紙片の合図
府前基地近郊。雑居ビルの外壁。
栗橋友康は避難ロープを頼りに、劫火型不死者へ向かって雑居ビルの外壁を伝い降りていた。
友康は引きこもりのオタクニ-トだ。ロープの降下訓練など受けてなどいない。本来なら避難ロープに両手を使って握っていたい所だが、手に武器を持っているのでそうもいかない。
身体を地面に向け、壁に両足を付けて歩くような格好でトコトコと下っていた。いつだか映画で見た特殊部隊が、ビルの壁伝いに降下してるシーンみたいだなと、友康は呑気に考えながら劫火型不死者の頭を目指して降下していった。
先頭の劫火型不死者は降下して降りてくる友康に気がつかないらしくノシノシと歩いていた。
友康はニートブラザーライト改のスイッチを入れ声を掛けた。
「こっちを見やがれ! ポイズンダァーーーー!!」
不意に掛けられた声に反応して、劫火型不死者が上を見上げる。
「イヴァッハハハハッ」
友康を再び見つけた劫火型不死者は叫んだ。友康は、その目に向かってニートブラザーライト改を照射した。目の付近が赤黒く光っている。
「ィヴァアアアアッ!」
劫火形不死者はいきなり一際高く咆哮した。どうやら目を潰す事には成功しているらしい。まるで無関係な所に腕を振り回している。腕が当たった家は壁ごと打ち抜かれてしまっていた。
急に視界を奪われた劫火型不死者は、そのまま手を振り回し続けた。今度はビルの側面に当たり、ビルの窓ガラスを粉々に砕いてしまった。友康はその腕に当たらないように、壁を蹴って右に左にぶらぶらと揺れながら避けた。友康は避難ロープで上から懸垂されているので、振り子のようにビルの外壁を移動していた。そして、タイミングを計って再び目を潰した劫火型不死者の前に躍り出て来た。その開いた口の中に手榴弾を放り込もうとしているのだ。
ところが、その後ろの方から違う劫火型不死者が現れた。肩の所に載っている子供のような不死者が、友康を指差しながら吼えているのが見える。
「ィキャッハッハッハッハッ!」
子供特有の甲高い笑い声が聞こえて来た。
「チッ! 忙しい時に……」
後ろから現れたもう一体の劫火型不死者。最初の劫火型不死者の止めを刺す前に、こちらの方の目も潰して置かないといけない。まずは制御型不死者の目を潰そうとした。だが、制御型不死者は目の前に自分の腕を持って来て、赤外線の照射を防いでしまった。
「くそっ! なんて、頭が良い奴なんだっ!!」
もう一度照射を試みようとして、スイッチを入れたがライトの反応が無い。”ん?”友康はニートブラザーライト改のリレー用のゼンマイを巻き忘れていたのだった。
「しまっ……」
制御型不死者が友康を指差し、その口を開きながら悲鳴に似た叫び声を上げている。恐らく友康への攻撃を指示しているのだろう。
少女を載せた劫火型不死者は不意に笑った。口に相当する部位がすぅっと開き始めたのだ。
”シュゥォォオオ……”
少しずつ開く口元が眩しいオレンジ色の光を放ち始め、その能面のような顔面にある空気が、まとわりついて陽炎のように揺らいでいる。
「やばい! 劫火砲が来る」
劫火型不死者の動作の意味を理解した友康は焦ってしまった。
大きく開いた口腔の奥の方に集結してゆくオレンジ色の光は、堪り兼ねたように溢れ出て、凶暴な破壊力を持った劫火の紅光を解き放った。
”パウッ!”
