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カプリチオーソ  作者: 翠
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城下町での固いパン

「おはようございます!!よろしくお願い致します!!」


「よろしくお願い致します!!」


翌日。

前日の良くわからない任務に心配はあったものの、私達は意気揚々と早朝から出勤をしていた。


随分早めに来たのにやっぱりというかフレイさんはもうデスクに座っている。


「アマービレさん、ビートさんおはようございます。随分早いんですね」


「本当は一番に来ようと思っていたんですが。流石ですねフレイさん」


「ははは。そう気を張らないほうが良いですよ。それにいつも僕は二番目くらいです。今日は早かったですけどね」


そうにこやかに笑いながら書類の整理をしているフレイさん。私達はそれに応えながら二人で雑巾を持ってそれぞれのデスクの上を拭き始めた。


「…このデスクは一体どなたのデスクですか?随分と…ですが」


暫く拭いていてふとビートが指差したのはやけに書類の溜まっているデスク。もちろん書類だけに留まらず開いていない封書や箱。何なのかよくわからない置物まである。


そこに目をやった瞬間に何だか嫌な予感がしたけれどそんな予想を裏切らずにフレイさんは苦笑いをして返事をしてくれた。


「そこはロキ将軍のデスクですね。まああの方は殆どデスクになんて座ってませんから毎回月末は戦争ですよ」


「そんなに放浪されてるんですか…」


「えぇ。たまーに気が向くと二、三枚ハンコを押してくれますけど。あの方は現場仕事も多いのでなかなか消化は出来ませんね」


そう申し訳無さそうに笑っているフレイさんには一応笑顔を向けておいて心の中でだけ盛大なため息を吐いておく。昨日の雰囲気からいかにも仕事と向き合う姿勢がなってなさそうな人だけれども…ここまでとは思わなかった。


今日から私はこの山の主と戦う事になると思うと何だか胸の辺りがキリキリする。胃薬でも飲んでくれば良かったのかも。


そんな事を考えながら掃除をしていると昨日散々盛大に音をたてていた扉が珍しく静かに開いた。


「あ!おはようござい…ま、す」


「おはようございます!!」


金具の響く音に振り返って挨拶をしようとすると飛び込んできたのはロキ将軍の姿。てっきり最後の方に来るだろうと思っていた私は思わず挨拶が尻すぼみになってしまった。それに重なるように元気な挨拶をビートがすると、ロキ将軍はちらりとこちらに視線を向けた。



「早過ぎるだろ。まだ始業時間まで一時間くらいあるぞ」


「まだ入りたてですので!!何事も始めが肝心かと!!」


「そういう奴に限って早々にガス欠になるんだよ。とりあえず掃除はもういいから、セイに頼まれてた書類の続きやっとけ」


「了解であります!!」


入ってきて早々げんなりした顔でビートを見るロキ将軍。きっと暑苦しいと思っているんだと思う。それに関しては私も同感だったから。


「で、あんたも掃除はとりあえずいいから。今日から俺にひっついてくるんだろ?」


「は、はい。よろしくお願いします!!」


「その堅苦しいの、なんとかならないのかねぇ」


そう私の方を向いて頭を掻くと、あきれたような顔をするロキ将軍。そのまま小さくため息をついたかと思うと今度はこちらを向いたまま上から下まで二、三回見てくすりと笑った。


「なかなか育ちの良さそうなお嬢さんだけど…いかにも経験不足ですって顔してんな」


「…はっ!?」


「色気のかけらもない、って言ってんだよ。胸も無いし顔も童顔。こりゃ食べる気にもならないね」


そう唐突にわけのわからない罵声を浴びせられて固まっている私を見ながらくつくつと笑っているロキ将軍。ビートがそれに反応して何か言おうとしたけれど慌てて視線でそれを止める。それに気づいているのかいないのか更に笑うロキ将軍に、フレイさんが申し訳無さそうな顔で声をかけてきた。


「将軍、またそんな事言って…今日から一緒に行動して頂くんですから穏やかにお願いしますよ」


「わかってるよ。ま、これくらい色気が無いってほうが安心でいいだろ?まぁた変な色恋沙汰になるとすぐ辞めちまうし」


な?とこちらを向いて笑ったその顔はグレーの瞳が細められていて目元にある傷がよく目立った。綺麗な顔だけどとても嫌な色で笑う人。


「また、って過去にそんな事があったんですか?」


「あったね。どうも俺女の子には人気があるらしくて」


「そうですか…でもご心配なく。ロキ将軍と同様に私にもそのような気はありませんから。なんせ経験不足ですので」


少しイラっとはしたけれどとりあえず牽制の意味も込めて笑顔でそれだけ返しておいた。フレイさんがおろおろしているのが見えたけどそれ以上に気にして欲しい相手は相変わらず笑っている。


