その男、レザーチェ
小柄な喪服の女・カリガルチュアが両手をかざして、眠り男をベール越しに見つめ、古代呪文を詠唱。やがて、青髪の若者の閉ざされた睫毛が徐々にあがり、深い湖のような青玉が開かれていく。深淵のごとき湖は、しかし、半眼の状態で止まる。
半月のごとき瞳は、現世と晦冥国の境の夢を見ているようだ。そして、人を寄せ付けない厭世的なオーラを醸し出していた。
青髪青瞳の若者は脇から三角帽を取り出して被った。目深にかぶり、視線が閉ざされたことで、彫像と化した武闘士や村長たちは金縛りが解けたように意識が戻っていった。
「…………あなたが最後の募集者……ミスター・レザーチェですな……」
助役が職業的反射で口火をきり、震え声で確認した。村長や武闘士たちの一斉に息を漏らす音がした。この世のものでない、絶世の美を見た人間の反応だ。
「……そうだ……我はレザーチェ……賞金稼ぎを生業としている……」
「助役さん、レザーチェには依頼の仕事をまだ話してないの……悪いけど、一から話してくれるかしら?」
「えっ!? あ、はい……では、かいつまんで……」
ここトレランツ村をはじめ周囲の町村の森林地帯でしばしば、樵や狩人が見慣れない獣を目撃したのが一ヶ月前。野生の鹿や猪がこの獣に食い殺された痕も発見された。そして、墓場に新しい納棺があると、納骨堂の窓が破壊され、または墓地の土が掘り返され、死体が食い荒らされている痕が見つかった。
屍肉を食べる魔獣が出現したと思われ、目撃者の情報では大きな山犬か狼のような姿で、首が二つもあったという。野性の肉食動物ではない、魔獣オルトロスだ。狩人と自警団の有志が怪物狩り団を結成して山狩りをしたが、双頭の怪物は松明をかざす集団に姿を見せず、罠にもかからない知恵を見せた。
そして、夜明けが近くなり、怪物狩り団の面々がバラバラに解散し、帰路につく途中、悲劇がおこった。三分の一に渡るメンバーが怪物に食い荒らされた死体で発見された。すっかり怖気づいた村人たちは賞金をかけて怪物狩りの仕事を依頼したのである。
「双頭の怪物は魔獣オルトロスに違いないわい……」
助役の説明の終わったとき、村長が口をはさんだ。オルトロスは大陸の北域にある魔の森などに棲息する魔獣である。体毛は闇のごとき漆黒であり、剛毛は刃物も通りにくく、大型犬に似た魔獣だ。最大の特徴は首が二つあることで、死角が少ないため見張りの能力が高い。また、たてがみに無数の蛇が生え、尻尾が大蛇になっている。
「でも、中域のベルデンリンク帝国で目撃された例はないはずよ……」
黒いベールの女が頤に白魚のような細指をあてて答えた。
「いや、南北戦争のおりに北軍のギャリオッツ帝国が魔獣軍団を引きつれて南軍と戦っておった。北軍は引き揚げたが、どこかで逃げ出したものが人知れず潜伏しておったかもしれんて……」
ベルデンリンク帝国は北域の大国ギャリオッツ帝国と南域の大国メルドキア共和国の戦争に対して、中立の姿勢をとっていたが、難癖をつけて侵攻してくる両軍と防衛戦を繰りひろげた。が、北部と南部地方に多大な損害を受けたうえで終戦を迎えた。
「戦争が終わって数年も経つけど……その間、オルトロスはどうしていたのかしら?」
「さて……きっと他の魔獣どもに紛れて発見されなかったのじゃろうて……」
「そうね……それもありえる話ね……」
南北戦争終結後、敵味方問わず、兵士たちの遺体が正式に葬られたのは限られ、多くの遺体は戦地にそのまま放置されていたという。地元住民がボランティアで埋葬したが、人の住まない森や山の奥地では野獣や魔獣の格好の餌となってしまった。
そして、人間を恐れて山や森の奥に隠れ住んでいた肉食動物や魔獣が人肉を求めて人里を襲うという悲劇的な事件が多発し、それは現在も続いている。魔獣オルトロスが北軍から脱走したとして、地元の魔獣と争い、生態系に食い込んだことも考えられなくはない。
「んなことはいいんだ。それよりも、賞金稼ぎ……カリガルチュアとレザーチェとかいったな……ふざけた登場しやがって、何様のつもりだ?」
「そうだ、くだらねえ演出しやがって……ここはお前等みたいな青二才がきたって命を落とすのがオチだ。とっとと帰んな……」
髭面と三段腹の武闘士が新参者の怪物討伐人に敵意をあらわにした表情で喰いかかる。彼等はみな壮年の脂ののった武闘士たちで、肩や胴を守る甲冑や武具も擦り切れ、傷やヒビが入ったものを補修した様子で歴戦のファイターだと見える。傷一つない皮甲冑と破れ目のないレザーコートを纏った若者はまるで戦いが初めての素人に見えた。
「魔力『未来予知魔眼』……」
レザーチェの蒼い瞳が輝き、武闘士たちを睥睨する。その魔物じみた迫力に、歴戦の傭兵たちもたじろいだ。
「……ひとつだけ、忠告をする」
青衣の賞金稼ぎがいつの間にか馬車から降り、武闘士たちの前に立っていた。武闘士たちは動揺する。気配を感じなかった、そして、過剰なまでに装飾されたベルトと鉄輪がまったく音をたてなかったのだ。
「あいにくだが……お前たちには死相が見える……命が惜しかったら、この件は俺たちにまかせて引き揚げるといい……」
荒くれ者の武闘士たちが、一瞬何を言われたかわからず、言葉の内容を噛みしめてから顔が、怒りで朱面に染まっていった。こんな侮辱をされたのは初めてだった。
「野郎……ふざけたことを抜かしやがって……」
髭面の武闘士がグレートソードを引き抜き、三段腹の武闘士が戦斧を構えた。他の三名も殺気だった視線をレザーチェにむける。
「待ってください! あなた達は怪物退治で雇ったんだ……仲間内で喧嘩は……」
助役が悲鳴をあげて仲裁をするが、髭面の男は大剣を青衣の男に上段から斬りつけた――