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静かな朝

作者: ウボ山

どこか遠くで目覚ましが鳴っている。


いや、遠くで鳴っているように聞こえる、という表現が正しいか。目覚ましが置いてある場所は私のすぐ近く。手を伸ばそうとすれば簡単に届くところにあるのだから。


とは言っても、その手を伸ばすことが難しい。そのような意味で「遠い」と表現したわけではないのだが。


ああ、このままもう一度眠りに就いてしまおうか。こんな辛い現実から逃れて、もう一度夢の中へ……なんて考えが浮かんでくる。私のすぐそばで、目覚ましがけたたましく喚いているのには間違いないのに。


今日は休日なんだ。こんな早くに起きなくてもいいじゃないか。寝よう。


「――――!」


何かが聞こえた気がする。気のせいだ。寝よう寝よう。


「――ま――――え!」


気のせいだ。


「うるせえ! 起きろ!」


そう耳元で怒鳴られた気がした。


私の目覚ましは、私を起こす人を起こす目覚ましになっていた。




*  *  *




私はベートヴェンだ。


何故なら、私は天才だから。


比類無き、「音楽」の才を持っていたから。


物心付く前から私はピアノを叩いていたらしい。


恐らくそこに「音楽」というものは無くて、ただ叩くと音の出る何かが面白くて仕方なかったのだろうが、それも一つの「音を楽しむ」ということだったのかもしれない。


そこから暫くすると、「音楽」という物を知り始め、私は日々ピアノに向かった。


先生はとても厳しくて、ピアノを弾くのをやめたいと思うときもあったが、以前弾けなかった曲を澱みなく弾くことができた時の喜びと興奮で、そんなことは忘れてしまっていた。


その時の私は、同年代の子どもと比べて抜群にピアノが上手だった。コンクールでは賞を根こそぎ掻っ攫い、テレビのインタビューが家に来たことも覚えている。


私はその頃「神童」と呼ばれていた。


その後、私のピアノの腕前は年齢と鍛錬と研鑽を重ねる毎に上達していき、いつの間にかプロをも唸らせるものとなっていた。


ピアノが、「音楽」が好きで好きで、仕方なかった。


「音楽」だけが私の生きる道なのだと信じていた。




いつからだっただろうか。私が「ベートヴェンの再来」と呼ばれるようになったのは。


私が「音楽」の才を失ってしまったのもその頃だった。




私はゆっくりと身を起こす。今日は休日だからそう慌てることも無い。床に足をつき、大地を踏みしめる。身体がふわりと持ち上がった。


「音楽」を失ってからずっと私はある「感覚」を覚えていた。


この世の全てから、私だけが「浮いている」ような感覚。いや、「沈んでいる」のかもしれない。


これは、中学二年生特有のあの病気ではない。万能感だとか、優越感だなんて物を、私は一切感じたことは無い。


あるのはただ、浮遊感だけ。


喧騒に塗れたこの世の中で私一人だけがポツンと佇んでいるような。孤独感とも違う、ただ私が酷く浮いてしまっているような。


月面に独りで着陸した宇宙飛行士はこんな気持ちなのかもしれない。


私は、地に足ついていることをしっかりと確認し、一歩一歩を確実に歩いていった。


静かな朝だ。


私は制服に腕を通した。休日なのに制服を着るのに特に意味はない。服を選択する必要がないから着るだけ。その分、母が洗濯しなくてはいけないのだが。




私が浮いている理由。


それは周りと比べて私が優秀だとか、特殊な技能を持っているだとか、オッドアイだとか、私が人間でないだとか、日々「機関」との戦いにその身を置いているだとか、そういう物ではない。


ただ単に、私は人との関係が薄いのだ。


簡単に言うと、友達がいないのだ。


何故なら、私はコミュ障(コミュニケーション障害)だから。


たった一つの取り柄であった「音楽」の才能を失ってしまったから。


私は、部屋の隅にあるオルガンに目を向けた。


今では残された友達は彼一人。ただ一つの、話を聞いてくれるもの。


昔から彼は友達だった。私は彼との対話が大好きで仕方なかった。しかし、今ではもう彼はその声を聞かせてくれない。


彼のもとへ行き、鍵盤蓋を拭ってやる。埃塗れだ。

彼を見るだけで、どこか胸が締め付けられるような感じがする。


鍵盤蓋を持ち上げてやると、白と黒の鍵盤が顔を出した。


吸い込まれそうなほど黒く、眩暈がするほど白いそれに、私は一時の間心を奪われていた。


私はゆっくりと一つの鍵盤を押し込んだ。


彼の奏でる「音」を確かに感じる。


私は、そこでどうしようもなくなってしまって、泣いてしまった。


手を彼の鍵盤に叩き付けた。


運命が戸を叩く音が聞こえた気がした。


私にはもう「音楽」なんてない。


しかし、私はやるしかない。


私は「第二のベートーヴェン」なのだ。


それ以外の私に価値なんて無いのだ。


だからこそ、私は「音楽」を楽しめなくとも、「音楽」を続けているのだ。音をかき鳴らすことが、私にとっての存在証明なのだ。




その日は、静かな朝だった。


私の慟哭は、無音に紛れて吸い込まれていった。

当初は「難聴の女の子がパンツ丸出しで街を闊歩する話」になるはずでしたが、なぜかこうなりました。


ヘレン・ケラーは言いました。


Blindness cuts you off from things; deafness cuts you off from people.(目が見えないことは人と物を切り離す。耳が聞こえないことは人と人を切り離す)


第二のベートヴェンと評された彼女は、ただひたすらにピアノを弾くのです。なぜならそれが自分の運命だから。


こういう作品は後で読み返すと恥ずかしくなってくるので嫌いです。

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