子と母と
タイガの過去描写①
始まりは悪臭漂う貧民街、通称シュラムと呼ばれる難民の集落だった。
ショートによって家を無くし、親を無くし、金や地位を無くした者達が集う、その場所で一人の男の子が生まれた。
その髪は血のように赤く、生まれたばかりの赤子は皆泣き出すというのに、その赤子にかぎっては一切泣かずにじっと母親を見つめていたという。
──彼には名前がなかった。
世間では、赤く染まった毛を持つショートは恐怖の象徴であり、赤毛を持つ人間はショートと血縁関係があると噂されていた。
そのため、赤い髪を持つ者には地位も血筋も関係なく罵声と唾が吐きかけられる。
髪を染めようとしても、髪を染めてくれるような親切な人がいなかった時代。
誰も赤髪には触りたくもないし、見たくもなかった。
「あんた……あんまりうちの店にこなんどいてくれるかい? 客がビビっちまってるんだよ」
「あ、はい……すみません……本当に……今日、限りですから……」
「いつもうちで買ってくれるのはいいんだけど、その子がねぇ……」
「いえっ、あの……でも……まだ、2歳なので、私が……世話をしないと……なので」
女は赤子を腕に抱いて、ボソボソと店主に向かって話す。
その様子を見た店主は乱暴に頭をかくと、女の手にぶら下がっていた袋にトマトを余分に詰め込む。
「わかっとるよ、でもな、もううちには来なんどくれ。赤髪の赤子なんて縁起が悪いんだからよ」
「はい………、あの……さよなら……」
言葉とは裏腹に、心配するような声で見送る店主に、母親は何度も何度もお礼をしながら自分の家へと帰っていく。
シュラムはどこもかしこも悪臭が漂い、衛生環境が整っている場所などない。
それでも尚、母親は自らの子がせめて健康に育つように赤子に体の良いものを食べさせ、常に綺麗にするよう心がけていた。
「元気に、なってね……」
まだ幼い彼には分からなかったが、無意識下では母親からの愛情を感じていた。
──そして、4年後。赤子は5歳になっていた。
「さぁ、おいで」
「うん」
母親は子を呼んだ。5歳となった彼と外へ出ようと、手を伸ばす。
「おかあさん、どこに?」
「そうね……今日はお外で勉強しましょうか」
「おべんきょ……?」
「言葉とか、計算のことよ」
「!ことばすき!けーさんは……あー、にが……にがと……?」
「"苦手"のこと?んー、でも勉強して損はないから、やっておきましょうね?」
「……うん」
母親は子と手を繋いで、貧民街の道を歩く。
「め……いたい」
「仕方ないわ……あんまり気にしちゃダメよ」
赤い髪を持つ子供を見る目は厳しく、連れて歩いている母親にも非難の目が注がれていた。
そのどれもが、無遠慮に子供に刺さる。シュラムでは他人をどのように思おうが、どのように言おうが罪に問われない。
子は母親の手を強く握り、できるだけ他人と目を合わせないように下を向いて歩く。
「赤髪………」
「! な、なんでしょう……!?」
ふと、二人が歩いている傍に座っていた老人が立ち上がり、歩み寄ってくる。
母親は自分の背後に子を隠し、身を呈して守ろうとした。
「赤い……髪を持ったばかりに、皆から疎まれることになるとは………難儀じゃの……」
だが、老人は子の目線に合わせてしゃがみこみ、小さな飴が入った小包を差し出した。
拍子抜けした母親は一瞬反応に困ってしまったが、隠していた子の方が早く顔を出した。
「あめ?」
「ああ、腹の足しになるかと思うてな……それとも、こういう施しは迷惑かね?」
下から母親を見つめる老人の顔には、悪質なものは一切なく、むしろこちらを気遣うようなものだった。
母親は、不躾な態度を取ってしまったことを恥じ、子に飴を受け取るよう促した。
「あの……すみません、つい……」
「いいんじゃよ……儂も今は白髪じゃが、昔は立派な……いや、運悪く真っ赤な髪をしておっての……」
そう言って、老人は子の頭を撫でる。
「ごつごつ……」
「すまんね、この老骨はお気に召さなんだか……」
「いえ、ありがとうございます……」
