眠り男レザーチェの謎
「なにそれ……普段はずっと、眠っているのが普通の状態だとでもいうの?」
「そうだ……我は永劫の眠りの呪いをかけられた“眠り男”ゆえに、な……」
ともかく、レザーチェを長椅子に座らせ、地下室にあるキャビネットに隠した。第五元素の研究書類も誰にも知られない場所に隠す。
そして、クララは電話で伯父のドロッセルマイヤー教授に連絡をした。驚いたドロッセルマイヤー教授は警察と一緒に館へきた。白髪白髭のサンタクロースのように恰幅のよい紳士は、うちひしがれる姪のクララを抱きしめた。安堵したクララは気を失い、自室のベッドに運ばれた。
その後、警察が呼ばれて捜査が始まった。結果的に、カリガルチュア家は元使用人だったギルベルトが、ドーフラインという魔道士崩れの男を誘って、カリガルチュア家に強盗にきて、家人と闘争のうえにほとんどの住民を殺害したが、犯人二人も刺殺された……と、いっても不可解な点と謎が多すぎた。生き残ったのはミヒャエル博士の一人娘・クララだけであった。
このブランデンブルク市郊外で起こった名士カリガルチュア家の惨劇は一大センセーションな事件として世間を恐怖させ、新聞や雑誌をにぎわせ、世間ではその話で持ちきりであった。だが、二カ月も過ぎれば、国務大臣の横領事件に世間の関心は移っていった……
クララ・カリガルチュアは世間の好奇の目をさけ、伯父のドロッセルマイヤーとハンバーホ市に移り住み、静かに時を移した。ドロッセルマイヤー教授は機械工学者であり、ロボット工学者で、自動人形師でもあった。自動人形甲冑の研究で著名でもある。
彼は妹ロスヴィータの遺児であるクララの父親代わりに奔走し、世間から守り、愛情を与えた。肉親を失った悲しみは彼女の心を閉ざしていた。だが、ドロッセルマイヤー教授は知らなかった。美貌の姪の内部では、最愛の父を奪った復讐の炎が熾火のように燃え続けていることに。
そして、閉ざされたカリガルチュアの館から、ドロッセルマイヤー教授の館へ運ばれたクララの荷物のうちに、棺桶と同じくらいの大きさのキャビネットがあった。そのキャビネットはドロッセルマイヤーの館の地下に隠された。
教授が新しい仕事先に向かってから、クララは燭台をもって地下室へ降りていった。地下の一室に棺大のキャビネットが安置してあり、観音開きの扉をあけるとレザーチェはいた。睫毛の蒼い美貌の男は死者のように静かに眠っていった。
クララは死んでしまったのかと心配になり、レザーチェのたくましい胸に耳を当ててみた。心臓の音が聞こえない。鼻孔に手鏡をあててみる。鏡面に水蒸気がつかない。肌を触ってみると、死後硬直はしておらず、人間の柔らかさを保っていた。しかし、体温は極度に低い。
「もしかして、死んでしまったのかしら……それとも、死の呪いとやらで麻酔状態か、仮死状態になったのかしら……」
クララ・カリガルチュアは魔法魔術学と呪術学の知識を思い起こすが、人間を仮死状態にするものはなかったはずだ。
薬学については近代になってから、扶桑国の華岡青洲という医学者が開発研究した世界初の実用麻酔薬がある。それ以前にも阿片やフグ毒などによる麻酔は中世からあった。だが、それは死と隣り合わせの危険なものだ。レザーチェは薬物による麻酔状態ではないと思われる。
「そうだ、あるいはクマみたいな冬眠状態なのかしら……」
冬眠とは、哺乳類や鳥類の一部が、冬を越すため、食いだめをし、体温を低くして、生命活動を一時的に停止して過ごす生態のことだ。ネズミやリスなどの小型哺乳類からクマなどの大型哺乳類などが良く知られているが、人間は冬眠しない。呪いや魔法で人間や生物を石に変えたり、麻痺、金縛り、毒物症状などにする術はある。だが、冬眠状態にする魔法など聞いたことはない。
