医者の卵たち
「それにしても、絞殺魔が絞首刑になるなんて、天罰覿面よねえ……いい気味だわよぉ」
と、マルゴットが『提督のパイプ亭』の酔客と同じような事をいう。いや、絞首刑の顛末を聞いた者の多くが口にした言葉であろう。
「……せめては、医学の発展のために尽くしてもらわないと、犠牲者たちが浮かばれないわね……」
クララが辛辣な口調で瓶底眼鏡のつるに手をそえた。
フランケンフェルド教授が生徒たちに解剖学の心構えと注意点の講義を始めた。
「では、実際に解剖をおこなう……誰か、近くで手伝ってみたい生徒はいるかね?」
「はいはい! あたい、あたい……解剖を楽しみにしてたのよぉぉ!」
「楽しみって……」
「いやいや、マルゴットは医師として向学心があるし、頼もしい医者の卵の素質があるよ……」
呆れるアンネリーゼに、みぞれが異なる意見をのべた。
「そうじゃないような……でも、確かに頼もしいわあ……」
マルゴットが円形講義室の真ん中へ駆けていく。フランケンフェルド教授に手招きされて、傍らに行く。教授が鮮やかな手つきで検体の腹部をコの字型に切開し、開創器でひらいたままにする。
「これが心臓、脾臓、胃、小腸、大腸、膵臓、肝臓……」
教授が内臓器官などを説明する。興味深げに腹の中をのぞいたマルゴットは、
「う、ぅぅ~~~ん……」
内臓を遠くからではなく、近くで見ると、そのリアルさにマルゴットは急に現実感を覚え、血の気を失って卒倒した。
「きゃあああああっ! マルゴット、大丈夫ぅぅぅ~~~」
「……大きなこと言ってた割には、だらしないわねえ……」
「ちょっと、クララ……小っちゃくて可愛いのに、辛辣ねえ……」
「小っちゃくては、余計なお世話よ!」
ともかく、アンネリーゼ、みぞれ、クララは下へ降りて行った。教授がマルゴットを診察し、軽い貧血だと判断。みぞれとアンネリーゼが駆け寄って抱き起こそうとするが、重くて持ち上がらない。
「むうぅ~~~ん、これは米俵一俵半以上あるわねえ……」
「俺たちにまかせたまえっ!」
平均身長180センチ体重77キロ以上の、これぞベルデンリンク男性の見本といった筋肉質の男子生徒たち四人が駆け寄り、マルゴットを戸板にのせて、掛け声あわせて保健室へ運んで行った。これも頼もしい医者の卵たちであった。
「ふふふ……一年生はこんなものだ……私も医学生の頃は解剖実習で嘔吐してしまったものだ……名医と言われる人物も通る道だよ……」
フランケンフェルド教授が微笑みを浮かべて、緊張していた教室の空気はなごんだ。
「きみは扶桑国からの留学生だね……」
教授がみぞれに声をかけてきた。背が高く、見下ろされて緊張する。昨日の差別主義者のノックス教授のことが脳裏にシコリとなって残っているのだ。
「は、はい……」
「扶桑国には麻酔薬を開発したセイシュウ・ハナオカがいる……私が尊敬する扶桑人だよ。きみも彼のような医学者を目指したまえ……」
「はいっ……頑張ります……」
宮葉みぞれはホッと息をついた。華岡青洲は扶桑国紀州の医師であり、世界初の全身麻酔手術に成功した人物である。
では、あるのだが……みぞれは少し複雑な思いを抱く。そして、人体解剖学の講義は続いた。クララ・カリガルチュアは冷然と教授の鮮やかな施術の様子を見つめていた。
――人体解剖学のプロフェッショナルは手術に関しても詳しい……人造魔獣製作者は大学の手術の権威だけでなく、人体解剖学教師にも目をそそぐべきかも……
すでにカリガルチュアはある手段をつかって、大学の名簿から怪しいと思われる手術の名手を二十数名洗い出していたが、なかなかこれぞという人物に絞れなかったのだ。