天変地異
それは信じられない光景であった。西の街の建物の集まりが斜めになり、石畳で覆われた大地ごと斜めに傾いでこちらに迫ってくるのである。一番奥を見れば、何十軒もあるアパートメントや古着屋、飲食店などの店舗の三階四階の建物群が真横になって見える。
例えるなら、柔らかいゴムの板の絨毯上に作り上げたミニチュアの建物や外灯、石畳の道が片方からゴム板を持ち上げて丸めていく光景のようだ。天地が丸まっていく驚天動地の怪現象であった。
「もう一人の魔道士の術か……」
霧の向こうから、路上にあるゴミ捨て缶や木箱がこちらに転がってきた。さらに、駐車しているスチームカーや荷車が音を立ててこちらに押し寄せてくる。背後から悲鳴が聞こえた。生き残りの警官隊が東側の街へ転がっていったのであろう。レザーチェとイミルは左右にあるガス灯の根元に捕まって、転落をまぬがれた。だが、憎らしいことに、ズィーガーは重力や引力の軛も無視して、地面の石畳に垂直に立ってすまし顔だ。
栄光の手亭の三階にある一室に、ベレー帽にルパシカを着たモジャモジャ金髪の偏屈な画家、魔道士クビーンが魔法水晶を覗きこんでいた。ズィーガーの持っている端末から映像が映るのだ。
部屋には画架に置かれたキャンバスと、サイドテーブルには油絵具、フレスコ・テンペラ絵具、画用液、顔料、油壺、パレット、パレットナイフ、修復用溶剤、筆洗器、蜜蝋、石膏ボード盤などが置かれていた。部屋の壁には奇怪な怪物を描いた、素描やペン画、水彩画が貼ってあった。その中に無限階段のある廻廊の絵もあった。
「ふふふふふ……ズィーガーの奴……奥の手など使う前にレザーチェを散々いたぶってから始末する、とか言っていたくせに、やはり吾輩の魔力『歪んだ真珠』に頼る結果になったか……」
画架に置かれた油絵はさきほど、古着屋通りで描いていたものである。クビーンが精魂こめて描いた絵は、その絵に描かれた範囲に限り、自在に変容させることが出来るのだ。ただし、あらかじめ絵に描かれた者は、絵の魔術の影響を受けないのである。魔法油絵に魔道士クビーンが筆を突き、念力をこめると、キャンバスに描かれた油絵がズズズッ……と、ゆっくりと動きだした。通りの南側から徐々に丸まった絵に変化している。
「魔力『地動回天』の術!」
「アゥゥゥ……ジメン……ナナメ……フシギ……」
「敵の妖術に違いない……イミル、ガス灯にしっかりと捕まっていろっ!」
魔力で70度に傾いた石畳の路面を重装甲甲冑の魔道士がガシガシと歩み寄り、ガス灯にぶら下がるレザーチェに向かって右手を突き出した。右手がトゲ突きの鉄球フレイルに変化。3メートルもある鉄鎖に繋がれた鋼球を回転させ、遠心力でレザーチェの胴体に叩きつけた。
間一髪、避けたが、鈍い音がしてガス灯の真鍮製の鉄柱がへしゃげた。灯りは当然消えている。レザーチェは鉄球フレイルが届く前に、鉄柱を踏み台にして急斜面となった石畳に立つ甲冑魔道士にむかって跳躍。首のつなぎ目を狙って上段から斬り下げる。が、左腕が鉄の槌矛となって食い止める。
「まだまだぁぁ!!」
右腕の鉄球フレイルの形状が数十本の鉄条網と化して青髪の賞金稼ぎを縛り上げる。鉄の刺が美貌の騎士の肉体を傷つけ、拘束する。
「うぐああああっ!!」
「ざまあみろっ! 散々いたぶってから、五体を切り刻み、最後に貴様の綺麗首を剥製にして部屋に飾ってやるぜっ!」
ガス灯にぶら下がったイミルが痛ましげにレザーチェに視線をおくり、甲冑魔道士に憎らしげな視線を向ける。
「レザーチェ…………」
「ああぁぁん……出来そこないの死人兵士のくせに、一人前に俺が憎いか? なら、あとで一緒にあの世へ送ってやるよ……ぐひひひひひ……」
「イミル……オコル!」
地面はすでに90度の直角になっていた。人造巨人イミルがガス灯をよじ登り、自重で折れ曲がっていく。だが、足で煉瓦塀を蹴り上げ、ガス灯の柱が垂直に立つズィーガーに向かって曲がっていく。イミルは板金鎧の魔道士に飛びついた。慌てたズィーガーは両腕を槌矛にして、イミルの背中を乱打する。
「ええいっ、放せ! やめろおぉぉぉっ……怪物っ!」
「レザーチェエエエエエエッ!!」
ハッと気がついたズィーガーはイミルの視線の先を見た。そこには……




