栄光の手亭
「あやややや……なにこれ、景色が変になっていくよ……」
「魔力者の独自魔法ね……ズィーガー以外にも敵がいるわ……」
葬儀馬車の中に隠れていた二人の喪服に黒いベールの女……クララ・カリガルチュアと宮葉みぞれが怪現象の正体に気がついた。類い稀なき剣技をほこるレザーチェとはいえ、魔道士の謎の攻撃とペストマスクの怪人の援軍があっては不利である。
「そういえば、あそこの刑事さんが、鳥怪人が油絵から出てきたとか、言ってたわねえ……」
「もしかして、そいつが魔道士!」
黒いベールの女が二人、負傷して倒れているコリント刑事に近づいた。歪曲された背景を見れば足がふらつくので、足元を見て歩く。みぞれが携帯の布で応急手当をする。
「さっき、油絵から化物が出てきたとか言ってましたね?」
「ああ……さっきまで、クビーンという画家がここで絵を描いていたんだ……」
「そのクビーンという画家が何処へ行ったか教えてください!」
「……その先にある……ヴィルヘルム・ベルクが経営する下宿屋……『栄光の手亭』に帰らせたが……」
「ありがとうございます!」
二人の喪服の女が旅館へ向けてよろけながらも、走っていった。
「ぐひひひひひひひ……まともに立ってもいられねえだろう、レザーチェ!?」
板金鎧の魔道士が、よろめく青髪の賞金稼ぎにウォーハンマーを叩きつける。が、なんとか飛び退いて避けた。ズィーガーは両手を槍穂にかえてレザーチェに乱撃を送った。
さしものレザーチェもかわし切れず、手足に軽傷を負い、血飛沫が飛び散った。まるで猫が鼠をいたぶるかのような残酷なショーだ。不思議な事にズィーガーや仮面男たちは三半規管や体幹機能に異常はないようだ。建物を歪ませた魔道士の力と思われる。
「どうした、どうした……足がもつれてるぞ、レザーチェ!」
「くそっ……この歪んだ世界は……もう一人の魔道士の魔法か? 幻術か?」
「その通りよ……だが、貴様に破ることはできねえぜ!」
一方、クルーグハルト警部たち警官隊も鳥仮面の怪人たちに苦戦を強いられていた。古着屋通りの歪曲された空間警棒で彼らもまともに立っていられず、戦闘力が著しく低下。そして、敵を叩いても、ピストルの銃弾が当たっても、平然と鉤爪で襲ってくる。犠牲者が増える一方だ。クルーグハルト警部たちはスチームカーを盾にして身を隠した。
「くそっ……なんなんだ……このねじくれた建物は……足がふらつく……」
「まったく……なんなんでしょう……」
喪服の女たち……クララとみぞれは葬儀馬車の手綱を引いて、少し離れた建物に向かっていた。歪んだ台形のごとき輪郭に、ギザギザの不規則な三角屋根になっている。
「あった……あれが……」
黒いベール越しに三階建ての下宿屋が見えた。看板に『栄光の手亭』と書いてある。ひしゃげた台形のドアを、カウベルが鳴らし、開いて中に入った。玄関ホールは歪んだ背景ではなく、正常なものだ。
玄関の大広間には鹿や熊の頭部の剥製が飾ってあり、右手の戸棚には鷹や鷲、孔雀の剥製が陳列している。左手には異国の民芸品とおぼしき仮面、人形や笛や太鼓などの楽器が陳列している戸棚がある。
フロントにひょろ長い背丈の男がいて、太ったコックと談笑していたが客に気がつくと、背を向けて厨房へ去った。
「……いらっしゃいませ……うちは下宿屋なんで、一ヶ月以上の契約からですよ……旅館なら、隣の占星術通りにありますが……」
「私たちは宿泊客じゃないの……この宿に有名なクビーンという画家がいると聞いたんだけど……」
「ああ……先生のファンですかい? 生憎だけど、先生は仕事中で、面会謝絶というお達しでしてねえ……」
みぞれはフロント係の顔に既視感があった。
――あの人……どこかで見たような……
「あら、そう……でも、そういわずに……」
クララがフロント係に金貨を握らせた。男は卑しげな笑みを浮かべて、「特別ですよ……」と、いって八畳ほどの遊戯室に案内した。ビリヤードやダーツなどがあり、他の客はいない。暗黒大陸の民芸品である仮面が壁に飾ってあって、気味が悪い。画家クビーンと交渉してくると、ドアをしめて去る。みぞれがクララの耳元により、小声で囁く。
「そうだわ……思い出したっ!」
「なによ、みぞれ……」
「ヴィルヘルム・ベルク……ロドニア語でいうと、ウィリアム・バーク……あの男は、フランケンフェルド教授の館にいた死体調達人よ!」
「なんですって……こんなところに身を隠していたのね……」
そのとき、部屋の壁に飾ってあった仮面の口々から、シュウシュウと何かの気体が噴き出してきた。無色無臭だが、少し吸っただけで、顔の筋肉がゆるむのを感じた。
「なに……これ!?」
「これは……笑気ガスよ、クララ! ……吸っちゃ駄目よっ!」
みぞれがハンカチを出して口元を覆い、クララもそれに倣った。




