利の音がショートの耳を刺激した。
「…………あ」
その瞬間、ショートの目がこちらを捉えた。恐怖に陥った少女から興味が薄れたようにも見える。カリヤは直感で感じた。
―――あ、やばい。これは死ぬやつだ。
「UGAAAAAAッッッ───!!!」
「ひぃっ!?」
ショートは言葉とも取れない声を発しながら、カリヤの方へと少女を無視して駆け出した。辺りを見ても、ほかの人は遠ざかっていて助ける気配はない。
――――逃げなきゃ、逃げなきゃ、死ぬ。
殺気立った獣の侵攻にカリヤの足は竦む。
ショート対策軍に入り、困っている人を助けられるようになるというのがカリヤの目標だったが、今困っているのはカリヤ自身であり、身を守る術など持ってはいない。
そこら辺にいる、ただの人間と同じなのだ。
ごめん、母さん、父さん、リン───
ショートの牙がカリヤに襲いかかるその時。
「───チャージ完了」
人波をかき分け、走ってくる人影が一つ。
その人影は地面を強く蹴りあげ、空中にて一回転したかと思うと、懐から二丁の拳銃らしきものを手にしていた。
「ライトニング!」
そして、その言葉によって発射された二つの電撃にショートは撃ち抜かれ、カリヤの目前にて塵と化した。
カリヤは、空中にて舞うその人影───女性を見上げ、即座にこう思った。
─────綺麗だ。
その女性が華麗に着地した瞬間、辺りから歓声があがる。
「ショート対策軍だ!」
「ショートを倒してくれた!」
「よかったー!」
「あの人すごーい!!」
拍手も入り交じり、辺りは一時騒然となった。
しかし、カリヤの耳には歓声も賛辞の声も一切聞こえなかった。
明るく黄色がかった髪を二つ縛りにし、大人しげに人々に手を振る女性。そう、カリヤを助けてくれた女性にカリヤは目を奪われていた。
尻もちをついて放心状態だったカリヤに気づいたのか、その女性が優しく声をかける。
「大丈夫? 立てます?」
「………………あ"っ? あ、はい! た、立てます立てます!!」
一瞬、なにを言われたか分からなかったカリヤも正気に戻り、その場で即座に立ち上がる。
「なら、良かった。気をつけてくださいね。」
高過ぎず、低過ぎず、耳に心地よい声にカリヤは聞き惚れた。
──どうしよう。
とうとう俺は運命の人を見つけちまったのかもしれない。この髪、声、瞳。全部見ても俺の好みピッタリなんだけどー!
颯爽と俺を助けてくれてしかも心配までしてくれた? これはもう運命としか思えない!
父さんは、運命の人に出会えるのは人生で一度きりだって言ってた……
もしかして、もしかするとなのかぁー!?
なら、行動するっきゃねぇ!!
「あ、あの、お、俺とけっ、けっこ……」
と、カリヤが顔を上げるとそこに人は無く、代わりに警察のおじさんがこちらを見ていた。
「ん? なんだい、君?」
「いやいやいやなんでもありませんすみませんでした!!!!」
あっ、ぶねー! 危うく知らんおじさんに求婚する所だったー!!
っていうか、さっきのあの麗しい女の人はどこに?
カリヤは辺りを見回すが、それらしい人は居ない。
「人生で会えるのは一度きり…………」
―――いや、一度きりにしてなるものか! 絶対もう一回会ってやる!
「そうだ! 俺がショート対策軍で有名になれば向こうも、俺を見てくれるかもしれない!!」
またショート対策軍に入る目的が増えたぞ。
カリヤは自分の所持品を確認し、何一つ消失していないことを確かめてから、新たに決意した。絶対にもう一度命の恩人である彼女と出会い、求婚するのだと。
いったんは、くじかれてしまった気持ちを取り直そうと、カリヤは自分の頬を数回たたく。ジンとした痛みが伝わり、頭の中が明瞭になる。
「さて、試験会場に向かおうかな!」
ふと、腕時計を見て時間を確認。十時十五分。
ん……?
十時………?
確か十時半に試験が開始するんだよな…?
「ち、遅刻だぁーーーー!!!」