青き闇の疾風
――クララは天使のように美しいわ……そして、突然現れたこの人も異界の住人のように美しいわ……
思わず陶然と見つめてしまったみぞれ。心臓の鼓動が早鐘のように打つ。青髪の人物は青衣に革製甲冑を身に着けていたが、ベルトと鉄輪が過剰なまでについた、まるで拘束具を連想させるものだ。なのに、この戦いの間、鉄輪が革鎧にぶつかった音は、不思議なことに聞こえなかった。
「うがああああああああああああっ!!」
殺人衝動の邪魔をされた絞殺魔ボルガン・ゲーエンは怒り狂い、青髪青衣の人物に両手をあげて襲いかかった。左手の腕輪についた鉄鎖を、遠心力をつけて叩きつける。
「レザーチェ、絞殺魔ボルガンをやっつけなさい!」
――あの、綺麗な殿方はレザーチェというんだ……
こんな場合なのに、宮葉みぞれの胸がときめいた。
「了解した、マスター……『迅速通』!」
ビュンッと風が渦巻いた。青髪の男・レザーチェは多くの残像を残しつつ、ジグザグに超高速移動した。だが、途中で動きが鈍り、身をゆらして停止した。左太腿のズボンが赤く染まる。数日前の魔道士ズィーガーとの戦いで負傷した太腿の傷が開いてしまったのだ。
そこへボルガンが鎖を振るって襲撃。レザーチェは長柄の石突でボルガンの胸部を高速五段突きにした。人間ならば、息がつまり、気絶する。だが、絞殺魔は平気な様子でレザーチェに左の鉄鎖を叩きつけた。だが、それは残像だ。レザーチェはグレイブを返して、刀剣の方を殺人鬼に突き刺した。胸から腹部にかけて五つの刺突が命中。濁った黒い血が噴水のように湧き出る。
だが、依然と動きは止まらない。まるで不死身の怪物だ。ボルガンの鉄鎖が唸り、レザーチェの肩に叩きつけた。
一閃。
ボルガンの残った左腕をまたも肘から切断した。左腕が鎖と絡み、回転して宙に飛ぶ。だが、痛みを感じていない様子の殺人魔は、両腕から血を流しつつ、それでも、レザーチェに歯を剥いて向かっていく。
「魔力『未来予知魔眼』!」
レザーチェの蒼い双眸が輝く。だが、ボルガンは彼の瞳を見ても、何の反応もない。
「……我の瞳力が効かない……『魂』が無いのか……」
「ぐああああああああああっ!」
レザーチェは立ち止まったまま動かない。青い孤影は時間が止まったようだ……
「急所を突いても、両腕を斬っても平気なようだな……不死身のボルガン・ゲーエンよ……ならば、これはどうだ……」
狂った牡牛のように突進してくる殺人鬼に、レザーチェがすれ違いざま、グレイブが満月の軌跡を描いて一閃。ボルガンがタタタタっと、駆け抜け、振り返り、まだ殺人衝動の消えぬ男の首が斜めに傾いだ。首が斜め前にずれていき、地面に落下する。遅れて切断面から血の奔流が湧き上がる。膝をついて、ドウと倒れた。
あまりの凄まじい死闘に、宮葉みぞれは声も出ない。首を切断されると、さしもの不死身の怪物も、痙攣を繰り返してから停止した。クララがレザーチェに駆けより、心配そうに左太腿に両手をかざすと、淡く光り出した。治癒の魔力だ。
「ほんとにもう……世話がやけるわねえ……怪我しているのに、迅速通を使うなんて……無茶よ……」
「すまない、マスター……奴は尋常ならざる相手だった……ところで、本物のボルガンか?」
「ええ、確かに……解剖実習用の検体が、翌日、幽霊となって、襲いかかってくる……幽霊にしては形があるけどね……それに、血は抜いてホルマリン漬けのはずなのに、黒い血のような物がつまっていたわ……」
「やはり、生き返った死体……人造生命の実験体であろうな……こんな奴がまだいると思うと、ぞっとするがな……」
治療がすみ、レザーチェがグレイブを一振りで、血ぶるいを済ませた。ぞっとすると言った割には、冬の月のように冷然として、無表情だ。その間にボルガンの死体が白い泡を吹きだし、溶解していく。人造魔獣オルトロスと同じ、自己消滅装置であろう。
「ひいいいいっ……死体が溶けだしたわ……クララ、これは一体、どういう事なの? それに、その人は……クララのお兄さんなの?」
混乱したみぞれがクララに詰め寄る。絶世の美しい金髪碧眼の少女と、冥界の美しさを持つ青髪青瞳の青年。美の共演に、自然と兄妹ではないかと推察するのも無理はあるまい。
「ちょっ……やめなさい、みぞれ。それに、誰が私の兄よ……こんな奴、赤の他人よ、他人……」
クララが不機嫌になって噛みつく。
「我はレザーチェ……フロイライン・宮葉みぞれの勇気ある行動には感謝する……」
レザーチェと呼ばれた青年が宮葉みぞれに握手を求めた。みぞれは赤面し、震える手で美剣士の右手を握る。冷たい感触だが、みぞれは舞い上がってしまい、「もう、一生手を洗いたくない……」などと、感動のあまり、あらぬ妄想が走る。
「……みぞれ、この戦いはあなたには関係の無い事よ……今まで通り、医者を目指して勉強してちょうだい……」
おだやかな表情で、クララがみぞれに話しかける。なにか深い事情がありそうで、みぞれは当惑した。
「そう言われても……なにがなんだか、わかんないよぉぉ~~~…」
「クララ……ボルガンの白骨の中に妙な物がある……」
レザーチェが溶解泡のついた肋骨のなかに木の枝を突っ込み、黒い鉄球にチューブがついたものを拾い上げた。
「これは……もしかして……」
図書館の方角から声がする。繁みの奥から人の近づく気配が大勢あった。
「大変だあぁぁっ!」
「誰かが斬り合いをしているっ!」
戦闘の様子を目撃した学生や司書たちがこちらに気がついて、騒ぎになっている。遠くから大学の警備員たちが駆けつけてくるのが見える。そばでは白骨死体が泡に包まれ溶解しているところだ。なんとも説明に困る状況である。
「厄介なことになったわね……」
警備員三名、司書二名、学生三名がみぞれたちを取り囲んだ。そして、美神の生まれ代わりのような青髪の賞金稼ぎを見て、八人とも頬が赤らみ、陶然と見上げた。だが、警備員がわずかに残った理性でレザーチェ達を職務質問する。
「あわわわわ……どうするの……どうするの……クララ……」
「慌てるんじゃないの……皆さん、こちらを見てちょうだい……」
クレールヒェン・カリガルチュアが牛乳の瓶底眼鏡を外した。類い稀なる天使の美貌の出現に、さらなる美の饗宴に八人の理性が吹き飛びそうになる。かくいう、宮葉みぞれもだ。クララの翡翠玉の双眸が金色に輝きはじめた……
「魔力『催眠魔眼』!」