敵か味方か
──一方カリヤは。
「まてこのガキャァア!!」
「まてと言われて誰が待つかバーカ!」
隊員達に追われ、縦横無尽に支部建物内を駆け回りなんとか逃げ続けていた。
追いかけてくる隊員達の先頭には、先程キボウとロウの悪口を叩き、カリヤを怒らせた男性がいた。
鼻息荒く今にも殺人をしかねないような気迫を放つ彼は周りの人など気にせずにカリヤへと一直線に向かってくる。
カリヤでさえ、人と人の間をすり抜けながら逃げているというのに当の本人は、ぶつかった人間が転ぼうとも歯牙にもかけない。
鬱陶しい野郎だな……っていうか転ばせた人に謝れよ!
その原因を作ったのが自分なので強く言えないが、そのこともあってさらにその男性に対して強く怒りを募らせる。
「はぁ、はぁ……」
しかし戦闘明けの体力がもつはずがなく、カリヤの足には既に疲労がたまり、カリヤ自身息切れを起こし始めていた。
後ろを振り返る余裕すらなく、あと数秒もすれば追いつかれてしまうだろう。
ただただぶら下がっているだけの左腕が前後に揺れる度に痛みが走る。
「くっそ……」
目の前の分かれ道を右に曲がろうとして一瞬足がもつれてしまい、カリヤの上体が崩れた。
「あっ!? やべ……!」
「”ミラージュ”」
転びかけるカリヤの耳に聞きなれた声が届く。が、誰かを確認する前にカリヤは支えを失い顔から地面に激突した。
このままでは捕まってしまうと思いすぐに体を起こして後ろを振り向くが、
「あれ……?」
そこには先程まで自分を追いかけてきていた隊員達はおらず、注意深く目を凝らすと、自分が右へと曲がった通路の反対側つまり分かれ道の左側へと走っていく人影が見えた。
どう考えても方向を見失っている。カリヤがいる方向と逆の方へ走っていくなんて、普通じゃない。なら、これはやつの仕業か。
カリヤはゆっくりと顔をもちあげ、目の前の人物を凝視する。
「……アズキ」
「まったく、考え無しに突っ込むからこうなるのよ」
「お前……」
「さ、立って。私のエフェクトで一応撒いたけどすぐに気づかれてしまうでしょうし、今すぐここから離れるわよ」
アズキは白く滑らかな手をカリヤに差し出す。だが、カリヤはその手のひらとアズキを交互に見てからかぶりを振った。
そんな様子を見て、アズキは差し出した手を下ろしため息を吐いた。
「なにかしら、わがままのつもり?」
「……ずっと思ってた」
「なにを」
カリヤは俯いたまま、今までの出来事を反芻する。今思えば不自然なことは沢山あったし、疑問もある。
痛む左腕を自分の胸元へと引き寄せ、強く押さえつけ、嘆くような声で言った。
「お前は……アズキは、俺の敵なんじゃないか?」
「………」
アズキはその言葉を聞くと、一瞬驚いた顔をしてすぐに元の表情へと変わった。
カリヤを見下ろすその表情は、見る人にとってみれば悲痛とも取れるが別の人にとっては憐れみとも取れるだろう。
もちろんカリヤにはアズキの挙動は何一つ見えていない。
──アズキがどう思っているか知るのはいけないことのような気がする。
「どうして、そう思うの?」
「だっておかしいだろ、なんで俺みたいな資質程度の男がショート対策軍に入隊できてんだ? それに模擬テストのことも、アズキが裏でクルックさんを動かしてたことだって………」
アズキにとってみればそれは全て利益のためだと答えるだろう。けれど今知りたいのはそういう損得じゃない。
カリヤの敵なのか、味方なのかだ。
「確かな証拠は何一つねぇよ。ねぇけど……おぼえてんだよ」
「……記憶があるの?」
「いや、そんな確かなもんじゃねぇ。ぼんやりとだけど……でも、俺じゃない俺が体を動かして、ショートと戦ってたんだろう!? だから、こんなに体中痛くて、痛くて……っ」
眉間に皺を寄せ、傷のある腕を抑えるカリヤに、アズキは歩み寄って肩に手を添える。
「痛くてたまらないのでしょう? だから記憶が混濁してるのよ、少し休めば記憶もちゃんと直るわ。」
「記憶が、直る……?」
俯いていた顔を上げ、カリヤはアズキの顔をそこで初めて見た。穏やかな表情で、いやむしろ泣きそうな顔をしていた。
もしかして、アズキは俺のこの体の異変をどうにかしようと奮闘しているだけなのかもしれない。
そう思ったカリヤの心には微かな光が灯る。
「ええ、カリヤは何も出来なかったという記憶よ。」