そうして、親子は老人に礼をしていつも通っている古びた公園へと向かった。
公園には数人の子供が走りあって遊んでいる。他には人の姿はなく、二人は錆びて壊れかけているベンチに腰掛けた。
「さぁ、勉強をしましょう」
「うん」
「そうね……じゃあ、今日は"場所"を勉強しましょうか」
「ば……しょ?」
「そう、場所。ここは、公園っていう場所。」
「こーえんは、ばしょ」
母親は公園全体を眺めて、子に遊具や砂場のことを一つ一つ丁寧に教えていく。
子は、母親に倣うように一つずつ発音していく。
「ん? あれは、なに…?」
「あれ?」
その最中、子は公園にいる子供達がやっている遊びがなんなのか気になり始めた。
一人が周りをキョロキョロと公園内を見て周り、物陰に隠れていた別の子供を見つけると手を繋ぎ、見つけられた子もまた、別の子供を探すのを手伝う……
子はその遊びを知らなかった。
「ああ、あれはね"かくれんぼ"っていうの。オニが隠れた人を見つける遊び。ほら、ああやって見つかった人はオニと手を繋いで、他の子を探すのよ」
「オニが……みんなをさがす……ぼくもできる?」
「一人じゃさすがに出来ないわ……人がいっぱい居ないと」
子が、かくれんぼをしているのを見るのに夢中になっていると、二人が座っているベンチの物陰から何かが飛んできた。
「いたっ」
子の顔面に当たったのは、小ぶりな石粒だった。目には当たらなかったものの、あまりの痛みに、子は自分の顔を抑えた。
「いーけないんだー! 赤い髪のやつはバケモノの仲間って父ちゃん言ってたぞ! ここに来ちゃいけないんだぞ!!」
「っ……!」
子よりも年上の子供が、ベンチの物陰から子の横顔めがけて石を投げたらしい。
そして、まだ手に石つぶてを持っているところから、また石を投げつけるのだろう。
そう悟った母親は子を抱きしめ、庇うようにベンチから立ち上がる。
「やーい、バケモノの仲間ー!」
が、去るよりも早く石が母親の背中に当たった。
「うっ……」
「お母さん…!」
「……大丈夫、今日はもう帰りましょう」
そのまま逃げるように公園から走り去り、自宅へと舞い戻ってくると、母親は子を強く抱きしめた。
「……お母さん……?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……怪我は…? 痛いところはない…?」
「ほっぺ、ちょっといたい……」
子は少しだけ赤く腫れた頬を自分の手でさすり、涙で滲んでいた瞳をこすった。
母親はその様子を見て、少しだけ安堵の息を漏らし、水で濡らした布を子の頬に当てた。
「お母さん………ぼく、バケモノのなかまなの?」
「そんなことないわ…!! 皆、誤解してるだけなのよ……」
「……うん」
母親は励ますように、気落ちした子の頭を優しく撫で、今日一日で起こった良い事と悪い事をないまぜにして、子を寝かしつけた。
──そして、その日は訪れた。
その日はいつもよりも眠気がして、子は激しい睡魔と戦う羽目になっていた。
「今日は、お母さんの誕生日……だから、起きてないと……」
子は、随分と様々な言葉を母親から教えてもらい、母親の代わりに家事を手伝うようになっていた。
母親は子が家事を手伝えるようになると、お金を稼ぐためにシュラムの外へと仕事をするようになり、昔よりも余裕のある生活が送れるようになっていた。
「お母さん……今日も、遅いのかな」
子は自分の赤い髪を人差し指で弄りながら、窓から青い空を見上げ、呟いた。
いつも遅く帰ってくる母親の様子は、なんだか疲れているようで、何かあったのかと尋ねても曖昧な返事が返ってくるだけだった。
子は母親が仕事に行くのが少し嫌いだった。
できるならば自分が出稼ぎに行って、自分の母親には楽な生活を送ってもらいたいと思っていた。
母親のお陰で、子は健康な身体を持ち、同年代のどの子供よりも良い体格をしていた。
だからこそ、休んでもらいたい。
