勇者が望む正解
府前市郊外の崩れかけた雑居ビル
埃の積もった長い会議室用の机。すると机の下から、にゅっと手が伸びて来て机の上をまさぐっている。その手は何かを探しているようだ。
やがて、机の下に落ちているゴミと見間違うかのようなボロ布が起き上り栗橋友康が顔を出した。友康は寝ぼけて目覚まし時計を探していたのだった。
「あっ、そうか……」
友康は今は自分一人である事を思い出したようだ、府前基地で劫火型不死者と対決した後に、這う這うの体で逃げ回り崩れかけたビルで一夜を過ごしたのだった。
それは達也に手渡された一片の紙切れだった。『 にげろ 』とだけ書かれている、政府機関に捕まれば何かとまずい事態に巻き込まれる可能性があるらしい。友康は基地で仲間とは合流せずに山に籠ろうと考えていた。
何日か前、就寝前に前原達也から渡された無線機で達也と交信した。
『兎に角、今は逃げてくれ。 捕まれば”コドク過”事変の責任を被せられた上に、口封じで消される可能性が高い。 恩知らずの分からず屋連中はこっちで何とかする』
「……」
『俺はともかく隆二は臨時政府の重要なポジションに居る。 中の情報を整理して邪魔な奴は誰なのかを調べる必要があると言ってる』
基地のその後の話を聞いた感じでは、劫火型不死者対策を行えるようになったらしい。強力な赤外線ライトを備えた高機能機動車と10式戦車のペアで劫火型を次々と葬っているらしい。地上を人類が取り戻すのも時間の問題だろう。
その後のインフラの整備や生産活動の再開は臨時政府の仕事だ。日常を取り戻そうという時にヒーローは邪魔なのかもしれない。
”偶像はいらないって事か……”
人付き合いの苦手な友康でも、察する事は出来る。今回の事変のスケープゴートを探している位の事は察するぐらいは出来る。正々堂々と捕まっても構わなかったが、それをする事で隆二や達也や片山隊長を窮地に追い込む可能性も否定できない。見極めが出来るまで隠れているのが得策と判断したのだった。
それに、自分の存在が不死者たちを引き付けてしまうのであれば、仲間と一緒だと彼らを巻き込んでしまうからだ。”ま、元々ひとりでやってきたんだからいいか……” 友康はカラ元気を奮い立たせるように手足を伸ばし始めた。変な体制で寝ていたので身体の節々が痛い、パキパキと音を立てている。
もはやガラスなど無くなっている窓から、外を見ると星の瞬きが消え漆黒の闇に覆われていた空に、見慣れた青みが戻りつつある。
友康は屋上に行ってみる事にした。田舎に籠って生活基盤を立て直そうと考えていたのだ。それで向かう方向を確かめる為に屋上に上がったのだ。事変が始まって以来、街は不死者や暴徒などに破壊されて様変わりしているので、自分の位置が旨くつかめていないのだ。
そういえば中学生の時分に、”世界がゾンビで溢れ崩壊後にどうするか?”みたいな話しを友達としたことが有った。友人はホームセンターに立てこもるみたいな事を言っていた。
「武器にしやすい物がいっぱいあるし、食料も山盛り有るから楽勝でしょ?」
友人は気楽そうに言っていた。
「でも、他の奴も同じ事考えるんじゃない」
友康がさりげなく反論する。
「ホームセンターに転がってる物を武器にして戦うさ」
何故か戦って自分が勝てる事が前提で友人は話をしていた。
「自分を狙う者が人間とゾンビじゃ、二正面の敵に囲まれるって事じゃん。 生存方法として駄目すぎ無い?」
友康はぱっと考えられるリスクを説明してみた。
「他の生存者たちとは話し合いで解決出来るさ」
話し合えば解り合えると友人は言いだした。
「相手方が話し合いに応じないと駄目じゃない、そこを狙われたらアウトだろ。 世の中、憲法九条を信じている御花畑連中ばかりじゃ無いんだぜ?」
