魔道士クビーン
その頃、古着屋通りの南からの入り口前に、クルーグハルト警部からの連絡が途絶え、心配した市警の緊急蒸気式車両の刑事や騎馬警官たちが集まっていた。だが、通りとの境に透明な壁があって入れない。
「だめだ……古着屋通りに入れない……魔術師の結界だな、こりゃ……」
「どうします……」
「魔術師ギルドに連絡して、結界を解くんだ……」
「しかし、もう魔術師ギルドは終業時間で……」
「なんとか、ギルド長か結界魔術師に連絡をとるんだっ!」
迷路世界にさまよいこんだクララとみぞれは、怖気づいたヘアの後を追って、彼が開けた扉の向こうに入った。そこは、現実にある栄光の手亭の客室だった。部屋の画室内には怪物が描かれた素描が飾られ、画架のキャンバスとサイドテーブルに置かれた画材の前にクビーンは立っていた。
「クビーン様! お助けを……」
油絵『古着屋通りの斬り裂き魔』に筆を置いて、念力を送っていた魔道士クビーンは不機嫌な顔でヘアを睨む。傍らには身長2メートル半もあるシルクハットに燕尾服の骸骨が、三日月鎌をもって背を屈めていた。
「ええいっ! 援護魔法の集中を乱すな……役立たずの凸凹コンビめがっ!」
突然、ヘアの肥満体がくの字となって曲がり、クララとみぞれに向かって弾丸のように飛んできた。二人の医大生は慌てて左右に避ける。ドアごと迷路廊下を突き抜け、放物線を描いて廻廊の中心にある奈落へ落下していった。
「ア~~~~~~~~~レ~~~~~~~~~~~!!!」
魔道士クビーンがモジャモジャの金髪を揺らし、ギラギラと光る眼で二人を睨みつけた。シルクハットの骸骨紳士が鎌を振るう。紫色の衝撃波が飛び、二人の女学生を襲う。
「油絵なんて、しょせん、帆布と油絵具……火精の魔法に弱いはずよ……魔力『火焔烈矢』!」
クララの手の平から火球が生じ、炎の弓矢となって油絵『古着屋通りの斬り裂き魔』に命中する。
「ふはははは……莫迦め、いざという場合に備え、キャンバスには耐火魔法がかけてあるわい!」
「うぅぅぅ……」
悔しげな魔力者の少女は、周囲を見回す。壁に貼られた怪物画、衣装箪笥、画架、画材の置かれたサイドテーブル、乱雑に食器のおかれたテーブルなど……そして、あるアイディアが閃く。
「みぞれ、耳を……」
金髪眼鏡少女が黒髪少女に作戦を言い渡す。
「なになに……なるほど、それでいきましょう……」
「ええい、小娘ども……何か策を思いついたようだが、無駄なことよ……吾輩の魔力術式『歪んだ真珠』の邪魔はさせんぞっ!!」
壁に貼られていたペン画や水彩画の絵から、下半身が白骨化した馬に乗る骸骨騎手、空飛ぶ怪魚、腹の出た半骸骨人間、手足が鎌状の女、首長竜と馬を合わせたような怪物、左目が巨大な風船のような頭蓋骨、その他奇獣魔鳥妖魚怪虫といった狂気の怪物群が浮き出して実体化し、二人を襲いだした。
みぞれが飛んでくる怪物群を仕込み太刀で斬り下げ、突き刺して倒す。神職でもある鍛冶職人が精練した刀は、魔を祓う力があるのだ。画妖どもが紙となって消えてゆく。クララも魔風刃を乱れ撃ち、画怪どもを薙ぎ倒した。が、次々と絵の怪物は出てくる。みぞれが骸骨紳士の三日月鎌を仕込み太刀で受け止め、競り合いとなる。
「ふはははは……吾輩の芸術の源泉は恐怖心! 怪物は人の恐怖心が生み出したもの。人間が存在する限り恐怖心は消えん。吾輩は恐怖を絵に具現化し、原初の混沌に触れ、『魂の黄昏』から生じる恐怖を凡人に見せつける者だ……怪物たちと永久に闘っていたまえ……」
「……なにを言っているかわかんないけど、とにかく魔術式を解いてもらうわよっ!」
クララが魔道士クビーンに向けて、火焔烈矢を打ち出す。だが、クビーンは透明な防御障壁を作成し、すべて跳ね返す。
「魔道士本体を倒す作戦か……だが、吾輩の敵ではないわ!」
「引っかかったわね……」
みぞれがサイドテーブルに辿りついていた。あるものを手に取る。
「それは……しまった!!」
みぞれの手で修復用溶剤の缶が握られ、蓋がこじ開けられた。
「よせえぇぇぇぇぇ!!!」
大量の溶剤が油絵『古着屋通りの斬り裂き魔』に振りかかった。奇怪な幻想画は、溶剤の化学反応により、ドロドロに溶け崩れていく。魔術の媒介たる油絵の消失……それは、魔力『歪んだ真珠』が敗れた瞬間であった。