その一心で子は母親の誕生日、今日は母親を甘やかそうとしていたのだが母親は朝早く出かけてしまい、母親が作り置きしてくれた朝食を食べたところで、すっかり気落ちしてしまった。
「お母さん、いつもより早く出てっちゃったけど、そんなに大変なのかな、仕事……」
子はうとうととしながら窓にもたれかかり、空を飛ぶ鳥をじっと眺めていた。
そのうち、眠気が勝ち、子は深い眠りへと入っていった。
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目覚めたとき、周りはすっかり暗くなっていた。
いや、正確には黒い布で視界の全てが覆われていた。
「(!? ここはどこ!?)」
咄嗟に手を伸ばし、目の前の布を掴もうとするが、その前に金属の棒のような物に手を遮られた。
気づけば子の四方には同じような棒が巡らされており、まるで子を閉じ込めているようだった。
「………っ、れ、か………」
声を出そうとしたが、何かが喉につっかえているのか、子は声を発することが出来なかった。
暗さと謎の喉の不快感により、軽くパニック状態に陥った子は、金属の棒を掴んで手前や奥に揺さぶる。
「(お母さん……!! お母さんはどこ!?)」
暫くすると目が暗さに慣れてきて、子は自分の腕にもなにか重いものがあることに気づいた。
両手を結びつけるような鉄の塊、繋がっている紐はなんだかジャラジャラと音が鳴っていた。
「な、………こ、れ」
子がそう言った途端、子が入っている箱自体が振動し、地面を移動しているような感覚が伝わってきた。
「(待って、僕はどこに行くの?)」
暫く移動しつづけ、暴れるよりも、どこに連れていかれるかの恐怖の方が勝り、どうにか場所を把握出来ないかと棒と棒の隙間に指を差し入れ布をどかそうと試みる。
が、突然箱が停止し、その弾みで布がズレたのか箱の中に光が差し込む。
「(ここは、どこなんだろう……?)」
光が入ってきた隙間を覗き込み、眩しさに目を細めながら辺りを見回す。
布があったせいでやたらと静かに感じていたが、この箱の外はやたらと人が歩き回っていて騒がしい。
もう少し目が慣れてくると、自分の入っている箱の近くに二人の男女が立っていることに気づいた。
「!(なにか話してる……!)」
子は二人の男女がいる方へと身を近づけ、会話が聞こえるように耳をすませた。
「いやぁ、ありがたいことです。最近は中々いないですからね」
「ええ……ですから、条件通りに。と」
──なんだ? 何の話なんだ?
「言語能力に、計算能力、それに筋力までつけていただけたなら文句はありませんよ」
「はい、数年かけて育て上げましたので──」
子は耳をすませて声を聞くうちに、声が聞きなれたものだと気づいた。
───お母さん………?
「(迎えに来てくれたのかな?)」
子は自分がここに居ると主張するために、布をどかそうとまた、棒と棒の間に指を入れた。
だが───
「皆さん、誤解してるんですよ」
「赤髪は売れば高くなる、金の成る木だって知らないんですよ」
その一言で、子は手を止めた。
いや、正確には布が取り払われ、子は母親を見上げ絶句した。
「かぁ………、さ、」
いつもの聖母のような笑顔からはかけ離れた、憎しみと哀れみが混じった表情をしていたが、間違いなく自分の母親だった。
「あら、睡眠薬を食べさせたのにもう起きていたのね」
「すい、……や、……く?」
「ああ、声も出せないのよね。ごめんなさい、喉を焼いてしまったの。でも一日限りのものだから安心してちょうだい?」
母親が何を言っているのか、子には分からなかった。
ただ、優しい声で、なにか恐ろしい事を言っているのだけは分かる。
「ど………ぅし、て」
「赤髪の子供は、高く売れるの。シュラムでの生活はもう懲り懲り………あなたならわかってくれるわよね?」
「……?」
子は噛み締めるように母親の言葉を脳内で反芻するも、どうしてなのか、全く理解できなかった。
しかし、そんな子のこともおいて母親は言った。
「立派に育てたあなたを売って、わたしはウォルフで楽して生きるの!」