成る程。補佐官がすぐに辞めてしまう理由がなんとなくわかった気がした。



「おや、朝っぱらから楽しそうじゃないか」


「セイ将軍…スカイさん、おはようございます」


「おっおはようございます!!」


今頃気がついたが司令部のど真ん中で話していた私達。そんな様子を扉を開けた所からセイ将軍と釣り目の男性が呆れた様に眺めていた。


「ローキ、また変なこと言って突っかかってるのかよ。ったく」


「うるせぇよスカイ。俺が誰に何を言おうが俺の勝手」


「まぁ今更すぎてどーでもいいですけどね。と、始めましてアマービレさん。昨日ちらっと顔だけ合わせたけど覚えてるかい?」


ロキ将軍と話しているつり目の男性。面倒そうにため息をついてから一転、私の方へと向き直った。身長が高く赤い髭を蓄えた男性。歳は恐らく40代くらいだと思う。


最初に司令部に入った時確かに居たような気はするけど如何せんロキ将軍の印象が強すぎてあまり自信がない。


「ま、やっぱり覚えていないですよね。俺はスカイ。ポセイドン軍に所属しています。よろしくお願いします」


「あ、アマービレです。こちらこそお世話になります」


「ははは。大変だと思うけど頑張ってくださいよ」


そう笑いながらデスクへつくスカイさん。そして一緒に入ってきたセイ将軍も私に笑いかけると窓際の大きなデスクへと座った。


「セイ、今日の予定って俺何もないよな」


皆が座っている中で相変わらず立ったままの私達。それを気にする様子もなく窓際のセイ将軍にロキ将軍が声をかける。声をかけられたセイ将軍はデスクの紙をしばらく眺めると顔を上げて小さく頷いた。


「これといって予定は無いな。モンスター発見の報告もここ数日無い事から緊急の出動命令も今日は特別ないだろう」


そうセイ将軍が言うと満足気に笑うロキ将軍。そこでさっさと身を翻すと司令部の入り口に向かって歩き出した。


「おい」


「はっはい!?」


「付いてくるんじゃないのか?ここで目ぇ離すならそれでもいいけど」


「あ!え!?」


そういえば私の仕事はよくわからない付き人業務。この人が行く先には付いていかなければいけないんだったけど。…このまま付いて行って大丈夫なのかしら。


心配になってセイ将軍を見ると「大丈夫」と言わんばかりに笑っている。他の人も「頑張って」と苦笑い。どうやらここからが私の仕事のスタートらしい。私は既に部屋から出て行っているロキ将軍を小走りで追いかけた。



カツカツ。カツカツ。


カツカツ。カツカツ。


司令部を出てここ大広間に来るまでに聞こえたのはロキ将軍の足音とそれに敬礼をする兵士の鎧のこすれる音。ただ真っ直ぐに廊下のど真ん中を歩いていく将軍に出会う兵士は皆慌てて敬礼をしている。


これまで城内を長く一緒に歩いたのはフレイさんとビートのみ。テナ将軍の時でもここまで感じなかったのにロキ将軍と歩いているとどうにも歩きづらかった。


あんなにやる気なさそうな姿勢なのに歩くのは早いし廊下を歩いている沢山の兵士も飛びのくようにして道をあけるからなんだか申し訳ない。


そこらへんの一兵卒でも外に出れば私達のような一般人に比べればよっぽど強い事は間違いない。あまり良くはわかっていないけど『刻印使い』というのはようするに生まれながらの戦闘員。世界中からかき集められて出来た精鋭揃いのこの軍隊に所属しているというだけでも鼻が高くなりそうなモンなのに。


こんな子どもに慌てて敬礼をしている兵士達。世の中そう上手くはいかないようね。


「ロッ…ロキ将軍!!どちらへ向かわれているのですか!?」


「城下町。正門から出ると門番がうるさいから西塔から降りる」


「西…だからこんなにあちこちの階段を上ったり下りたりされているんですかっ!?」


「一応迷宮並によくわからねぇ造りになってるからなこの城。まあもう着く」


殆ど小走りのような状態の私は既に息が上がってきているというのに涼しい顔で歩いていくロキ将軍。そもそも門番に怒られるから別の所から抜け出そうっていうソレもどうなのよ。


