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絞殺魔の幽霊

 授業が終わり、生徒たちは外へ出た。蒼白な表情をした生徒が少なくない。トイレに駆け込んで嘔吐する者もいた。医学のためとはいえ、刺激的な解剖実習教室から、外の新鮮な空気を吸い、緑あふれる校庭を眺めると、生き返った気がする。


 二度目の見学のみぞれと違い、アンネリーゼは青い顔で元気がない。クララを見ると、クールな表情を崩さない、いつもの彼女であった。宮葉みぞれ達はマルゴットを保健室に見舞いに行くと、元気そうな当人がこちらにやってくる所だった。


「ふう……情けないところを見せちゃったわねぇ……あたいはパパの病院を継いで、二倍の規模にしてみせると大口叩いてたのに……」


 マルゴット・フンボルトの故郷はミンガ市の下町にある個人病院であった。


「ふえ~~ん……私はまだ遠くから見学していたから無事だったけど、マルゴットみたいに近くで見てたら、気絶だけじゃすまなかったと思うの……」


「大丈夫よ、フランケンフェルド教授も昔は嘔吐してしまったと言っていたわ……」


「……そう。言わなきゃわからないのに、若い頃の恥ずかしい事を生徒に話すなんて、いい先生ね……フランケンフェルド教授は……」


「要は慣れよ、慣れ……人間は慣れる生き物なんだから……」


 食欲のないアンネリーゼとマルゴットは女子寮へ戻った。みぞれとクララは昼食を終え、次の授業へ向かった。




 翌日、午後十時過ぎ。イゴルシュミッツ大学の人文科の大学二年生の男子生徒ヨルダンと女子生徒メラニーは授業をさぼって、西の図書館裏にある森へ遊びに向かった。針葉樹の向こうに、インゴルド湖があってボート乗り場もある。二人はボートで湖を一巡りした後、ボート置場から離れた草原にシートをひいて、メラニーの作ったサンドイッチとグリューンワインで昼食をとった。


「同級生諸君が勉学に励んでいるあいだ、こうして二人でワインを楽しむのもオツなもんじゃないか……なあ、メラニー」


「あたしたち不良学生よねえ……ふふふふふ」


 メラニーは髪をかきあげる。ふと、森の向こうから覗く、視界に古い建物を見つけた。


「あの建物は何かしら?」


「あれはなあ、昔の光神教会の礼拝堂だよ。新市街地に新しい教会ができ、取り壊す予定だったが、忘れられたみたいだね……」


「へえ……そうなの……あちこち壊れていて、お化けがでそうねえ……」


「へへへ……実はあの教会には、昔、殺された尼僧がいてねえ……今でもときどき、夜中になると血まみれの尼僧が出てくるって噂なんだぜ……」


「やだぁぁ……怖いよぉぉ……」


「大丈夫だって……俺がついているよ……」


 怖がりのメラニーがヨルダンに抱きつく。柔らかな肉体の感触と、香水と女の匂いが入り混じって、ヨルダンを昂揚させた。


「そういえば、昨年も『ネクタイ絞殺魔』が世間を騒がせたとき、市街に出かける時はボディガードしてくれたわね……頼もしかったわ」


「へへへ……ボルガンの野郎、死刑になってざまあみやがれ、だ。それにしても、絞殺魔が縛り首とは笑わせてくれるぜ」


 ヨルダンは恋人の頬を両手ではさみ、キスを迫る。メラニーは

「こんなところじゃ、嫌」と、抗いつつも、男子生徒の口づけを受け入れた。次第に気分が高まっていく。ヨルダンがメラニーの額や耳、首筋にキスの嵐をお見舞いした。メラニーも瞳が潤んで、ヨルダンの名前を繰り返す。彼はメラニーのブラウスのボタンを一つずつ外し、そこにもキスをする。


 夢中になっていたメラニーは、突然、視界が曇ったと感じた。通り雨でもくるのかしらと、ヨルダンの頭上を見上げる。そこに、襤褸ぼろを身にまとった大柄な人の影があった。逆光で顔が見えない。


「きゃあああああああああああああああああああっ!!」


 メラニーの悲鳴で我に返ったヨルダンは振り向く。虚勢をはって、大声で怒鳴る。


「なんだ、貴様はっ!」


「むおぉぉぉぉぉぉ……!」


 ヨルダンが立ち上がろうとした時、男の手が伸び、男子生徒の首に鎖がまかれた。男はヨルダンの首を鎖で巻きつけ、両手で左右に引き絞った。ヨルダンは必至で首の鎖を外そうとする。彼の体が宙に浮き、足がバタバタと乱れる。なんという怪力であろうか……


「ぐえええっ!!」


「やああああっ! ヨルダン!」


 哀れにもヨルダンは首の血流が遮断され、器官圧迫で窒息死した。殺人者は死の痙攣けいれんの手応えを知ると、手を放した。ドサリと生徒の体が大地に落ちた。青春を謳歌していた罪なき若者は、生気を失い、この世を去った。


 突然の凶行にメラニーは思考が停止、呆然として動けなかった。恐るべき絞殺者のシルエットは、両手両足と首に首輪をはめ、鎖が垂れ下がっているようだ。両手についた鎖で恋人を絞め殺したのだ。我に返ったメラニーが逃げようと立ち上がる。だが、首に鎖が蛇のように巻きついた。そして、息が圧迫され、苦しみ悶える……


 日が陰り、殺人鬼の顔が間近に見えた。屍魚のように淀んだ小さな目、獅子鼻のいかつい顔つきの男。顔中に糸で縫った痕が見えた。メラニーの薄れゆく意識がこの男の顔を思い出させた。昨年から今年にかけて、新聞でよく見た顔だ。


 ――こいつは……『ネクタイ絞殺魔』だわ……死刑になったボルガン・ゲーエンの幽霊だわっ!


 湖のほとりに、倒れたバスケットに雀が数羽、サンドイッチの残りをついばんでいた。その傍らには土気色になった若い男女の無惨な死体が倒れていた。


 そのそばに、灌木や長く伸びた草をかきわけて、鎖を引きずり、よろよろとふらつく黒い影が殺人現場を去っていく。その先には大学の図書館の建物が見えた……


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