先ほどまで、友康が取り付こうとしていた劫火型不死者に向かって咆哮して来た。劫火砲をモロに受けた劫火型不死者は、その上半身をビルの壁面と共に粉砕されてしまった。
友康は一瞬早く、最初の劫火型不死者から飛び離れて、避難ロープの反動を利用してビルの陰に逃げる事に成功していた。しかしながら、そのままだと反動で元の場所に戻ってしまう。友康はラバーカップを窓にボコンッと張り付けて身体が戻るのを防いだのだ。
その友康の後ろを劫火が駆け抜けて行った。
「ひ、ひぃ~」
友康は涙目になりながらも、ラバーカップを窓から捻って外し、新手の劫火型不死者に向かっていった。恐怖に縮こまっていても状況は変わらない。今は攻撃を続ける事が最善と判断したのだ。
「ィキャッハッハッハッハッ!」
制御型不死者は友康を指差して、叫び声を上げ続けている。
「くそっ、くそっ、もう一回喰らえっ!」
もう一度、ライトの照射を試みたが、やはり手で防がれてしまった。
「ちっ」
友康は舌打ちをした。だが、気が付いたことがある。
制御型不死者は今は目の前を覆っている。”今なら傍に取り付ける”そう判断した友康はビルの壁を蹴って制御型不死者の傍に寄った。そして、制御型不死者の顔にラバーカップを貼り付け、そのまま勢い良く後ろに回りこんだ。制御型不死者の頭は顔にラバーカップに張り付いたままに回転し、やがて”ボキン”といやな音が響いた。制御型不死者の首が折れたらしい。
制御を失った身体は妙な格好のまま下に滑り落ち、劫火型不死者は気づかなかったように踏み潰してしまった。
制御型不死者から外れたラバーカップを、今度は劫火型不死者のつるつるした頭に貼り付けた。折角取り付いたのだから、口を開けたままになってる劫火型不死者にテルミット反応爆弾をお見舞いしてやろうとしているのだ。
劫火砲を放った後は、冷却が必要なのか口を開けたままなのだ。友康は口の中にテルミット反応爆弾と手榴弾を纏めて投げ込んだ。七秒位で起爆する。友康は急いで離れようとした。
しかし、劫火型不死者は口を閉じたかと思うと、頭に取りついている友康を掴もうとしてきた。爆弾を仕掛ける前に目を潰すべきだったのだ。友康は左手は避ける事が出来たが右手に掴まってしまった。
「! むぉ~……」
手から身を捩って逃げようと試みる友康。ギリギリと音を立てるかのように握られてしまっている。避難ロープは”ビン”と音を立てて上部の階から外れてしまった。
そして、劫火型不死者が再びニヤリと笑い始めた。
「え!? 俺を捕まえたままじゃんか!」
友康は劫火型不死者の意図に気が付いた。自分の腕もろとも友康に劫火砲を放とうとしているのだ。
「んが! やべぇ~っ!」
友康は劫火型不死者の手から逃れるべく、身体を右に左にと捻った。
突然、劫火型不死者の腹が膨らみ始めた。テルミット反応爆弾が爆発したのだろう。急速に膨らんで、劫火型不死者の腹が限界まで膨らんだかと思った時。
”ブボンッ!”と鈍い音がして新手の不死者は腹が膨れ次の瞬間に爆裂してしてしまった。
友康はその爆裂に巻き込まれて、腕もろとも弾き飛ばされてしまった。
「ぐぇっ」
だが、身体に結んであった非難ロープが不死者の頭に絡まって、地面に落ちる前に友康を腕から抜き出して、叩き付けられるのを防いでくれた。不死者の頭に絡まった非難ロープは不意に緩み、そのまま友康は地面に転がるように投げ出された。
「げほっげほっ…… いってぇ~」
友康は咳き込みながらも起き上ろうとした。すると目の前に腹を吹き飛ばされ、上半身が残った劫火型不死者が倒れ込んで来た。
「ぬぁっと!」
友康は地面を転がりながら避ける。だが、安心するのはまだ早かった。