目の前に見えるのは細くて黒い髪と背中のみ。どんな顔して歩いているのか知らないけど一体何をしにこんなに急いでいるのか。


そんな調子で更に数分歩くと見えてきた茶色い扉。そこを盛大に開けると、中にはここに来た時に説明をしてくれたテナ将軍が本を抱えて立っていた。


廊下や広間、小部屋を抜けてたどり着いたここは何やら研究室…のような図書室のような。とにかく埃っぽい空間で入ったと同時に息を吸うのをためらってしまう程だった。



「おやロキ。おはようございます。早速脱走ですか?朝から元気ですねぇ」


扉を開けるなりつかつかと部屋に入っていくロキ将軍。テナ将軍はそれを気にした様子もなくいつもの事とばかりに本を読むのを続行し始めていた。


とにかく物が多い部屋で障害物も多いのに相変わらずスピードを落とさず歩くので付いて行くのに必死な私。その部屋の窓までたどり着いた時に「無理しないでくださいね~」と手を振ってくれているテナ将軍の様子に気がついたけど大きく返事を一声返すだけでそれ以上の余裕はなく窓から外へと出た。


広い芝生。そこに足を付けるとふと近く感じる背中。さっきまでは一定の距離があった筈が急に間近にある事に気がついて思わず転びそうになるのをなんとかこらえた。


「あ、あのう…ロキ将軍?」


「ここからはそんな急ぐ必要もないから普段通り歩く。お疲れ」


「そうなんですね…何をそんなに急がれているのかと」


「城内に居ると何かと捕まるからさっさと出たかったんだよ。昨日も見てただろ」


そう話しながら軽く伸びをして歩き出すロキ将軍。確かに昨日はアレス将軍と戦闘訓練ならぬ喧嘩を繰り広げていたけど。


あんなに急がなくてはならない程喧嘩を売られる相手が多いという事。それってロキ将軍に問題があるような気がするのはきっと私だけではないはずだ。


でもそんな事を言おうもんなら何を言われるかわからない。とりあえずスピードダウンしたことで付いて行きやすくなったし大人しく後ろを歩いていく事にした。


特に話す事もなく歩いていると次第に見えてきた城下町。おかしなルートで入っている事は間違いないけれど賑わっている街中に入ってしまえば私達も雑踏の一部になる。


そう少し安心をしながら人混みに入ったロキ将軍を追いかける。そこで気がついたけれど城下町にも鎧を着た兵士は立っているらしい。律儀に遠くから敬礼をしている彼らに小さく頭を下げてから民衆と同化しているラフな将軍さまに声をかけた。



「あのう…ロキ将軍?」


「ん?」


「何故将軍は鎧や騎士のサーコートを着ていないんですか?他の将軍の方は皆軍から支給された服を着ているようですが」


「あぁ。正装の時は流石にちゃんとしたカッコするけどそれ以外でマントとか着けてたら邪魔だろ。…それにあんないかにもなカッコで街なんか歩きたくねぇし何よりださい」


そう一瞥するとようやくこちらを振り向いたロキ将軍。


成る程。確かに上半身だけ見れば多少装飾品はあるものの動きやすい黒の服。だけど下半身を見ればこの城下町でよく見かける長いキトン。白い布を巻いてびらびらしたそれは庶民のそれよりは正装に近い良質な物に見える。


とてもじゃないけど動きやすいとは言えないと思うんだけど。


「ま、戦に出る時はちゃんと顔くらいは守れる仮面は付けてくし問題はないな」


「は!?戦闘の時もそんなカッコで行くんですか!?」


「相手次第で簡単な鎧は流石につける。これまではそれでなんとかなってきたし俺接近戦はあまりやらねぇし。お前らの分の戦闘服はちゃんと支給されるから心配すんなって」


私が心配しているのはそこじゃない。そもそも軍に法がない訳がないのだから一応規定はあるという事。


それを無視して自由にしているのがこの将軍というワケだろう。どうにも羨ましい生活を送っているものだ。


そんな私の白い目なんて気にする様子も無く一軒の小さな建物の前に立つロキ将軍。表の看板を暫く眺めると石造りの中にある小さな扉を静かに開けた。


少し遅れてそれについていくと中からふわりといい匂いが香る。覗いてみるとカウンターだけが並ぶ小さな店でお客さんは見当たらなかった。


「いらっしゃーいって…げ。お前かよ」


「おい、お客様だぞ一応。露骨に嫌そうな顔すんじゃねぇよ」


「お客様なんて上品なもんじゃないだろ。お?女の子も一緒かい?座って座って!!」


「わっかりやすいやつだな…」


店内に入った私達に気づいて出てきた店主はまだ若い。20代後半であろうその男性は私達を通すと透明なグラスに水を注いで渡してくれた。



「それにしてもお前が来るのはいつもおかしな時間だよなぁ」


そう言って店主は私とロキ将軍にメニューを渡してくれた。確かに今さっき出勤したばかりでいわば朝食後。しかもうっかり忘れそうになっていたけど私達は今勤務時間中になる。


