真夜中の葬儀馬車
石畳をガタゴトと馬車が通った。二頭立て馬車で、荷台に黒塗りの箱のキャビンがある……葬儀馬車だ。黒いベールを被った喪服の女が馭者をしていた。夜霧のため、ノロノロと徐行している。
「なんだ、葬儀馬車か……」
「いや、待て……怪しいかもしれん……」
古着屋の一室に隠れて張り込みをしていたコリント刑事が安堵すると、クルーグハルト警部は葬儀馬車にギラリと目を光らせた。他に参列者の乗る馬車がないのはおかしい……
警部と刑事は葬儀馬車を止めて、誰何した。黒いベールの女は、身内の者が伝染病で亡くなり、北の森にある葬儀場へ運ぶ途中だという。
「……そうか、一応、棺の蓋をあけてくれ……」
「そんな……叔父は赤痢で亡くなりましたのよ……警部さんたちも感染の恐れがありますわ……」
細菌性赤痢は、患者や健康保菌者の糞尿および汚染された手指、食べ物や水、ハエなどから伝わる。きわめて少ない菌量でも発症し、家族内でも二次感染の恐れがある。発症するのは大体1~5日後だが、なかには12時間後に発症する者もいる。むろん、死体からも周囲の人間に伝染する。
「やめましょうよ、警部、赤痢菌に感染してしまいますよ……」
「いや……俺の長年の刑事の勘がこいつは臭いといっている……開けさせてもらうぞっ!」
黒いベールの女が悲鳴をあげるなか、クルーグハルト警部は葬儀馬車のキャビンに飛び乗り、強引に後部扉を開いた。もう一人の喪服にベールの女がいて、開けてはならぬと懇願したが、警部は拒絶し、彼女を外に出した。真っ暗なキャビン内に棺があった。いや、棺ではなく、飾り戸棚だが……警部は恐れずに観音開きの蓋を開けた。
棺の中には……青い闇が犇めいていた。深い海の水底に眠る非凡の容色の若者。躍起にはやるクルーグハルト警部が現実から乖離し、絶対美の世界に恍惚の表情を浮かべた。が、銃弾をかい潜り、犯人逮捕に血道をあげてきた刑事の鋼の意思が現実に引き戻した。
「やっぱり、青髪の男だっ! 賞金稼ぎのレザーチェに違いないっ!」
「さすがは、鬼警部どのっ!」
警部が両手を胸前に組む、青い髪の若者に手錠をかけんと右手を取る。が、ピクリとも動かず、死んだように冷たい。脈をとってみると、動いていない。胸に耳を当てる。心臓の鼓動はなかった……
「なっ……死んでおる……」
「えっ!!!」
その時、遠くで叫び声がした。呼子が夜霧のなかで谺する。警官が笛の鳴る位置に集まる気配がする。
「青髪の殺人鬼が現れたぞぉぉぉぉっ!!」
霧の中から長剣を握った黒いレザーコートに黒い三角帽を被った男がやってくる。血塗られた剣を持った男の髪の色は海碧色だ。帽子を庇にして顔は見えない。
「なにっ!!! 青髪の男がもう一人……いや、奴が本物の殺人鬼に違いない!」
警部が葬儀馬車のキャビンから飛び出し、拳銃を出して他の刑事警官らと青髪の殺人鬼を包囲にまわった。
「武器を地面に捨てろっ! さもなければ撃つぞっ!」
クルーグハルト警部たちが一斉に銃口を向けた。黒帽子をかぶった青髪の殺人鬼は血刀を下げたまま、身じろぎもしない。その黒いレザーコートが夜霧に包まれていく。一方、警官隊が縄と手錠をもって青髪の殺人鬼に飛びかかった。
「うわあああああああああっ!!!」
霧の中で悲鳴が聞こえ、警官が倒されたシルエットが見えた。長い鉤爪を持った影が見える。殺人鬼には仲間がいたのだ! 夜霧の中から仲間の上半身がやってきて、ガス灯に朧に浮かんだ。黒い鍔広帽子に黒い外套、その影はすべてが黒ずくめの異形の姿をした怪人であった――顔の目にあたる部分が髑髏のように丸く暗黒であり、口にあたる部分がニュッと突き出て、鳥の嘴となっていたのだ。両手の先が長い鉤爪になっているようだった。警官が警棒を鳥人間の肩に腕に腹に叩きつける。
が、ビクともしない。怪人間は鉤爪で警官たちを斬り裂いて行く。次にピストルを構えた警官たちが一斉に仮面男の胴体に射撃する。五発の鉛玉が着弾し、血が噴き出て、鳥人間がのけぞる。だが、次には何事もなかったように前進してきた。
「なっ……なぜ、銃で撃たれたのに動ける……」
「なんなんだ……アイツは……」
「警部殿……あの化物は……画家が……クビーンが描いた油絵の中にいた化物じゃありませんか!?」
「ううぅぅむ……そういえば……まさか、あの画家はこの化物の出現を予知していたのか?」
「それとも……あの奇怪な絵の中から、この世に産み落とされた化物なのでは……」
コリント刑事が蒼白な表情で上司を見つめた。




