【プロローグ】 燃え盛る森で
───炎が森を包み込む。
昨日の夕暮れ、いつもと変わらない帰り道のくだらない会話がもう懐かしい。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
能天気に笑いあって、また明日。と言い合った日々は帰って来ないのだろうか。
少年は、汗でへばりつく髪の毛を乱暴に振り払った。
ついさっきまでは電話越しに友の声が聞こえた、だが今はもう呼び出し音がむなしく鳴るだけ。
そのせいか、額に浮かぶ汗を拭う手の震えは止まらない。何かを恐れているのではない。
確信だ。すでに唯一の友人の身に何かが起こったのだ。
「フタミ! 居るのか!? 返事してくれよ!」
少年は森をひたすらに走る。走る。
明かりがなくとも目指すべき場所は明らかだった。真夜中の空に火の粉が立ち上り葉の一枚一枚を照らしている。
森の中、激しく燃える炎が事態の深刻さを物語っていた。
火が燃え盛り、建物が崩壊する音がどんどん近づく。
しかし、少年の頭の中は、最後に聞いた友の声でいっぱいだった。
必死で少年の名を呼び、荒い呼吸で懇願してきた。
──来てくれないか。
その一言で少年は家を飛び出しここまで走ってきた。
とうに足には擦り傷ができ、脇腹も酷く痛む。しかし、この事態に呑気に休んでいられるはずがない。
辺りを見回して、大きな声で友の名前を呼ぶ。
返事がないのを確認して、また走り出そうとすると微かな物音がした。
「……カリヤ、なのか?」
「フタミ? フタミ、そこに居たのか? なんだ、返事の一つぐらい──」
血痕。
フタミが木の影から姿を現した途端、安堵の感情が湧き出た。だが、フタミの脇腹から流れ落ちる大量の血を見て、カリヤは青ざめた。
「………フタ、ミ……?」
カリヤのその絶望に落ちきった顔を見て、予想通りだったのかフタミはため息をついた。そして致命傷に目もくれず、カリヤに歩み寄り拳を突き出した。
「……今は、まだ分からないかもしれないけど、これ、を預かってほしい……」
「なにを……」
フタミの掌にはコンセントが乗っていた。
カリヤのうなじにも、カリヤの両親のうなじにも存在する。
人であれば皆持っているはずのコンセント。
「俺のだ。これを、預かってほしい」
よく見るとコンセントの裏側には微かな肉片と血がついていた。
まさか、自分のうなじから剥がしたのか─―!?
「そ、そんなの、受け取れるわけないだろ!?」
「いいから受け取ってくれ!!」
辛い呼吸のまま、声を荒らげるフタミにカリヤは一瞬戸惑った。
フタミは困ってる人を見かけたら必ず助ける。そのせいで自分のことを大切にしない節がある。
相手が困るようなことはしないし、自分の欲望を相手にぶつけることなどしない人柄だ。
けれど、今のフタミはまるで自分のためだといわんばかりにカリヤにコンセントを渡そうと頑として譲らない。
「お前には、困ってる人を助けてあげられる強いひとになってほしいんだよ」
太陽のような笑顔でカリヤに笑いかける。
それはいじめられていたカリヤを助けてくれたあの笑顔と変わらなかった。
「困ってる俺を、助けてくれよ──カリヤ」
気づけば、カリヤの手にはコンセントが握られていた。
しかし目の前に居たはずの友人の姿はなく、地面にはお揃いで買った金のピアスが落ちているだけだった。
カリヤは震える手でそのピアスを拾い上げる。
自身の左耳と全く同じピアス。だが、フタミの物には血がこびりつき、色がくすんでいた。
「う……っ、」
カリヤはそのピアスと、フタミのコンセントを胸に抱え、涙を流す。
そして別れを受け入れられないまま、カリヤは夜空を見上げ、嗚咽を漏らす。
───森に、友人の名を叫ぶ声だけが響き渡っていた。