「昼時に来たら逆に迷惑だろ?客皆帰っちまうよ」


「まぁ確かにな。営業妨害もいいとこだけど。…で?そちらのお嬢さんはロキの新しいオトモダチかな?」


そうカウンター越しにこちらに微笑む店主が私を示すとロキ将軍は自分で言えとばかりに顎で私に促してきた。オトモダチ…ってのは『彼女』という括りとはまた違う女性をよく連れて来ているという事なんだろうか。


たかだか数時間しか一緒に居ないというのに既に良い印象は微塵も無くなっている上司。彼に促されて精一杯の笑顔を作りながら将軍補佐である事を含め自己紹介を行った。


「へーこんな若いのに大変だなぁ。よりによってこいつに付けられるって普通に戦場行けって言われる方がよっぽど楽だよ」


「そ、そうなんですか…」


「ま、それだと間違いなくすーぐ死ぬだろうけどな。どのみち俺と居て死んだほうがましだって思うか戦場出てまだ死にたくなーいって思うかのどっちかだろ」


何という究極の二択。そんな事をあっさりと言ってのけるこの自由人は一体何を思ってこんな生活をしているのか。


そんなあたしの心の声が聞こえているのか店主は声を上げて笑う。それを見てロキ将軍も満足気に笑うと、カウンターにおいてあった棒付きのキャンディーを私に差し出した。


「え?」


「さて。あんたとちょっと話がしたいと思ってね。早速なんだがあんたって外国の人だよな?」


唐突に始まった尋問。急に投げかけられた疑問に一瞬表情が固まってしまったがすぐに意識して将軍が差し出しているキャンディーを受け取った。


世間話。きっとそうに違いない。何か意図があるにしてもこんなところでそんな話を始めるわけが無い。そう一人深呼吸をしてから私は将軍に向き直った。


「ええ。北の方から来た者です。ラグナロクの際に北の方の街は全て無くなってしまいましたのでこちらへ」


あまりにも嘘を混ぜすぎるとかみ合わなくなる。前もってビートと口裏を合わせて考えた『設定』を口にするとロキ将軍は満足気に微笑んだ。



「確かに少し北のなまりがある。学もあるしな。向こうは上流階級者が多いが…なかなかの位を持つ家系でないと石造りの建物は建てないはず。それでも見ていると、城の低い階段にも随分慣れた様子だったから石造りの神殿やら城やら歩きなれてるんだろ。そんないいとこのお嬢様が何を思ってこんな軍隊に入隊してきたんだ?」


相変わらず微笑みを絶やさずに続いた『尋問』。意外な所から攻められた私は思わず驚いて顔を見返してしまった。


城の階段は確かにこのような城下町などに比べると段差は低めに出来ている。男女共に正装はロキ将軍が着ているような長いキトンを用いた物が多いため歩きやすいよう設計されているのだ。


今朝あれだけ早足で歩いていたのは…これを見ようとしていたのだろうか。


「…よく見てらっしゃるんですね」


「一応これでも将軍の地位もらってるからな。ただの馬鹿だと思ってるだろうが一応見るべき所は見てる。刻印使いな訳でもなく急に入隊を希望する奴は大体何かしら目的があるんだよ。それがあるのかないのか、それだけ聞けりゃそれ以上は聞く気は無いけどね」


そう笑っていない目で見返すと私から目を離してカウンターの水を手に取った。


「確かにそうですね。一応、オリンポスという団体に興味があったのでわざわざここを選んで仕事をしにきたと言うのが本音です。…刻印使いという不可思議な方で作られた軍団が、政権を取るに値するのかを見てみたいと」


「…ほう?」


「それを見るのは中に入ってしまうのが一番手っ取り早いと思いまして。事務員、書記官であれば刻印使いでなくとも簡単に入隊できると聞いて北の生活に見切りを付けてこちらに来たのです」


