魔獣跋扈
「ほう……まあ、俺も戦時中には脳を損傷して記憶を失くした奴をたんと見た。気長に回復を待つんだな……」
ドレッドヘアが黒いベールの女・カリガルチュアに視線を向けた。
「ところで、あんたはこの青い兄さんのマネージャーかい?」
「いいえ……私も賞金稼ぎ……いえ、操り人形師が正しいかしら?」
黒いベールの女が視線を青髪の男に向ける。武闘士グリートもつられて視線を追う。
「操り人形って、もしかして……この青い兄さんが人形かい……」
「その通りよ……レザーチェは戦いしか能のない人形よ……それも残酷な殺人人形……」
相棒に見えたカリガルチュアの……意外にも憎悪のこもった答えに、さしもの武闘士が黙りこんで口を挟まない。戦いを稼業にするものにはワケあり話はつき物だ。だいたい怪物退治や賞金稼ぎを生業にする連中は人間的にまともな奴はほとんどいない。
お互い深入りしないのは暗黙裡の礼儀である。レザーチェは相棒の態度にたいして無表情であった。そして、何事もなかったようにドレッドヘアの武闘士に話しかけた。
「ところで、さきほどもいったが、お前たちには死相が見えるのだが……」
「けっ、この稼業には死神がつき物さ……それに、どこで野垂れ死んでも文句のねえ連中さ……俺も含めて、な」
「そうか……」
「おっ……そろそろ、奴さんのお出ましのようだぜ……」
窓の隙間から様子を見ていた小柄な武闘士が、短剣の鞘を引き抜いて無言でアイコンタクトを送ってきた。レザーチェとグリートも隙間から窺う。外には秋の夜霧がたちこめていた。針葉樹の森の奥、灌木の茂みに赤い鬼火が合計四つ揺らめいていた。
いや、それは鬼火ではない、魔獣の瞳が月光に反射して輝いていたのだ。赤い陰火は漆黒の毛皮をもつ魔犬オルトロスの目であった。夜霧の向こうに巨犬のシルエットが見え、犬首が左右に二つあるのが見える。右の首は鹿の大腿骨らしきものを咥えていた。双頭の怪物は墓石や十文字の墓標をよけて、真新しい墓土のある場所へたどり着いた。
その大きさは体長3メートル以上にみえた。納骨堂にひそむ武闘士たちは気配を押し殺し、冷たい汗をかいて板戸の隙間などから相手を窺っていた。地面に埋まっていても野生の動物には死骸の臭いが嗅ぎ分けられる。ましてや魔獣クラスとなると、野生動物よりも嗅覚が利く。前脚で土を掘り返し始めた。が、突然、闇夜に金属音の硬い響きが骨に食い込む嫌な音が聞こえた。魔獣の足に金属製の罠・トラバサミがかかったのだろう。
「きひひっ……莫迦な奴だぜ……」
武闘士たちは地中に仕掛けた罠にかかった魔獣へ駆けだした。武器でトドメをさす心算だ。
「よせっ!」
レザーチェの掛け声をよそに、四人の武闘士が納骨堂から飛び出し、四方から魔獣に大剣や槍を刺突、戦斧を叩きこんだ。
「がぼらっ!!」
が、前面にいた小柄とのっぽの武闘士が血飛沫をあげて倒れ伏す。魔犬の鉤爪に斬り裂かれたのだ。トラバサミには鹿の大腿骨がかかっていた。妖犬は金属罠の匂いを嗅ぎ分け、罠を破る知能を持っていたのだ。
「野郎っ!」
三段腹の武闘士が戦斧を、髭面の武闘士が大剣を両隣から双頭犬の首の根元に叩き込む。が、それより早くオルトロスの左右の首が武闘士たちの頭に噛り付いた。男たちの首は牙でねじ切られ、首無しの体躯から血の奔流があふれ出す。
頭蓋骨がつぶれる嫌な音が双頭の魔犬の口の中から聞こえ、残骸は呑みこまれた。左右の口から血潮がどっとあふれ出た。魔獣はベロリとそれを舐め上げる。双頭犬は黒い体毛で全身に包帯のようなものが所々に巻きつかれていた。伝説にあるようにたてがみや尻尾は蛇では無いようだ。
「くそっ!」
