水魔ニクシー
三つ首の水蛇がレザーチェを首、胴体、膝と、三方向から襲う。だが、左手の指輪からすでに愛用のグレイブを召喚していたのだ。刀剣が閃き、水蛇の首をすべて両断。途端に液怪は四散して雫と化した。
「この程度の技は我には効かぬ……」
「ぶははっ……やるのお……だが、まずは小手調べよ……」
「お前と同じく雇われた魔道士のなかに黄金の仮面をつけた者はいるか?」
「黄金の仮面の魔道士とな……そいつは知り合いかな?」
「因縁のある探し人だ……」
「ぶははははは……知っているぞ、美しき賞金稼ぎよ……だが、儂に訊いても無駄よ……なぜなら、お主はこれから死出の旅路に出るのだからなあ……」
魔道士クヴェレが腹を揺らして笑い、ねじくれた魔法の杖を振るう。水面に赤く光る魔法陣が三つ浮かび上がり、ユラユラと揺れながら回転する。地底広間の水嵩は何時しか、腰のあたりまで増えていた。
「古のインゴルド湖に棲まうと云われたニクシー達よ……出ておいで……ここに絶世の美男子がおるぞよ……」
水面の魔法陣から金髪の長い髪を垂らした女の生首が現れた。永久氷壁のような白い肌に妖しい光を放つ碧眼、整った鼻筋、朱い唇の見事な美女が三人。水飛沫をあげて上半身を見せる。いずれも腰がくびれ、官能的な肉体を白い中世式ドレスで包んでいる。袖口から水が滴り落ち、衣服がべっとりと濡れている。彼女たちの魔界の美貌を見たものは、男は無論のこと、女であってもその魅力に捕らわれてしまい、何でも言いなりになってしまうのだ。
「おお……道士さま……私らをお呼びか……」
「これは見事な美青年がおりますなあ……」
「ほほほほほ……私どもの生け贄にピッタリの男よ……」
金髪美女たちが首だけ見せてレザーチェの周囲をグルグルと泳ぎ、白い航跡をつくる。レザーチェがグレイブを水面近くに垂らして、いつでも薙ぎ払う姿勢だ。その殺気に押され、ニクシーたちの円陣が遠ざかる。
「ニクシー……この国周辺に古代から棲まうという水の魔物か……いや、それとも人造生命体か……」
『ニクシー』とは、ベルデンリンク帝国周辺に伝わる女性の水の魔物であり、長い金髪で碧眼の大層美しい女性の姿をしている。だが、注意深く見れば、彼女たちの衣服の袖が濡れているのが特徴だ。
水辺に出没し、時には村のダンスパーティーに参加して、若い男を誘惑するという。だが、心を許してはいけない、ニクシーは最後には男を引きずり込む恐るべき魔性なのだから……水面でニクシーたちが踊っている姿を見たら、それは誰かが水中に引きずり込まれた後だといわれている。
「そう、殺気立つものではないわ……」
「そうそう……一晩中、私達とダンスを踊って楽しみましょうよ……」
「そうそうそう……ダンスには歌と音楽が付き物よね……」
三人の水魔は腰まで浮かび上がり、唄を唄いはじめた。見目形の美しいニクシー達の声は、その歌声もまた美しいものであった。妙なる調べは、脳髄の奥まで感動に打ち震えさせる旋律である。人間の唄い手にはついぞ達しえぬ、長き生命を持つ魔性のみが到達しえる極上の歌曲であろうか。人間がこれに聞き惚れると、理性は飛び、唄い手の元へ馳せ参じ、その唄を独り占めしたくなる魅力があった。
「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」
レザーチェがグレイブを捨て、両耳を押さえ、苦悩に打ち震える。凄腕の賞金稼ぎと言えども、脳髄と心を支配する魔力には抗え得ぬようだ。ニクシーの魅惑の麗容と魔性の唄声――この二つに魅了された者は、何人であっても水魔ニクシーの虜囚となる運命なのだ。
水魔ニクシー達が蒼白い腕を伸ばし、レザーチェの肩に、腰に伸び、水中に引きずり込んだ。腰までしかないはずの水は、どこまでも深い湖底の暗黒となっていた。魔道士クヴェレの魔力『暗闇水』は、異界の水底へと通じる妖術の水であったのだ。
暗黒の湖中に引きずりこまれたレザーチェは沈んでいった。彼の周りに金髪碧眼の美女ニクシーが纏わりつく。彼女たちの下半身は銀鱗の肌と尾鰭を持つ魚体であった。ニクシーは淡水に棲む人魚だという伝承がある。水面に取り残された三角帽だけがポツンと浮かんでいる。
「ほほほほ……今までに生贄にしたどの男や女よりも美しい男よのう……」
「肉を喰らい、血を吸いあげ、骨までしゃぶれば、あと百年は長生きしようぞ……」
「ほほほほほ……さあ、ご馳走じゃ、ご馳走じゃ……」
水魔ニクシーたちの口が耳まで裂け、小刀のような牙がずらりと並ぶ。瞳が邪悪に赤く染まり、レザーチェの逞しい肉体に牙をたてた……
暗黒の異界湖の水面では、魔道士クヴェレが腹を揺らして哄笑していた。
「ぶははははは……ズィーガーの奴が片腕を斬られたというから、どんな凄腕かと用心していたが、案外、他愛の無い奴であったわい……」
地底広間の床一面に広がる黒い水から真っ赤な血がゴボゴボと浮き上がってきた……