ほんの少し。

いや、随分と棘のある言い方になってしまったのかもしれない。


それでもこの場で変に嘘をついてしまうよりは本当の事を浅く伝えてしまった方が得策だと考えた。


あたしの言葉にロキ将軍はふーんと水を一口飲むと機嫌が良さそうに一人瞼を閉じている。


「つまりはあれか。政権を皇族が持っていたのをわけのわからん魔法使いもどきが奪い去ってどうなるのか見てやろう、って事か」


そう話しながらくつくつと笑うロキ将軍。てっきり怒られるかと思っていたのにそんな様子は微塵も無くむしろ楽しげな様子だった。



「成程。皇族擁護派ってわけだ。それだけわかれば充分。もう楽にしていいぜ。これ以上は聞かないから」


そう相変わらず笑いながら楽しそうに言うと「おでんちょうだーい」と聞いたことの無い名称の食べ物を店主に注文し始めた。


皇族擁護派。

確かにそうと言えばそうなんだけど…それは今のオリンポスにとってはあまり良い因子ではない筈なのにまるで気にした様子もない将軍。


あまりにも納得がいかなくていぶかしげな顔をしていたのに気がついたようでこちらを見ているけれどそれ以上将軍から何かを聞かれることは無かった。


「それにしてもさ、お嬢さん刻印使いについてとかもなーんにも知らないんだよな。こいつの能力とかも全く」


いまいち納得のいかない状態で暖かいスープを飲んでいるとふと声をかけてきた店主。それに応えるように頷くとロキ将軍が串にささった何かを食べながらこちらを向いた。


「え、フレイから説明とかされてねぇのかよ」


「はい。初日はロキ将軍の隠れそうな場所等を事細やかに教えていただいていたので…」


「あ、成程ね…最低限どんなモンかぐらいはわかってるんだろ?」


そうロキ将軍に言われて少し考えてみるが私が知っているのは本当に最低限の情報のみ。とりあえず書物で読んだそれをロキ将軍に伝えてみる事にした。


刻印使い。

生まれた時から身体のどこかに『刻印』と呼ばれる痣を持っている者達でそれぞれ独自の『能力』を持っている。


能力とは何も無い所に炎を発生させたりはたまた天候を操ったり…俗に言う魔法使いのような物と言われているけれどそれを間近に見る機会などはこれまでになかった。


殆どの刻印使いがオリンポスへ『収容』されてしまう為あまり街では見る事がないというのも理由の一つと言われているけれど。


その程度の知識だった。

ひとしきり話し終えるとふーんと頷くロキ将軍。


「そんだけ知ってりゃ充分だろ。戦に出るようになりゃ嫌でも目にするようになるんだし知らなくて困るもんでもない」


「そうですが…あの、私自身は全く戦場に出た経験が無いんですけどそれでも大丈夫なんでしょうか 。剣を扱ったこともないので」


「最初は俺としか行動しないようにすりゃ大丈夫だろ。死にゃしない」


そうしれっと言って二本目の串を食べる将軍に、私は小さくため息をついた。刻印使いうんぬんだってまるで他人事のようにしか聞いたことがなかった自分がまさか戦場だなんて。


だがそれも承知で私には確認をしなければならない事があった。正直これだけ地位のある人間の近くに居られるというのは大きなチャンスをもらえていると言う事。


何よりこの将軍は基本的に何を話したとしても一般的な受け取り方はしないように見える。先ほどの危険因子と取られても良いような発言だって笑って受け流してしまうほどに。


表に出さないだけかもしれない。それでも最後に。



最後にこれだけを確認しておきたい。その反応次第で、今後の自分の動き方がきっと変わってくると思うから。


「…それだけ戦場に慣れているという事はラグナロク以前から前線に立って戦われていたのですか?」


「ああ。つってもラグナロクが起きたのが13の時だからな。前線に立ってはいたけど当然こんな軍を率いた事は無かった」


ラグナロクで13歳。…という事は今20歳。思っていたのと同じくらいか。それならばきっとラグナロク以前の首都ネルタについてもわかる事があるという事だ。


「そうなんですか。…あの、一つお伺いしてもよいでしょうか」


「…どうぞ?」


「ラグナロクの終結した日。あの日ロキ将軍はネルタに居たんですか?」


相手の表情を見ながら確認した内容。それを聞くと一瞬だけ眉をひそめたように見えたがそれ以上表情を変えることはなく静かに答えてくれた。


だけどその時の将軍は先ほどまでの楽しげな笑顔とは少し違っていて。


形だけの、歪んだ笑顔。

悪意すら感じるそんな表情でしっかりと「居たね」と応えた。







――――――――っ…



「そうですか。さぞ大変でしたでしょう」


「まあね。ま、あの時期に大変じゃなかった奴なんかいないだろうけど」


「違いないね。俺の店も大変だったんだからさ。なんてったって…」


咄嗟に感じた違和感。即座に話題を転換させてさほど重要性のない内容へと意識を向けるように努めた。


ラグナロクが終結したその日。

それはこれまでの皇族の政権が奪い取られた日でもあった。


発表では皇族の血が繋がった者は皆一斉に殺されたと聞いている。それでも死体が表に出されることは無くオリンポスの手で埋葬されたとだけ報告されていた。そこからもしかして生き残っている人が居るのではないか、と考えたが。


