イミル
「危ねえよ、嬢ちゃん! 怪物に喰われちまうぜっ!」
イーヴォが慌ててみぞれを捕まえようとしたが、レザーチェが肩をつかみ、押しとどめた。東域の果てから来た少女は巨人が両手で押さえている腹部を見た。
「あなた……イミルという名前だったわね……イミルは剣で刺された傷が痛くわないだろうけど……怖いのね……」
「グルゥゥゥゥゥゥゥゥ……」
巨人は首をうなだれ、痛ましげな声をあげる。みぞれは巨人の大きな手を触り、どくように促せた。イミルはおずおずと手を放す。細い菱形の裂傷ができていたが、半分以上を赤黒い瘡蓋が覆っていた。
普通の人間はこんなにはやく瘡蓋はできない。強化血液に含まれる血小板が特殊なものなのであろう。みぞれはポケットから清潔なハンカチを出してイミルの患部を押さえた。白い布がたちまち赤黒く染まっていく。苦鳴をはなつ巨人イミル。そこへ、レザーチェがやってきて、キャビネットの中にあったシーツを引き裂き、包帯代わりに腹部にまきつける。
「レザーチェの旦那ぁぁぁ……そんな怪物に傷の手当てなんかして大丈夫ですかい? あとで喰われてしまいませんかい?」
「大丈夫だ、イーヴォ……こいつは悪い奴ではなさそうだ……」
「レザーチェ……イミルに魔眼を向けたわね……『魂』のない人造人間に……」
「……イミルの瞳に何か温かい影が見えた……気がした……うまく言えないが、『魂』の可能性を感じた……」
「『魂』の可能性……」
クララ・カリガルチュアが思ってもみなかった言葉を聞いて、声を上ずらせて、背筋をのばした。そして、黒髪のルームメイトに近づく。
「……みぞれ……何故、イミルを助けたの?」
「なんか、同じような目を思い出したのよねえ……言葉を話せないけど、訴えてくる瞳を……」
「何を?」
「仁王丸のこと……あっ、扶桑の実家で飼っていた犬のことよ」
「犬…………」
みぞれはイミルの瞳をみて、扶桑国で飼っていた秋田犬の『仁王丸』を思い出したのだ。野犬との喧嘩で腹部と大腿部を鮮血で染めて戻ってきた愛犬を……医学を志した少女は、さきほどまでの恐怖を忘れ、怪我の手当に向かったのだった。
「そうだっ! クララは治癒魔法を使えたわね……イミルを見てくれない?」
「なっ……なぜ、私が人造人間相手に……」
結局、クララはブツブツ文句をいいながら、イミルの患部に治癒魔法をほどこし、止血した。その間に、針葉樹の森の道から遠く、インゴルシュミッツの城壁がある方角から消防馬車とポンプスチームカーがやってくるのが見えた。誰かがフランケンフェルド教授の館の火災を通報したのであろう。
イーヴォが馬車を路肩に寄せて見送った。教授と男爵たちがどうなったかは分からない。消防馬車の行く手に黒煙が見えた。雷雨が去ったが、まだ小雨がショボショボと降っていた。
インゴルシュミッツの市街地は城壁に囲まれた城塞都市だ。はじめは旧市街だけを包み込むだけの城壁は、人口が増え、発展するにつれてUの字型に城壁を加え、新市街が出来た。さらに、発展し、城壁は拡張されていった。
その郊外の北の森に今は使われていない風車小屋があった。羽根車がのんびりと風に揺れて回転している。その外の厩舎に葬儀馬車と二頭の馬がつながれていた。イーヴォが飼い葉を与えて世話をしている。風車小屋の中の応接間には、レザーチェとクララ、みぞれの姿があった。部屋は割と小奇麗に掃除してあり、簡易食料や衣類、生活に必要な物が容易してあった。
この風車小屋は小麦の製粉用に使われていたが、新式風車が別に製造されて廃棄。地元の発明家が改造して風力発電機の研究をしていたが、不慮の事故で亡くなり、遺族が安売りの貸家として出していた。別室には藁とシーツで作った簡易ベッドで巨人イミルが眠っている。西の森のフランケンフェルドの館から北の森の風車小屋まで葬儀馬車で移動、イミルは布をかけて人目を避けた。
「この風車小屋にレザーチェさんが住んでいるのね……」
「そうだ……敵が多いので、街の宿ではなく、ここを借りて拠点にしている……」
青髪の賞金稼ぎが湯気の立つ紅茶を持ってきた。樽の即席イスに腰掛け、頂いた。飲むと雨で冷えた体が温まる。
「ん……紅茶の淹れ方は上達したようね……」
クララが日向ぼっこをしている猫のように目を細め、満足げだ。みぞれも心がほっとして緊張がゆるむ。すると、お腹がキュルキュルと鳴り、赤面した顔を両手で顔を覆った。
「ううぅぅぅ……よりによって、クララとレザーチェさんの前で……」
「私もお腹がすいたわ……そういえば、昼食を食べてなかった……」
三人は小屋にあるパンと干し肉、乾燥野菜を頂いた。そしてクララに促され、レザーチェとクララ・みぞれ組の調査結果を話し合う。ボルガンを追ったレザーチェは、廃教会の地下にイルミナティのアジトの一つがあり、魔道士クヴェレと交戦して勝利。だが、イルミナティ総帥の勧誘を蹴ったレザーチェは、地下に仕掛けた爆発物で大崩落にあい、生き埋めになりかけた事を報告。
「ええっ!! そんな地下深くの落盤から、どうやって助かったんですか!?」
宮葉みぞれが立ち上がってレザーチェに質問する。




