呪われた城
呪われた城ときくと、朝なのに、なんだか恐ろしげな城に見えてきた。
「本当なの、アンネリーゼ?」
「ええ……あれはシュテファン城よ。この都市がまだインゴルシュミッツ公国領だった頃、盆地を開拓したヴォイアルン公シュテファン3世がつくった城なのよ」
あまりにも見事な岩山なので、公国時代は難攻不落の砦として著名であった。シュテファン3世の跡を継いたのはルートヴィヒ7世であった。
「でもねえ、跡継ぎのルートヴィヒ7世は、父の死後、従兄弟のハインリヒ16世とエルンストと遺領の取り合いになって、紛争がおきたの。戦国時代だから血族同志で土地の取り合いをしてたのよねえ……そこで、分割して相続することで解決したのよぉ……」
だが、数年後に従兄弟のハインリヒ16世と、ルートヴィヒ7世の息子のルートヴィヒ8世が父を裏切り、手をくんだ。実の息子と従兄弟の同盟軍はルートヴィヒ7世を捕え、城の地下牢に投獄されて、廃位された。そして、息子のルートヴィヒ8世は父より先に亡くなり、インゴルシュミッツ公国はハインリヒ16世のものになった。ハインリヒは残酷と恐れられた人物で、多くの市民を処刑し悪名が高い。後世の歴史学者にはルートヴィヒ8世も暗殺されたのではないかという者もいる。
「恐ろしい公爵もいたものねえ……でも、我が国の戦国時代でも、親子・兄弟で領土を奪い合っていたしねえ……」
「むひひひ……それでね、彼を恨んだルートヴィヒ7世が夜な夜な古城に亡霊となって現れるとか……ハインリヒ16世は亡霊に呪い殺されたとかいう伝説があるのよぉ……」
「ひえええええ……」
マルゴットが変顔をして、両手を幽霊のようにだらりと下げる。宮葉みぞれは怖ろしくなり、クララの小さな背中に隠れる。
「ちょっと、暑苦しいわよ……」
「でも、その残酷なハインリヒ16世の息子・ルートヴィヒ9世が、城塞都市インゴルシュミッツに大学をつくった創立者なのよ。著名な学者や教授を招いて、今では中域を代表する大学町になったわ……」
「えええっ、そうなのクララ……複雑な感じだわ……それにしても、幽閉して殺した相手の名前を、自分の息子の名前につけるって、どういうセンスなのよ?」
「ヴァイアルン公爵家を継ぐ由緒ある名前だからみたいね……」
その後、公国はなくなり、ベルデンリンク帝国の家臣として、子孫のヴァイアルン公ヨハン5世が管轄している。新市街に彼ら一族のすむ城館があった。
そこで、チャイムが鳴った。四人は慌てて教室へ向かう。後ろの席が空いていた。座ったときにロバート・ノックス教授が入ってきた。丸眼鏡をかけ、鷲鼻で、頭長部だけが河童のように禿げあがっている。ロドニア連立王国からの客員教授で、のちに解剖学と人類学で歴史に名を残す人物だ。
「解剖学は生物体の構造と形態を研究する学問である。解剖学は植物、動物などあるが、人間の身体の構造を知る学問を人体解剖学という。人体は他の生き物と同じく、器官や組織や細胞で形成されておる……構造を深く知るためには外部だけでなく、内部の器官や組織を知らなければいかんのである!」
ノックス教授は専門的な医学用語しか黒板に筆記しないので、生徒たちは必死で聞いたことをノートに書いていた。
「まず、一年生諸君は肉眼で観察する『肉眼解剖学』をおさめてもらう。明日の解剖実習では実際に検体の解剖を見てもらい、内蔵・神経・血管・骨・筋などを剖出するので、よっく観察して記録し、レポートを出してもらうからな……」
ノックス教授は講義の合間に、宗教を風刺したジョークをいい、役人や高齢者を愚弄するギャグも交えた。男子生徒たちからの受けがよく、教室は笑いに包まれた。だが、宮葉みぞれはノックス教授の差別的なジョークになにか生理的な不快感を覚えた。しかし、授業内容に関しては世界有数の教えであると認めざるを得なかった。優れた人材であるが、人間的には好かない……そんな相反する人物は扶桑国にもいた。が、ちょっぴり残念に思うみぞれであった。
授業が終わり、ノックス教授は「最後に何か質問はないか?」と生徒たちに話した。みぞれは手をあげた。
「はいっ、剖出に関してなのですが……」
「……誰も質問がないようだな。では、これで……」
ノックス教授は宮葉みぞれを公然と無視して、教室を出ようとしている。みぞれは愕然として、青くなる。海外留学生に決まって、シュヴァイツァー医師に話したとき、中域の白人種の中には自分たち以外の人種や亜人種を差別する者が少なからずいると注意した。
インゴルシュミッツ大学の正門をくぐったとき、さまざまな人種がキャンパスで仲良く歩いていたのを見て、それはシュヴァイツァー先生の杞憂なのでは……と、思っていたことが、突然、具現化したのだ。みぞれは暗澹たる思いに包まれ、奈落の底に落ちていきそうな感覚になった。
「はいっ、はいっ、待ってください。剖出に関して質問があります……」
気弱なはずのアンネリーゼが慌てて手をあげ、真っ赤になってノックス教授にみぞれの訊いた質問を繰り返した。今度は、ノックス教授は丁寧に完璧な答えを返して、職員室に戻った。
「ありがとう……アンネリーゼ……」
胸がつまる思いで、みぞれはアンネリーゼの両手を掴んだ。心が温かくなって、涙が浮かぶ。
「いいのよ……それよりごめんね……ノックス教授をはじめ、人種差別をする先生や生徒は少なくないわ……以前はこの大学も白人種だけしか入学できなかったの。でも、ヴァイスハウプト学長や彼に賛同する教授たちが改革を唱え、大陸のあらゆる人種に門を開いたわ……」
「ノックスの禿げ茶瓶は、白人種以外に口をきかない頑固者で嫌な奴だけど、レポートなら差別なくみてくれるわ……あんな人物でも優秀だから、ヴァイスハウプト学長は客員に招いたのよのねぇ……気にしないことよ」
「……ありがとう……マルゴット……」
みぞれはマルゴットの両手もつかんで感謝した。頬に熱いものが流れてきた。
クララ・カリガルチュアはそんな三人を傍観して、黙々とノートに何か書いている。しかし、一瞬だけ、ふっと優しい笑みを浮かべた。