なんのこともなく、笑顔でそう言いきったアズキによってその光は失われた。
「………!!」
カリヤは今度こそ拒絶の気持ちを込めて肩に添えられた腕を振り払った。
そうして、その勢いのまま立ち上がるとアズキに鋭い目付きを向ける。
「嘘つくんじゃねぇ!」
「……」
「お前、おまえ! 俺をなかったことにしたいのかよ!? 俺が何も知らないことを良いことに利用して……タイガもか!? あの時俺は見たんだ! あの赤髪、タイガもグルだったんだろ!?」
間違いない。
あの長身で赤い髪をした隊員はタイガぐらいしか思いつかない。トオル班に連絡をしていない状況でどうしてパラボネラのお守りを破ったすぐ後に来たのがアズキではなく、タイガだったのか。
答えは簡単だ。アズキとタイガが組んでいたってだけだ。
「”俺が何も出来なかった”だって…? ああ、そうだよ、キボウとロウに何一つ出来なかった!だからあの二人を死なせちまった!」
だが、カリヤの心臓の鼓動は強く打ち付ける。
「じゃあなんで俺は、”生き延びることが出来て”んだよ!」
アズキは何も言わない。その表情に変わりはない。
「嘘ついてまで俺を利用しようとするお前に、信頼なんざ出来るわけねぇだろうが……っ」
先程までの叫びとは打って変わって、泣きそうな声を出してカリヤはその場で膝をついた。
体力の限界だ。
ボロボロになった体に鞭打って使い切ったせいか、糸が切れるように崩れ落ちカリヤは呼吸を荒くさせ額から汗を流していた。
しばらくして、カリヤの呼吸以外に音のしなくなった廊下にアズキの声が響く。
「………あなたが生き残ったのは、ただの運よ。」
「………ぇ?」
アズキは廊下の壁にもたれかかって、腕を組みながらポツポツと話し始めた。
「まさか、いきなりSランクショートと遭遇するなんて思わなかったわ。他の人よりショートを寄せ付けやすい人間だと思ったからお守りを渡しておいたのよ」
なんでいきなりそんなこと言うんだろうと、カリヤは戸惑った。
「……あなたに人殺しまがいのことをさせるつもりじゃなかった。ただ、運が悪かっただけ。」
──ああ、そうか。この女は言い訳をしているのか。
「だから、なんだよ。キボウとロウを連れて行かなきゃ二人は死ぬことはなかったって言いてぇのか…?」
「いえ、死ぬことはあるわ。人間だもの、いつか死ぬ時は死ぬわよ」
本当に何が言いたいんだ。
カリヤは動く右腕で汗を拭う。
「私が言いたいのは……誰がどれだけ頑張ろうとも犠牲は生まれていたということよ。」
「……アズキでもか?」
「いえ私なら犠牲どころか功績しか生まないわ。」
「なんだよそれ」
アズキの冗談みたいな言葉に、カリヤは少しだけ肩の力を抜いた。
と、同時にアズキの表情に緊張の色が見えることに気づく。
──もしかして、
「もしかして、俺を励まそうとしてくれてんの?」
「………な、なにを言ってるのかしら」
「…アズキお前……」
不器用かよ、不器用人間なのかよ。
励ましの言葉一つにどれだけ回りくどい皮肉やら偏屈な態度をとっていたか、今考えてみるとむしろ滑稽に感じ、カリヤはつい吹き出してしまった。
「ぷっ………」
「なによ、なに笑ってるのよ」
「なんでもねぇって」
「なんでもなくないでしょう!? 言わないと折檻するわよ!?」
アズキは先程までの神妙な表情から一変、真っ赤に染まった顔で薙刀をカリヤに向ける。たが、その怒った顔には照れが隠れているのが見え見えだ。
アズキは、思った以上に人間らしい。
「で、結局お前は俺の敵なの、味方なの?」
「敵よ、敵。少なくとももう少し強くなって貰わないと味方だなんて公言できないわ。私の味方は私だけよ」
「はいはい、敵ねー、敵。」
むくれた顔でそう言い張るアズキに、いつもの服従感はなかった。
やっと彼女の人間味溢れる部分を見れたようで安心したのか、カリヤは完全に壁に体重を掛けため息をついた。
「おしゃべりはそこまでにしてください。」
だが、それもつかの間。二人しかいなかった廊下の角の向こうから一人の隊員が歩み寄ってきた。
眼鏡を掛け、分厚い書類を片手に歩いてくる男性の後ろには誰も居らず一人だけで来たことが伺えた。
アズキはその男性を振り返って見ると、見知った顔なのかため息をついた。
「ケンジじゃない。なに? またボッチなの?」
「……! ケンジ…!?」
ルーカスが言っていた、三大班のうちの一角。ケンジ班の班長か…!
