魔道士クヴェレ
「ぶははははは……レザーチェとやらめ、もうニクシーたちに喰われたか……」
礼拝堂地下に広がる隠し通路。その先に広がる地下広間に浸水した黒い水。そこに湧き上がった赤い血。それは異界の湖に通じる魔の水で、眠り男レザーチェは水魔ニクシーたちによって水中に引きずり込まれ、牙で噛みちぎられ、骨と化しているのだろうか……
黒い水面に何かが浮かび上がってきた。死体のようである……
「ややや……これは……」
浮かんできたのは銀鱗の魚体であった。それが黒い水と化して、飛び散る。その間から、黒水にまみれた眠り男の半身が浮かび出た。
「どうやら貴様のつくり出した魔法生物だったようだな……」
「おのれ、レザーチェめ……まさかニクシーの魔力を破る者がいようとは……」
レザーチェが左手を魔道士に向け、籠手が機巧仕掛けで金属アームが両側に広がり、弓弦がピンと張りつめ、弓矢が魔道士クヴェレの腹を突き刺した。
「ぐえええええっ……儂の腹がぁぁ……なんてな……儂は不死身の液体人間ゆえ、死なぬわい!」
「不死身だと?」
魔道士クヴェレの腹に突き刺さった矢が波紋を描いて呑みこまれていく。そして、口から鏃が見え、逆にレザーチェに射出された。青髪の賞金稼ぎはグレイブを回転させて弾き返す。その間にも、床下の黒い水が魔道士クヴェレにむかって波音をたてて集まりだし、黒い水球と化して地下大広間の空中に浮かび上がる。まるで巨大な黒い気球のようだが、表面は水流が渦巻き水の惑星のようだ。なんという異様な景色であろうか。
「魔力『暗闇水』の恐ろしさを思い知るがいいわい!」
黒水球から細い水流が撃ちだされた。レザーチェが木の机を蹴り上げて盾にする。木板が水流により切断された。加圧された水を小さな穴を通して放出する細い水流は、ウォーター・カッターとなるのだ。黒水球から今度は四条のウォーター・カッターが噴き出して、青髪の賞金稼ぎを狙う。
地下広間の木箱や衣装箪笥を防塁にして、レザーチェが逃走する。ウォーター・カッターは容赦なく家具を切断破壊していく。行く手は死体を運んでいったイルミナティの構成員たちが通った地下通路だ。そこまであと少しというところ。突然、通路の入り口に鉄の落とし戸が降りてきて塞いだ。礼拝堂へ続く地下通路にも鉄扉が降りていた。
「逃さぬぞ、レザーチェ……お主はもう陽の光を拝むことはない!」
黒水球の中から魔道士クヴェレが叫ぶ。宙に浮かぶ黒水の小惑星は、表面がボコボコと蠢き、四方向に丸太のようなものが突き出た。水面に二つの目玉が生まれた。瞳が丸では無く、横に楕円だ。黒水球はボコボコと茶褐色のイボだらけの肌になり、丸太は手足となり、指先に水かきができた。そして、全長5メートル以上もの巨大なガマガエルに変化した。
「魔力『巨大蝦蟇』!」
「ガマガエルに似た奴だとは思ったが、本当にガマガエルになるとはな……」
「抜かせ……それより命の心配をするのだな!」
巨大ガマの口が開かれ、黒い霧が吹き出された。黒い気体は密閉された広間に充満していく。レザーチェが袖口で鼻孔を覆い、後ずさる。毒を吸ってしまったのか、身体に痺れが走る。
「うぐぅぅ……毒の瘴気か……」
身体能力の鈍ったレザーチェに、ガマガエルの口から赤黒い舌が伸ばされ、レザーチェに絡みついた。そして、怪両生類の口腔内に引きずり込まれた。ガマガエルは変形し、再び黒水の小惑星に戻った。
レザーチェは黒水の牢獄の虜囚となったのだ。煉瓦壁の一面に、スッと長方形の筋が入り、上に引き上げられた。隠し扉からローブ姿の肥満漢が出てきて、壁は元通りにしまる。
「ぶはははははははは……毒気に犯され動けまい。毒水を飲んで中毒死するか、暗闇水で溺死するか……美しき賞金稼ぎが土佐右衛門のごとき醜い死体と化すのをじっくりと観察する事は、なにものにも引き換えがたい愉しみだて……」
魔道士の残酷で狂気をはらむ哄笑が地下大広間に響きわたる。美しいものに対して、歪んだコンプレックスを内包しているようだ。レザーチェはこのまま黒水球の牢獄で溺死してしまうであろうか……
「……そこに本体が隠れていたか……」
「なんじゃとぉぉ…………むごげらああぁぁっ!」
笑い続けた魔道士クヴェレの鳩尾から背中にかけてグレイブの刀剣が突き抜け、壁に昆虫標本のように刺さった。レザーチェはワザとガマガエルに呑みこまれ、魔道士クヴェレの本体を誘い込んだのだ。肉を斬らせて骨を断つ戦法である。
黒水球が飛び散り、ただの液体と化し、レザーチェが宙を回転して着地する。壁には息の絶えた魔道士の死体が血を流していた。魔道士クヴェレは不死身の液体人間などと自称したが、それはフェイク情報で、水魔ニクシーと同じく魔力暗闇水で作られた魔法生物の分身体を操っていたのだ。
「……賞金稼ぎのレザーチェ君とかいったかね……」
突然、男の声がした。レザーチェが音源を見やると、三角ピラミッドに一つ目――秘密結社イルミナティの紋章から声がした。おそらく魔法水晶式通信機が埋め込まれているのだろう。
「……ふふふふふふ、お初にお目にかかる。私はイルミナティの総帥だ……きみと取引がしたいのだが……」
「取引だと?」
「そうだ……魔道士クヴェレを倒すとは大した腕だね……どうだね、キミの雇い主の倍額……いや、十倍払おうじゃないか。私たちの仲間にならないかね?」
「……断る!」
「おやおや、足りないのかね? わかった、言い値で雇おうじゃないか。なにせうちの組織は資金が潤沢でね……」
「……我は依頼主を変える事はない……」
その静かな口調は、どんな事があっても動かない意思の強さを感じさせるものだった。地底大広間に立つ孤影を魔法水晶越しに見つめる総帥は決断した。
「……賞金稼ぎの癖に大金に目がくらまないとはねえ……残念だが、交渉の余地もないようだ。ならば、さよならといこう……」
地下大広間の四隅が突如、爆発した。瓦礫が飛び、地底大広間を支える梁や柱が倒れ、土砂が流れ落ちてきた。イルミナティ総帥は地底アジトごと崩落させて、レザーチェを葬り去るつもりなのだ。
いかに優れた体技と魔力を持つレザーチェといえども、この落盤で何千トンもの土砂に押しつぶされれば助かる見込みはない。嗚呼……レザーチェよ……このまま生きたまま地の底に埋葬されてしまう運命なのであろうか……




