【揺花草子。】<その1505:不揮発性。>
【揺花草子。】<その1505:不揮発性。>
Bさん「阿部さん阿部さん。今日3月11日。」
Aさん「うん、そうですね。」
Bさん「そしてあの日と同じ、金曜日です。」
Aさん「──うん。」
Bさん「既にぼくらはある程度この日のことについてこれまでも話して来ているけれども、
やっぱりね。ちょうど5年と言うのはある種の節目に感じるね。」
Aさん「うん・・・そうだね。
もう5年か・・・。」
Cさん「もちろん今もなおあの苦しみから脱却できていない人や場所があるのは間違いないし、
もう5年と思うか、まだ5年と思うかはあの出来事がそれぞれに
どんなものであったかによって大いに違ってくるところだと思うけどね。」
Aさん「そうですね。」
Bさん「それでもきっと、ぼくらはあの日の出来事はたぶん一生忘れないし、
誤解を恐れず言うなら、昨日の出来事のように思い出せる。」
Aさん「確かに。」
Cさん「でもあの出来事を直接経験しなかった人たちにとっては、
きっとそうではないんだと思うのよね。
直接関係のなかった人にとって、5年と言う年月は記憶が薄らいで消えていくには
きっと充分な長さだわ。」
Aさん「そう・・・かも知れません。
ぼくらはあの日の出来事を克明に覚えてるから、ニュースやドキュメンタリーで
『あの日の記憶を風化させないように』とか言われても
正直ちっともピンと来ないですよね。
風化も何も、ぼくらの中ではぜんぜん薄らいでもないんですけどみたいな。」
Bさん「そうだね。
きっとぼくらは、そう言う体験をしたんだよ。
体験しなかった人にとっては、たぶん、
忘れちゃいけないけど、それは少し難しいただのありふれた出来事。
体験した人にとっては、たぶん、
忘れようと思っても、それはとても難しい特別な出来事。」
Aさん「うん・・・。」
Bさん「でもそれは、仕方のないことだとも思うよ。
『忘れないようにしよう』って言うのは、裏を返せば、
『意識しとかなきゃ忘れちゃうことだ』って言う意味も含んでるもん。
残念なことだけども、この点において、当事者と、そうじゃない人たちの間には、
確実に断絶がある。
もちろんそれが悪いことだとか言うわけじゃないよ。
ぼくらだって、別のなにかに関しては部外者なわけだから。
誰もがすべての当事者にはなり得ないんだから。」
Aさん「まあ、それはそうだ。」
Bさん「──だからこそ、少なくとも『当事者』であるぼくらは、
この先もずっと、『当事者』であり続けなきゃいけないと思うんだ。
時間が経てば自然にあの時の傷の多くは癒えて、
痛みは記憶の中の出来事に埋没していくけれども、
少なくとも年に1回この日だけは、あの日の出来事を思い出すことを続けることに
ぼくは一定の意味を見出すよ。」
Aさん「そうだね。」
Bさん「そしてその記憶がこの先も受け継がれていくと、信じたい。」
Aさん「うん・・・。」
Bさん「ぼくは願う。
ぼくは信じる。
ぼくは祈る。
この日がずっと未来まで、特別な日であり続けることを。」
Aさん「そうだね。
ぼくも同じ想いだよ。」
あなたにとってもそうであれば良いなと思います。
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