アズキの言葉に嫌悪感を抱いたのか、ムッとした顔でケンジはアズキを睨みつける。
「ボッチではありません。わざわざ一人で来てあげたのです。大勢の人がいれば邪魔されかねませんからね。」
「邪魔? あいにくあなたに用事がないの。邪魔になってるのは自分だと気づかないのかしら?」
うーーわーーー、でたよツンツン発言。本当に人を煽るために生まれてきたんじゃないか、この人?
ケンジはその発言に慣れているのか、そこまで怒る素振りはなく緩く首を降ってから話を切り替えた。
「……アズキ、その捕獲対象者をこちらへ渡してください。上からの命令だということは知っているのでしょう?」
「ええ、知っているわ。上からの命令は絶対だものね」
「言っていることとやっていることが矛盾していますよ。今度は上位戦闘員の位を剥奪されるだけでなく、除隊されるかもしれませんけど、それでもいいのですね?」
「もちろん。だって剥奪されないもの。」
その自信がどこから来るのか皆目見当もつかないが、カリヤに言えることは一つだけだった。
「え!? アズキ、上位戦闘員じゃなかったの!?」
「今はね、今は。」
しらばっくれるかのようにアズキは視線を泳がせる。
「知らないようですね。アズキは以前とある実験で失敗し、ファラデー支部の機材のほとんどを使えなくしてしまったのです。」
「ほとんどじゃないわ、7割よ。」
「いやいやいや、そこじゃない。そこじゃないぞアズキ」
カリヤが冷静なツッコミをするも、今のアズキは少し調子がおかしいらしく全く反応を示してくれない。
と、アズキは急に天井を見上げ、なにかを探すかのようにキョロキョロと辺りを見回す。
「そろそろかしら」
「……んん? 何が?」
カリヤがアズキの様子に不信感を抱くのと同時に放送のチャイムが鳴り出した。
「……なんだ?」
短く機械の接続音がしたかと思うと、カリヤの捕獲命令を放送したのと同じ声がした。
『カリヤ隊員の捕獲命令が破棄されました。隊員はただちに自分の任務へと戻り、捕獲対象者に危害を加えないようにしてください』
その放送に真っ先に反応したのはケンジだった。
「な…!? 命令が破棄された? そんなバカなことがあるはずが…」
「あるのよ。さて、そういうわけだからさっさと帰ってちょうだいな」
「……っ!」
ケンジは憎悪の視線を思いっきりアズキに向けると、踵を返して大股で来た道を戻っていった。
「……え? 助かった?」
「ええ、そうよ。運が良かったわね」
「いやいやいやいや!! 絶対なんか裏あるだろ! どうせまた──」
カリヤが言い切る前に背後から人が走ってくる気配があった。
どうやらこちらへと向かってきているらしく、どんどんと足音が大きくなっていく。
「え、ちょ──」
その人物は、明るい髪を振り乱し、泣きながら全力疾走でカリヤとぶつかった。
「お嬢ぉおおおおおおお~~~!!!!」
クルックが涙を流しながら激突したカリヤの左腕は思いっきりひしゃげ、カリヤは支部中に聞こえるほどの大声で叫んだのであった。
───全治二週間。