やはりそこを掘り起こすのはタブー。変にここで探るよりはフレイさん等にしれっと聞いてみる方が良さそうだと悟った。



それからのロキ将軍は得体の知れない串に刺さった奇妙な食べ物を延々食べ続けていて、私はカウンターの店主と他愛の無い世間話をしていた。


ロキ将軍はよくこの店に来るらしいけど特別何をする様子はなく単純に食事をしに来ているだけとの事。ちらりと隣を見るとこの短時間で食べた串の本数は20本を越えていて…この身体のどこにそれだけ入っていったのかを説明して欲しい。


どう考えても容量オーバーとしか思えないのだけど。


そんな事を考えていると入り口の方からカランと鐘の音がした。反射的にそちらに目をやるとどうやらお客さんらしい。初老の男女が一人ずつ店内を覗いていた。


「…行くか」


「え?」


私がお客さんを確認したと同時に立ち上がったロキ将軍。店主もそれに慣れた様子で勘定を済ませるとカウンターに残った串を片付け始めた。


「じゃ、ごちそーさまでした」


「おう。またな」


そう言葉を交わすとさっさと店から出てしまう上司に慌ててついて歩くと入り口に立っていたお客さんが怪訝な顔をしているのが見えた。そういえばさっきも昼食時に来るとお客さんが帰ってしまうとかどうとか。


オリンポスのメンツはあまり大衆に歓迎されていないようだ。


「さて」


「次はどこへ行くんですか?」


「別に?しばらく街を放浪するだけだな」


「放浪…?」


「うん、放浪」


そう言って本当にあてもなさそうに歩くロキ将軍に開いた口が塞がらない。仮にもこれは勤労であって多額の給料が発生しているはずの時間。そんな時間に城に居る事もなく出てきたと思えば仕事もしないで串を食べているし。


こんな人間が優遇されているというのだからさっきの老人の怪訝な表情も気持ちがわかるような気がしてきた。私も仕事だから後ろを歩いているけれど…そうでなきゃとてもじゃないが一緒に歩きたい人間ではなかった。


そんな状態で暫く歩いていると少し大通りから外れた通りに差し掛かった。この街は大通りの方は栄えているけれど少し外れると一気に寂れてしまう。


少し埃っぽいその道を歩いていると少し離れた所に立っている近衛兵が見える。こんな道にも兵は立っているのかとなんとなくそちらを見ていると。


「まてー!!こらぁ!!」


その通りの先からばたばたとした足音と共に男の罵声が聞こえてきた。



「まてっつってんだろこのくっそがき!」


前から走ってきたのは15歳程の少年と男性。少年の手にはパンが握られていて男性がそれを取り上げようと走っている。


向こう側から走ってきた二人は周りも見えていない様子だったが近衛兵が動いたことで更に逃げようとした少年。そんな彼が私達二人の前に来ると急に驚いたように立ち止まり、追いかけていた男も立ち止まっていた。


二人の視線はロキ将軍。一緒に追いかけようとしていた兵も立ち止まって敬礼するとそこから動かなくなった。


ロキ将軍を見る二人は驚いたように口を開けたままで固まってしまっている。しかしロキ将軍はというと変わらない調子で二人を見ると少しめんどくさそうな顔をして敬礼をしている兵を手招きした。


「ったく。この街でのルールを知らないわけじゃないだろ小僧」


「え?どうしたんですか?」


「…お前ってほんっとに何も知らないで来てるんだな」


そう呆れたように私を眺めてから近くに来た兵から剣を受け取る。この街でのルールっていうのはいわゆる法律なんだろうけど。そんな特別なルールがあるなんて事は聞いた覚えは無い。


そんな事を考えている間にロキ将軍は剣の切っ先を立ち尽くしている少年へと向けた。恐怖に震える少年。あまりにも急な展開に思わず傍観者と化してしまっていたが。


「ちょっ!なにやってるんですか将軍!!」


「あ?俺達の目の前で起きた悪事はどんな内容であれ俺達に裁かれるんだよ。神軍の義務だ」


「だからって!今ここで切るつもりじゃないでしょうね!?」


「それが裁きだ。これまでもそうしてきたしこいつらもわかってる」


そう走ってきた男に視線をやると男は脂汗をかきながら小さく頭をさげて私達に背中を向けた。それを合図にでもしたように剣を振り上げるロキ将軍。私は慌ててその振り上げている腕にしがみ付いた。


