酔いどれ馭者
「いでええええ……何しやがる……」
「悪ふざけが過ぎるようだな……痛みをしれ……」
「何だ、テメエは……う、うぅぅぅぅ……」
怒りでどす黒くなった団子鼻男は殴った相手を見て、金縛りにあったように硬直した。海碧の髪をし、半眼に閉じられた青い瞳、白皙の肌、すらりとした鼻梁、引き締まった唇の美丈夫であった。
だが、怒りと痛みが美の金縛りを解いた。ビール瓶を掴んで青髪の男の頭部に叩きつける。が、青髪の若者は半身で避け、左足を右足ですくい上げる。盛大な音を立てて、団子鼻男は転倒し、痰壺に首をつっこんで気絶した。
「なんだ、俺の店で喧嘩騒ぎか?」
マスターとバーテンダーがこちらに来た。
「この男が転んだだけだ……そうだろ?」
レザーチェがジロリと団子鼻のカード仲間を睥睨した。その尋常者ではない迫力に、仲間たちは酔いがさめて、青くなった。
「ああ……そうだ。コイツが酔っぱらって転んだだけだよ、マスター……」
「それにコイツ、いくら負けがこんでいたからって、弱い者苛めはよくねえ……一人前の男がやる事じゃねえ……」
「そうそう……前から気に食わねえ奴だったんだ……」
愛想笑いを浮かべる薄情な男たちを背に、レザーチェは腹を押さえて呻く復員服の男を抱き起こし、カウンターへ連れていった。
「元バルテル商会で馭者をしていたイーヴォだな……」
「ああ……そうだ……青い兄さん……さっきは助けてくれてありがとうな……」
「酒をおごろう……何がいい?」
「おごってくれるのか?」
イーヴォは舌舐めずりをして、バーテンダーに上等麦酒の大ジョッキとソーセージとふかしたポテトを注文した。口を泡だらけにしてゴクゴクと呑み、すぐにほろ酔いの上機嫌となった。レザーチェはホットワインで付き合っている。
「ああ……いい気分だ。嫌な事も忘れて陽気になれるぜ。青い髪の兄さんに乾杯だっ!」
「……ところで、イーヴォ。聞きたいことがあるのだが……」
「おお……なんでも聞いてくれ。俺の知っていることなら何でも答えるぜ……首になったバルテル商会のことか? あの主人の脱税のことか? それとも、若い愛人を囲っていることか?」
「いや、違う……バルテル商会では珍しい動物を運ぶこともしていたと聞いた……」
「ああ……確かに……えっ、そんな事でいいのかい?」
バルテル商会はインゴルシュミッツ市で大手の馬車屋であり、駅馬車を経営している。駅馬車とは市や町や村を単位として駅を設置し、宿屋旅館とセットで各市町村にあるものだ。駅ごとに馬を交換し、休憩をする施設だ。辻馬車が個人経営が多いのに比べ、こちらは国や市が経営したり、会社組織が経営する。
駅馬車には会社ごとに社名とナンバーが義務づけられ、忘れ物などを届けることもできる。駅馬車には四種類あって、普通馬車、急行馬車、郵便馬車、荷役馬車がある。最近は蒸気機関車の発達で大きな都市間の人は貨物はそれで運ばれるようになったが、まだまだ市町村を結ぶ交通網には無くてはならない存在である。
イーヴォは荷役馬車の馭者をしていた。荷役馬車とは、名がしめすとおり荷物のみを運ぶ馬車で、幌馬車が多い。荷物以外にも人を運ぶ場合もあり、料金は距離と体重で測り、格段に安い値段で旅が出来る。ただし、席もなく荷物と同じ扱いを受け、乗り心地は最悪だ。しかし、低所得者には便利な交通手段で、使う者は多い。
「牛や馬、羊なら牧童たちが移動させるが、豚や鶏なんて家畜は檻にいれて荷役馬車が運ぶこともあるぜ。ただし、荷台が糞尿で臭くなるし、板が腐りやすくなるから中古馬車で運ぶな……」
「遠方地域や暗黒大陸の珍しい動物を運んだことはあるか?」
「おお、あるともさ。ダチョウや縞馬なんて珍しい動物を運んだ。臭いのなんの……それに、虎やライオンといった怖ろしい猛獣もだ。調教師が鞭と麻酔銃を持って同行するが、ヒヤヒヤもんだったぜ……」
「それはサーカスや動物園でつかうものか?」
「いんや……インゴルシュミッツ大学の医学部だ。きっと、医学の発展のために実験材料にされたんだぜ……可哀想になあ……遠く離れた棲み処から、人間に捕まって、都会に連れてこられてよお……バラバラに解剖され、内臓をいじくられ、剥製にされたんだぜ、きっと……」
イーヴォは涙ぐんで麦酒をあおる。泣き上戸のようだ。レザーチェの瞳が鋭くなる。人工魔獣オルトロスは大学医学部で作られたのではないのか、と……