敗残者の見た幸せな夢
「俺もなあ……片田舎で馬の牧場をやっていたんだが、南北戦争がおっぱりだしてよお……徴兵されて、御国のために国境警備隊に駆り出されてよお……3年もいたんだぜ……ついにメルドキアの野郎どもが攻めてきてよお……俺も銃剣を持って戦ったぜ……仲間が大勢死んだし、俺も太腿に銃弾を浴びた……雨が近づくと、今でも古傷が痛むんだぜ……」
陽気に飲んでいたイーヴォが泣き上戸で絡み酒になった。レザーチェはグリューンワインをあおりながら、付き合う。閉店となったので、木賃宿まで送っていった。狭い路地を通り、溝の匂いがする小路を通り、汚れた安宿に辿りついた。荷物が乱雑におかれ、洗濯物からすえた臭いがする。
「俺みたいな呑んだくれのロクデナシにも、田舎に女房がいてなあ……戦後、帰った途端、女房と大喧嘩よ。酒ばっか呑んで、働かねえからな……挙句にハンバーホ市の酒場の踊り子に入れあげちまってよお……兵役の給金をぜんぶ貢いで捨てられちまった……都会の女は騙すのが商売、本気になるのは野暮だとよ……知るか、そんなの……挙句に、店の用心棒にボコられて路地に捨てられた……もう膝がブルって二度と、ハンバーホ市には行かないと決めた……」
イーヴォは田舎の女房に合わす顔がなく、知り合いの伝手を頼り、インゴルシュミッツ市で駅馬車経営をするバルテル商会で馭者を務めた。故郷に帰るために金をためていたが、ついつい、みな酒と賭博で無くしてしまった。さらに、仕事中に酒を飲みすぎて、大事な荷物をそのままに街道で眠りこけて、商会の重要な取引をご破算にしてしまった。当然、首になった。
「それというのもなあ……太腿の古傷がいけないんだ……前線では麻酔やモルヒネなんて上等なモンは、二等兵の俺たちにまで回ってこなくなってよお……軍医が薬用アルコールを飲ましやがって……痛み止めに常用するうちに、すっかり、アル中になっちまった……酒を呑んでいるとなあ、情けない自分を忘れられるんだ……でもよお、何かの拍子で女房を思い出しちまって、悲しくなっちまう……まあ、女房はとっくに実家に帰っちまったんだろうがな……そのほうがいい……俺は人生の敗残者だ……俺みたいなロクデナシなんか、用無しだ。この世にいない方がいいんだ……」
レザーチェはイーヴォをカビの匂いのするベッドに寝かせた。
「イーヴォ……この世の中には用の無い人間はいない。何かのために生まれてきたんだ……」
「そうかなあ……へへへ、他の奴なら薄っぺらく聞こえた言葉だが、あんたみたいな色男が言うと重みがでるぜ……」
「有益な話をしてくれた礼に、占いをしてやろう……お前が見たくない未来を、な……」
「占い? 未来? なんでもいいや、やってくれや……」
眠り男レザーチェが深い湖の奥底のような瞳でイーヴォを見つめる。男色の気などない彼でも、青髪の玲瓏とした顔を見て、ぼうっと生娘のように赤らむ。酔ったイーヴォの目は、レザーチェの仄かに光る双眸の奥底に青い暗闇をみた。大宇宙の深淵の神秘を覗き見た者は意識が白濁してくる。やがて、イーヴォの意識は眠り男の瞳のなかに呑みこまれていった。
「魔力『霊夢の幻影燈博覧会』……イーヴォ……お前の数週間後の未来が見えるぞ……」
虚無の闇の中に彷徨うイーヴォの意識が、目の前に小さな光を見い出し、それが、やがて大きくなっていく。光の中には山に囲まれた丘陵地帯が見えた……
「なんだあ……夢でも見ているのかあ……見た事のある景色だな……あっ……俺の……俺の故郷じゃねえか……」
インゴルシュミッツから遠く離れた第三都市ハンバーホ市の外れにある片田舎の村。柵に囲まれた牧草地が広がり、蝶が飛び交う懐かしい故郷……そこで、鎌で牧草を刈るやつれた女が見えた。イーヴォの女房の顔だ。五歳くらいの男の子が彼女を手伝って、牧草を紐で結んでいた。
「誰だ……知らない子が女房の側にいる……いや、あの顔は……俺の子供の頃にそっくりじゃねえか……まさか、まさか……」
レザーチェの生み出した幻像の世界で、汗をかきながら、必死に荷馬車に牧草を乗せる男――イーヴォが見えた。