切羽詰まると悪意のある人間が多くなる事に思いが至らないらしい。人間いざとなれば自分を優先してしまうものだ。
「人間一人では生きていけないんだよ?」
友康の反論に言葉の語彙を失った友人はそんなことを言い出した。
「何の必要性も無いのに、何で他人と共存しないといけないの?」
友康は共存する前に人間同士の軋轢で身動きが取れなくなると言いたかった。
「どうして、他人は敵になると考えるのよ。 協調して生活していく事だって出来るはずさ」
友人は自分がリーダーになれば、人間同士のいざこざは回避できると力説し始めた。
「なんで、他人の気持ちまで考えないといかんのよ。 まず、自分が生き残るのが優先でしょう」
自分なら海に面した田舎町。気候が穏やかな所で過ごしたいと言ったら凄い馬鹿にされてしまった。そんな当たり前のことを言ったら虐めが始まってしまった。正論は聞きたくない、自分の都合の良い話しか聞きたくないという人間が多いと知ったのもこの時だ。
そんなとりとめも無い事を考えながら階段を登っていると屋上に着いた。ここにも人間が籠城していた痕跡はあるが誰も居なかった。あるのは誰かが居たらしい痕跡だけだった。
友康は痕跡の一つの椅子に座りこんで空を見上げた。埃まみれだったが気にしない。
天に瞬く星たちが眠りに就く時間が来ているようだ。夜明けだ。色彩が戻りつつある空と、暗闇に覆われた大地の裂け目から、一筋の光が差し込んでくる。 朝の光は友康の顔を照らしだし、それは新しい一日の始まりに、祝福を与えるかのようだった。
青い色合いを取り戻してゆく空。
その青さの間を吹き抜ける風の中に混ざって聞こえてくる音がある。
あの崩壊の始まりの日。その明け方に聞いていた終末の音が響いてくる。地上に残るすべての金管楽器を、出鱈目に吹き鳴らすかのような渇いた咆哮が、ひとりポツンと座る友康を包み込んだ。
周りを見回しても、空を隅から隅まで見ても、終末の音を鳴らしている者の正体は分からなかった。
「まあ、いいか……」
友康はため息を吐いて階段を降り始めた。自分が行くべき方角を見定めたのだ。
友康は廃墟ビルの階段を降りている最中に、記憶の彼方から数々の思い出が到来してきていた。文明が終わりを迎えたその日の光景。
”おトイレのラバーカップ買って来てね” これが最後の会話になった母親。
お互いに愛情の表現の仕方がわからず、顔を合わせても目線を逸らす父親。
肉親を自らの手で始末してやり、自分は不死者になってしまった幼なじみ。
人間から餌をもらえなくなり仲間同士で、共食いするようになった犬たち。
お互いの疑心暗鬼から自滅していった避難民たち。
真っ直ぐに前だけを見ていた自衛隊の男。
難問を前に怯むことなく取り組んでいた研究者。
自分を執拗に追跡してくる不死者たち。
そして、自己の生存をかけた戦いの日々。
「…… くそったれが!」
墓標のようになった廃墟のビル街を、睨みつけながら友康は叫んだ。
すべてに対するやるせない怒りが友康から湧き上がってきた。友康は暫くビル街を見つめていたが、やがて踵を返して山に向かって歩き出した。
”100人いたら、100個の答えがあって、その中に僕の望んでいた正解は含まれて無いのだと判ってきた。 きっと、今日を生きると言うことは、昨日死んでいった誰かへの礼儀なのだろう。 だから、僕は今日を生きる。 …… 僕は、決して諦めない”
今が終焉のコドクの始まりなのか終わりなのかは判らない。 歩き続ける友康の背中に寄り添うように、ラバーカップがいつまでも揺れていた。
長い間、お付き合い頂きまして、ありがとうございました。 この物語はここでお終いです。
僕の繋ぐ言葉の数々が、貴方の心の片隅に残る事が出来たのなら
それはとても素敵な事だろうと思います。
また、次回作でお会いしましょう。