冬眠をするリスの研究結果では、普段の活動時期に心拍数が毎分400回だが、冬眠状態になると毎分10回以下になる。呼吸も普段は毎分200回なのに比べ、冬眠時期は毎分1回から5回の無呼吸状態となる。体温は37度から5度に低下する。
眠り男レザーチェは『死の眠りの呪い』で、それよりさらにロースペースの冬眠状態となったのではないだろうか。動かない心拍や脈拍も長時間の観察で、動くのがわかるのかもしれない。
魔法学者や科学者ならば喜んで研究する素材であろう。だが、クララそんな悠長な観察などをする気はまったくなかった。
「こいつは男のようだけど、童話の『眠り姫』や『茨姫』を思いだすわねえ……もしかすると、童話の元になった実在の魔法使いの話があるのかもしれないわ……」
西域から中域にかけて語られる『眠り姫』『茨姫』の話はいろんなパターンがあるが、共通する点は、子供がめぐまれない王と王妃に女の子が授かり、喜んだ王と王妃は国中の魔法使いを呼ぶ。だが唯一呼ばれなかった魔法使いが、王女が15歳になると死ぬ呪いをかけた。他の魔法使いたちは呪いを解呪することはできないが、弱める事はできるといい、王女は死ぬのではなく、百年間眠りつづけたのちに目を覚ますと、呪いを変えたのだ。
「歴史は常に勝者に都合のよいように変えられ、真実の歴史は替えられ、消されていく……過去にはあったが、今は消えた魔法呪法による症状かも……まあ、そちらはのちに調べるとして……」
とにかく、死の眠りの呪いとやらで、休眠状態にいるレザーチェを覚醒させなくてはならない。だが、どうやって?
「王女は最後に王子のキスで目覚めるのだったわねえ……」
クララはレザーチェをちらりと見る。美貌の青髪の青年がいた。彼とキスをする……そう考えるとクララは頬が紅潮してしまう。が、強く首を振る。
――父に手をくだした男になぜそんな事を?
再びクララは復讐の炎を燃やし、手がかりを求めて、謎を研究する学者となった。なにかに集中しないと、己が壊れてしまいそうな気がしたのだ。アプローチを変える事にする。
「スヴェンガルドとかいう魔道士は催眠魔眼でレザーチェを操っていた……同じ催眠魔眼を持つ私も眠り男を操る事ができた。ならば、起こすことができるはず……」
とにかくこの眠り男レザーチェを起こして尋問する必要があった。クララ・カリガルチュアは奇しくも、復讐の相手である魔道士スヴェンガルドと同じ独自魔法『催眠魔眼』を発動する。瞳が金色に輝きはじめた。
「死の眠りから目覚めよ……レザーチェ!!!」
キャビネットの中の美しい死体と見えた男の蒼い睫毛がピクリと動く。母の残した催眠魔眼の関する研究ノートにあった古代呪文を詠唱する。これは魔力を増幅させる力がある。永劫の眠りの呪いについた眠り男レザーチェが目覚めた。催眠魔眼は本来、瞳が金色に輝いた瞬間催眠状態にするものである。
が、魔力を秘めた言霊は呪いの眠りについた者をも暗示にかけ、魔力を注ぐことで操ることができた。クララはとにかく、機械人形のように感情のないレザーチェを毎日のように質問責めにして、わかった情報をノートにしていった。
どうやら、黄金の仮面の魔道士は何処からか、レザーチェが封印された棺を見つけだした。そして、剣技の腕を買って部下にした。自我が目覚めて逆らったりしないよう、仕事に使う以外は極力、棺の中で眠らせていたらしい。
「自我が目覚める? 自我があるの……殺人人形のあなたが?」