「お前の子供のようだな……さっそく明日、故郷に帰ってやるんだ……」
「ああ……ああ……そうするさ……今度こそ、生まれ変わって……なんてったて、俺はもう、父ちゃんなんだからな……」
イーヴォは涙を流しながら、寝床で夢を見ていた。眠り男レザーチェは〈魔力者〉であり、魔眼とよばれる固有能力を持つ。その能力は己の近い未来を幾つか覗き見ることができ、危険を回避できる。そして、魔力『トラオム・ファンタスマゴリア』は相手の瞳を覗きこみ、近い未来から、一年前後までの印象的な未来の幻像を幾つか見ることができる。幻灯機が生み出す幻影のように……それを相手の脳裏に送り込むこともできた。
ただし、未来は複数の道筋があり、どう変わるかは不安定なところがある。レザーチェが見せた幻像はその一つだ。不幸な未来図もあった……だが、イーヴォの未来はこの幻像の通りであって欲しいと思う……人間は希望があると、苦難があっても生きていけるものだから……
レザーチェが安宿を出て、木箱や瓶が置かれた乱雑な路地を進む。そして、人気のない堤防を歩き、河川敷へ降りた。街の喧噪をよそに、川の流れるせせらぎが聞こえる。そして、蒸気機関車の通る鉄道橋を支える橋台と橋脚の間に来たとき、その影から数人の男たちが姿を現した。
「……我に用があるのか……」
五人ほどの凶悪な面相の無法者たちは、手に棍棒を持っている。真ん中にいる革ジャケットに顎が割れた男が頭目株のようだ。手下たちがレザーチェを東西南北の方角から取り囲む。
「勘が鋭いな……誰だか知らないが、青髪の男よ……こそこそと旧市街を嗅ぎまわるのは、やめて貰おうか……お前は私立探偵か、それとも帝国の密偵か?」
「いや……ただの賞金稼ぎだ……」
「へっ、そうかい。なら、雇い主を教えてくれや……痛い目にあいたくないだろ、色男さんよ……綺麗な顔が腫れあがってしまうぜ?」
「断る……といったら?」
「仕方ねえな……腕の一本でもへし折ってやんな……」
革ジャケットが顎で合図し、四人の暴漢たちが一斉に棍棒をレザーチェに叩きつけてきた。四方向からの同時攻撃では逃れる術がない。
無法者たちが襲いかかるより少し前――レザーチェが呪文詠唱をすると、左手の指輪が光り出す。そして、指輪の中に小さな魔法陣が浮きだし、グルグルと回転。それに連動して、左手の前にトレイ大の輝く魔法陣が浮かび上がり、これも回転している。魔法陣から長い棒のようなものが迫り出してきて、彼が右手で掴んで引き出す。棒は長柄で、先に片刃剣がついている。若者が構える前に、男たちが覆いかぶさり、肉を打撃する嫌な音が連続して響き渡る。
顎割れ男が「やったか」とニンマリする。が、手下の男達は棍棒を構えたまま、微動だにしない。レザーチェが石突を地面にトンと突くと、立ち止まった四人の無法者が倒れて転がった。脇腹や腹を押さえて呻いている。肋骨や大腿骨、肩甲骨、尺骨などが折られているのだ。
「な、何が起こった……」
「お前たちは……今まで、そうやって他人に暴力をふるってきたのだろう……少しは人並の苦労を知るんだな……」
顎割れ男が目を見開いて動揺する。彼には黒霞のゆらめきにしか見えなかったが、グレイブの長柄が車輪のように回転し、石突による打突、刺突、刀剣の峰による打撃、薙ぎ払いが瞬時に行われたのだ。硬直した顎割れ男だが、遠くで汽笛が聞こえて、微笑した。
「たいしたグレイブの早業じゃねえか……正直、驚いたぜ。きっと名のある武闘士か騎士様なんだろうな……だが、どんな武術の達人もこいつには敵わねえだろ……」
ジャケットを翻し、ガンフォルダーから回転式拳銃を抜き出した。旧式のフリントロックでは無く、南北戦争でメルドキア軍から横流しされたシングルアクション式の銃だ。これはハンマーを起こすたびにシリンダーが回転する。二人の間合いの距離は10メートル、グレイブでは届かない。
無双の強さを見せたレザーチェだが、彼我の間合いの差は致命的だ。ガンファイターを相手に、最早、絶体絶命なのか……!?