「ちょっ…邪魔すんなって」


「だめです!こんなパン一つ盗ったくらいなら反省し直す事もできます!」


「馬鹿か!そんなド定番の正義感なんかいらねぇんだよ!」


「お願いします!だって、まだ子どもじゃないですか!!」


思わず大きくなった声。それを叫んだ瞬間に掴んでいた腕が大きく振られて私の身体ごと振り払われた。不恰好に地面に崩れた身体が情けない痛みを感じている。


そんな私を見下ろすようにして立っているロキ将軍。その表情は不愉快そうに歪んでいてまっすぐに私を睨み付けていた。



「今お前、反省がどうとか言いやがったけどな。こいつらは悪事だと思ってやってる訳じゃない。これをやらねぇと生きていけないから生きる為にやってんだよ!!人を殺して食べ物が手に入るなら人殺しだってやる。お前みたいに毎日何の心配もせずに生きてきた奴が簡単に介入すんじゃねぇ!!」


急に頭の上から降ってきた怒号。それに何も言い返せなくて思わず私は下を向くしかなかった。情けない事に地面に着いた両手も小さく震えている。


「ちっ…おい。そいつ連れてけ。あとで俺が処理する」


「はっ」


反論する様子のない私。それを確認して舌打ちをするとロキ将軍は近くの兵に指示を出した。連れられていく少年は抵抗する様子もなく俯いて城の方へと歩いていく。


背中を向けていた男性も私達に再度一礼をするとそそくさと道の向こうへ消えて行き、残されたのは私とロキ将軍だけになっていた。


暫くの沈黙。お互いに動くこともなくただ時間だけが過ぎている。だけど私が立ち上がるのを待っているのだと気がついて、私は慌てて立ち上がった。


「…戻るぞ。城だ」


それだけ言ってざくざくと足音をたてて城の方へと歩いていくロキ将軍。私は小さく返事をしてその後ろを歩いた。


前を歩くその背中を見ただけで機嫌が悪いのがよくわかる。…ただ私もあんな風に返事が返ってくると思っていなくて少しバツが悪い。ロキ将軍の言う通りだった。


謝罪の言葉を述べるべきなのだとわかってはいる。でもやっぱりあんなにあっさりと人の命を奪おうとする事には納得が出来ない。あんなやせ細った子どもが無条件に切られるというそこだけで動いていた。


それでもロキ将軍の言っていた内容の方が正論で。あの子はきっと明日も同じことをするのだろう。


それがこの国の、今の現状だったから。



オリンポス北方司令部。


皆がデスクに向かって黙々と仕事をこなしていたが小さくノックがなって一枚の書類がセイの元へと届けられた。近くで別の書類をまとめていたビートが顔を上げると書類を手にしたまま笑っているセイの姿が見える。


「セイ将軍、どうかされました?」


そうビートが声をかけると微笑んだまま小さく頷くと持っていた書類をスカイに渡した。


「スカイ。そのうちロキが帰ってくるから準備をしておいてくれ。ビート、君もついて行くといい」


「お、了解っす。行きますか」


「は、はい!!」


セイから書類を受け取り部屋を出る二人。部屋に残ったフレイは何やら楽しそうなセイを見て小さくため息を吐きながら窓から城の門の方へと視線をやった。


「帰って来てますねロキ将軍。何やら随分とご機嫌斜めな様子ですが」


「アマービレ君と何か揉めたんじゃないか?どうせロクに説明もせずにまた何かやらかしたんだろう」


「そうですねぇ…アマービレさんも何ともいえない顔してますけど大丈夫でしょうか」


そう稀有するようにセイに意見を求めてみるがセイは特に気にした様子はなく笑っているだけ。彼は今回の補佐官に随分と期待をしているようで「彼女なら暫くは続くだろう」と初日から言ってのけた。


フレイからすればどこにそんな根拠があるのかと意見したい所だったが如何せんセイの方がロキとの付き合いは長い。


そんな彼の落ち着いた様子に小さく笑うと諦めたように自分のデスクへと戻る。きっと何か感じる物があるのだろう。そう考えて先ほどまで行っていたロキの後始末の書類に再度目を通しながら腱鞘炎になりそうな右手で再度ペンを握り締めた。



階段を上って広間を抜けて。立ち止まる事なくただひたすらに歩いていくロキ将軍。今朝のような早足ではないが立ち止まらない人間について行くのがこんなにも大変なんだという事を今日初めて知った気がした。


