インゴルシュミッツ大学
「うわあぁぁ……建物よりでかい巨人がいるぅぅ……あれもゴーレムかしら」
「ああ……あれは建設用ロボットね……チャペック兄弟社の開発したプリウス550型だったかしら……」
帝国ホテルの建設用に身の丈6メートルもある古代戦士の甲冑を模した巨大ロボットが何台も鉄骨を運んでいる姿が見えた。遠近法の視界がおかしく見えてしまう。ロボットの頭部にヘルメットを被った操縦者が見える。それより大きな蒸気クレーンや蒸気起重機の姿も見える。まるで巨人国に迷い込んだようだ。
反対側には飛行船や蒸気飛行機が行き交う飛行場が見えた。空中ドックに双胴型飛行船がドッキングする様子が見えた。それより小ぶりな小型飛行船や気球があちこちに見える。化粧品やスチームストーブ、宝石や流行の服など広告用だ。特にグラウシルト社の新型スチームカーの広告が派手で目立つ。
宮葉みぞれは中域の最新科学の成果をまざまざと見せつけられ、子供のように窓にはりついて見学していた。そうこうするうちに馬車はクロイツ城門をくぐりぬけ、中世の面影が色濃く残る旧市街に辿りついた。
窓から眺めると数百年前からある石造りの建築物が佇み、旧市庁舎、市教区教会など豪奢で古びた石造りの建築物が堂々と鎮座していた。街並みの遠く南の丘陵地帯に、インゴルシュミッツ大学の地所が広がっていた。この大学は世界に名だたる学び舎であった。
「……それにしても、この辺は大学町で有名なのに、意外と物々しい城門や外壁が残っているのねえ……あの三角や四角の丸い穴って、弓矢や銃弾を撃つための狭間でしょ」
「正解よ。大学町になる前は、要塞の町だったの……」
「ああ……やっぱりねえ……」
インゴルシュミッツ市は、もとはシュテファン3世が開拓したインゴルシュミッツ公国領であった。旧市街区はヴァイアルン侯爵の領地であり、要塞の街であったが、のちにルートヴィヒ9世が大学を創立した。そして要塞の町は、有数の大学町へと変貌していく。ゴシック建築様式で造った豪勢な城門、天にそびえ立つ塔、切妻屋根の市民の家々、石壁や台場など要塞防備の遺構がかつての威光を偲ばせる。
数百年前からの学問と文化の発祥地であり、中核を担った。ベルデンリンクの名士や学界の著名人はこの大学の卒業生が多い。現在のインゴルシュタットの隆盛はこの大学町にあるといっていい。
華やかな新市街に比べて、旧市街は古びた建物が多く、中世の世界にタイムスリップしたかのようだ。そして、裕福には見えない服装の市民や、貧乏そうな学生、松葉杖をついた片足のない復員姿の男、物乞いをする男の姿が見られる。城門を境に貧富の差があるようだ。
「あら……あれは何かしら?」
宮葉みぞれが指で示す方角には、大学の正門の右側に、身長20メートル以上にも及ぶ巨大な石像があった。鍔広の帽子を被り、ゆったりとしたマントを纏い、ルーン文字が描かれた豪華な椅子に腰かけ、ふさふさの髭を生やした威厳のある老人の姿だ。
「ああ……あれは大学を創立したルートヴィヒ9世が造らせた巨像ね。北域神話の主神ヴォータンよ、軍神や天候神でもあるけど……この都市では知識と医学、魔術の守護神となっているわ……」
「へえ…………」
辻馬車は大学の通用門に正門で辻馬車を降りた。クララはバッグから眼鏡ケースを取り出し、牛乳の瓶底のような眼鏡を出してつけた。
「えっ? 近眼だったの?」
「伊達眼鏡よ……いろいろ面倒だから、目立ちたくないのよ……」
「あっ、確かにクララを見た学生たちがのぼせて大騒ぎになりそ」
そして、二人は守衛に書状を見せ、中に入る。
「うわああああ……」
宮葉みぞれは驚きの連続であった。キャンパスにはさまざまな大陸の人種の学生がいた。金髪碧眼のベルデンリンク人がもちろん多いが、他にも北方の赤毛の人種、暗黒大陸の黒い肌の人種、西域の茶髪茶瞳の人種、みぞれと同じ黒髪黒瞳の東域人もいる。さらに鹿のような耳のエルフ人種、短躯に髭面のドワーフ人種、獣人などの亜人種もいた。
そして、彼ら彼女らはキャンパスで談笑しながら行き交い、芝生で魔法の箒にまたがって空中浮揚の練習をする者、噴水の前で杖を振って水で立像を作る者、ヴァイスハウプト学長の銅像に魔法をかけて国家を唄わせる者、四足歩行の試作機を動かす実験をしているグループなどが見えた。扶桑人のみぞれにはまるで書物の魔法の国へさまよいこんだような錯覚を覚えた。
「さあ、見とれてないで。こっちよ……」
「はっ! そうでした……」
クララ・カリガルチュアは足が止まって見物する扶桑女子の袖を引っぱっていく。書類を事務局に提出し、手続きを終え、鵞鳥のように太った寮母・ケルル夫人に女子学生寮に案内された。
「いいですか、インゴルシュミッツ大学は中域でも由緒ある大学の一つであり、我が大学の卒業生には現学長のヴァイスハウプト学長、グラウシルト財団会長、クニッゲ男爵、政治家のベルヒトルト氏などがいます。あなた達も彼らに負けずに勉学に励み……」
みぞれとクララは夫人の話を右の耳から入れて、左の耳から出して、後をついて行く。部屋は森林に囲まれた三階立て寮の一番奥、320号室だ。二人の荷物はすでにポーターが運び入れていた。みぞれは行李を、クララは木箱を開けて生活必需品と教科書、筆記具などを棚に整理しはじめた。
「まさか、同じ部屋になるとはね……」
「ちょうど、空室があったのでしょう。留学生と転校生同士、仲良くしなさいということかしら……」
「なるほど……そうかも」
「そういえば、たしか扶桑国って長く鎖国をしていたって聞いたことがあるわ……いつの間に開国したの?」
「ああ……二十年くらい前からだよ……」
扶桑国はラドラシア大陸の東域の果ての海を越えた小さな島国であったが、黄金の産出量が世界一あったため、大陸中域でも“黄金の国”として有名であった。
長らく鎖国していた扶桑国であったが、伊達幕府の方針転換により、大陸の先進国に使者や留学生を送って、進んだ学問を修める方針となったのだ。それというのも、数十年前から黄金の産出量が減少し、国力が衰退しはじめたためだ。資源の少ない扶桑国は大陸の進んだ文明を取り入れて、産業を起こし、国の立て直しを図っているのだ。
伊達家の上位武士で旗本五千石の宮葉家に生まれたみぞれは、最新医術の本場であるベルデンリンク帝国への海外派遣留学生の応募に受かり、蒸気船、大陸鉄道、気球船を乗り継いで大陸の中心まで旅をしてここまできたのだ。
「本当はもっと前から留学の話はあったんだけど、ほら……南北戦争があったじゃない……」
「ああ……そうね……ひどい時代だったわ……」
クララの美貌に暗い影が落ちた。