ドレッドヘアの武闘士グリートは仲間の仇とばかりに、十字弩銃を取り出して、鉄の矢柄を魔犬オルトロスの頭部目がけて撃ちはなつ。が、素早く動く双頭の怪物はそれを避けて、ジグザグに走ってドレッドヘアの武闘士に近づいていく。武闘士は十字弩銃を投げ捨て、ツーハンデットソードで怪物の首めがけて振りおろす。が、右の首が牙で刀剣の腹をガッキと咥えこみ、力まかせに奪い取った。
力負けしたドレッドヘアの武闘士が観念してへたり込んだとき、彼は見た、青い疾風を。レザーチェは青いレザーコートを翻し、グレイブの片刃剣が月光に閃く。
魔犬の黒い颶風が青い疾風を噛み砕かんと迎え撃つ。が、青い疾風がグレイブを回転させた。その斬撃は魔獣の前肢を肘から切断。グリートは足元から地響きを感じた。血飛沫を上げて地面につんのめる妖犬の巨体。
レザーチェは黒飛鳥となって高く跳躍した。そして、魔犬の背中に飛び乗り、美しい孤を描いて、刃を下方に薙ぐ。すると、左右の首が切断され、地面に勢いをつけてボールのように転がり、墓石に激突して幾つも倒す。そして、首が無くなってもその巨体は切断面から血を撒き散らしながら、前進を続けていた。が、速度が落ちて、地響きを立てて横倒しになった。
レザーチェの青い影は何時の間にか大地に飛び降り、グレイブを斜めに回して血振るいさせ、何事もなかったように佇んでいる。鉛色のまだら雲から月光が礼賛するかのごとく光輝の梯子をおろした。
「なんて奴だ……仲間たちを瞬殺した魔獣を……こんなあっさり……」
ドレッドヘアの武闘士は、もう、自分は戦士として役に立たないという事を悟った。田舎に戻るか、町でまっとうな商売を探すことを考え始めていた……
「……レザーチェ、これを見て……」
カリガルチュアの指差したものはオルトロスの死体であった。その細指の示す先には包帯が破れ、縫合した傷痕が見えた。つまり、双頭犬オルトロスは魔の森の棲む凶獣ではなく、人為的に製造された合成生物だったのだ。
「やはり、人の手が加わったものか……どうやら、『結社』の仕業のようだな……」
「おそらくね……今までこのベルデンリンク帝国の南部地域にはこの双頭犬のほかにも鷹猿、豹蛇、鰐ゴリラ、河馬海豚といった自然界にはいない異形の魔獣が目撃され、一部は軍によって回収され行方不明よ……」
魔獣オルトロスの死骸は切断面や傷痕から白い泡を放出しはじめた。そして、黒毛に覆われた巨体がグズグズに溶解しはじめた。
「合成生物が死んだ途端に作用する自滅装置のようね……」
黒いベールの女・カリガルチュアがベルデンリンク帝国の南部地域の地図を出してトレランツ村に赤ペンで印をつける。他のバツ印は他の合成生物の目撃か捕獲情報のあった場所だ。それは南部地域をグルリと円環を描いていた。
「この環の中心にあるのは……」
カリガルチュアが赤ペンでバツをつけた場所は地方都市インゴルシュミッツであった――
「ここね……」
「ところで、クララ……言っておくことがある」
「何よ?」
「ここに来るまでに、夢を見た……世界の終焉の夢を……」
「終焉の夢だなんて、世迷言よ……と、言いたいけど、眠り男の見た夢か……予知夢って、こともありえるから怖いわね……」
レザーチェの魔力『未来予知魔眼』は、ときに、眠り男に危険な予知夢を見せることがあるのだ……
「…………」
「もっとも、世界がどうなろうと私には関係ないわ……世界が滅びる前に、父の復讐だけはやり遂げて見せる……」
黒いベールの女は冷ややかに眠り男を見上げた。レザーチェは無表情で、何を考えているかわからない。三角帽の鍔に手をかけた。
「クララ……奴らが来る……」
墓地へと続く道から白い蒸気を吹きだすスチーム車両と軍用馬車の群れが見えた。今頃になって、駐屯地から派遣された合成魔獣の回収部隊がやってきたのだろう。レザーチェは葬儀馬車にカリガルチュアを乗せ、手綱をひいた。
スチームカーと軍用馬車の群れが墓地に到着した頃には、呆けたようにへたり込む武闘士と、四人の武闘士の遺体、骨だけになった魔犬の残骸のみがあった――