大広間に出ると数人の兵士達がロキ将軍を迎えるようにして集まってきた。恐らくさっきの少年の事について話しているんだろう。何となくあまり聞かないようにしながら待っているとその話をしながら何人かを連れて歩き出した将軍。


ついて行くべきなのか否か。一人残されて悩んでいると残っていた兵士の一人が先に司令部に戻っているように、とのロキ将軍の伝言を伝えてくれた。


私よりはるかに年上であろう彼。それでもとても丁寧な口調で話し、私が歩き出すまで頭を下げたままで見送ってくれていた。


一人で先に戻れ、というのはロキ将軍なりの優しさなのかもしれない。あの少年がどうなるのかはわからないがさっき言っていたように『処理』されるんだろう。


処理、という言葉の形もそうだが今何が行われているのかと考えるとそれだけで嫌な気分になる。そもそもここは軍隊でありそんな事に引っかかっていても仕方ないのはわかっている。


そして今はこうして部外者面して悩んでいられるがいつかは私もこの手を血に染めることがあるのかもしれない。


そう考えると今以上に気分が落ち込んでいくのがわかった。


「おや、随分酷い顔をしていますね」


周りなど見ないでぶつぶつ独り言を言っていたであろう自分。それに対して聞き覚えのある声が何かを言っているのが聞こえて私はふと顔を上げた。


「そんなに下を向いていると誰かにぶつかってしまいますよ」


優しい声。その主は今朝埃だらけの部屋で本を読んでいたテナ将軍だった。いかんせん服装が昨日に比べると汚らしくなっているのが少し気になったが顔見知り程度でも知っている顔に声をかけられた事で少しだけ気分が穏やかになった気がする。


慌てて自分が情けない顔でぼんやりしている事に気がつき目の前に居る将軍に敬礼をした。


「も、申し訳ありません!ちょっと考え事をしてまして」


「構いませんよ。随分深く考え事をしていたようで。何度かお名前を呼ばせていただいたんですけど」


「はっ!?申し訳ありませんっ!!」


慌てふためく私に困った表情のテナ将軍。馬鹿みたいに何度も頭を下げる私を制しながら何故かうっすら焦げ臭い自らの衣類の誇りをはたいていた。



「まだ二日目ですよ。ここでめげていてはあの将軍サマの相手は出来ません。頑張ってくださいな」


特に何があった、何て話はしなくてもわかるほど私の顔は落ち込んでいたのだろう。情けない顔でしか返事が出来ないのが申し訳ないが流石にいきなり上官の愚痴をこぼすわけにもいかない。


テナ将軍に力なく返事を返して再度司令部を目指そうと歩き出すと後ろから再度声をかけられた。


それに返事をするように振り向くと先ほどよりいくらかしっかりした顔をしたテナ将軍。何事かと私が口を開こうとするとそれを遮るかのようにテナ将軍が先に言葉を発した。


「アマービレさん。心で、見るんですよ。目で見た物だけに捉われないように気をつけて下さいね。それだけではきっと何も見えはしませんから」


意味深なそんな言葉。だがその意味を聞き返そうと私が口を開いた時には既に彼の背中がこちらに向いていた。


「え、今何を言ってたの…?」


突然放り投げられた言葉に思わず一人で復唱してみるけど。

心で見る。その言葉は抽象的だけど意味はわからなくもない。


けどあまりにも突拍子が無さ過ぎてどう自分に活かせば良いのかがわからなかった。ましてやこんなもやもやしている時にそんな謎解きみたいな事言われても。


「言うだけ言って去っていくなんて…ある意味優しくない方ね」


そう思わずついた悪態。それと共に本日何度目なのかもわからないため息をついてから今度こそ私は司令部に向かって歩き出した。


それまでは全然気がつかなかったけど廊下ですれ違う兵士達が皆私を見ると敬礼をして道を開けてくれている。さっき伝言を伝えてくれた兵士と言い…皆どう見ても私なんかより歳も上に見えるのに。


…なんて。


違和感を感じてはいても元々自分が生まれた環境も同様の物だった。ラグナロクで全てが無くなってしまってからは本当に大変だったけど。


「お前みたいな奴が簡単に介入していいことじゃない」


そうさっきのロキ将軍の言葉を思い出す。確かにそうなのかもしれない。生まれた時から暖かい寝床に華やかな衣類、おいしい食べ物は常備されていた自分。


明日の食べ物の為に危険を犯そうなんて考えたことが無かったんだもの。…だから仕方ない。


そう自己を擁護するような独り言を心の中で呟きながらようやくたどり着いた司令部の扉のノックをした。

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