友康の後ろから”ズンッ”と振動が伝わって来たのだ。ビルの陰から三体目の劫火型不死者が現れたのだ。
「ィヴァッハハハハッ」
三度、友康を見つけ出した劫火型不死者は、喜びの雄叫びを上げて友康に向かって走ってくる。
「ちょっ! なんで、こんなにいるんだよおぉぉ!!」
友康は身体に纏わりつく避難ロープを外して慌てて走り出した。
「そうだ!」
友康はポケットに入ったままのパチンコ玉を思い出した。以前、宮前大橋で襲われた時に、これをばら撒いて走破型不死者の追及をかわしたことがあったのだ。
”バラバラッ”と劫火型不死者が足を下ろす瞬間を狙ってパチンコ玉をばらまく。すると、勢いを付けすぎた劫火型不死者はパチンコ玉に足を取られて前倒しに転んでしまった。まだ、知能が発達していないのか、転ぶときに両手を付くことなく卒倒してしまい、その目に交通標識のポール棒が深々と刺さってしまった。
「ィヴァアアアアッ!」
目に刺さったポール棒を引き抜こうとしているが、上手く出来ないらしく咆哮だけしている。
その様子を走りながら見ていた友康は、路肩に放棄されているハイブリッド車に乗り込んだ。ガソリンが無くてもバッテリーが活きている可能性があったからだ。幸いキーは挿しっぱなしだったので起動してみた。
”ピッ” 電子音が響いて電光板に明かりが点いた。
「…… コイツ、動くぞ!」
友康はシフトレバーをドライブにしてアクセルをベタ踏みした。 後輪が白煙と爆音を立てながら大地を蹴りたてる。 それと同時にハイブリッド車はカモシカのように道路に飛び出した。
劫火型不死者に刺さるポールに体当たりするべくクルマで突進した。劫火型不死者は道路に横倒しになったまま、起き上ろうと足掻いている最中だ。
「うぉおおおおっ! 突貫っっっっ!!」
ハイブリッド車は真正面からポールの支柱土台に衝突し、ポールは深々と不死者に刺さって行った。劫火型不死者はビクンと動いたがそれまでだった。劫火型不死者の脳髄を破壊するのに成功したのだ。
”ぼっふん!”
ハイブリッド車に取り付けられたエアーバックが衝突を感知して膨らんだ。
「うをっぷっ……」
エアーバックは機能通りに友康をハンドルとの正面衝突から守ってくれた。エアーバックに埋もれてしまった友康はジタバタと運転席でもがいていた。やがて、エアーバック内の空気が抜けて動けるようになると、運転席からヨロヨロと降り立った。そのまま、地べた座り込んでため息ついた。
「うがああああっ!」
車を降りると劫火型不死者の周りをうろついていた歩行型不死者が近寄って来た。統率する者が居なくなった彼らは本能に反応して近づいて来ている感じだ。
「ひぃ~、少しは休ませてくれよ……」
友康はニートブラザーライト改を構えると炬燵スイッチを入れた…… が、反応が無い。電池切れだ。
「ええい、じゃあ。 こっちを喰らえ!」
水鉄砲に詰めてある漂白剤を集まって来た不死者たちにかけた。漂白剤をかけられた不死者たちは何事か呻きながら友康に背を向ける。それでも、辺りには歩行型の不死者が無数にうろついているので、友康は疲れた身体を引き摺るようにして、そっとビルの陰に隠れた。
どこかで休みを取りたいと友康は思った。身体のあちこちが擦り傷だらけだったし、顔は煤で黒くなってしまっている。
友康は目の前に有った喫茶店らしき店に入って行った。こういう店には必ずトイレがあるはずなので、そこで休もうと思ったのだ。トイレは店の奥に有り、小窓も付いている。いざという時にはここから逃げ出せるだろう。
友康はトイレの個室に入り座り込んで深いため息をついた。少しだけ冷静になれた気がしたらしい。
「はぁ、しんどっ……」
狭い空間に入ると落ち着くのは、ニートの習性の成せる業なのかもしれない。
「あっ、そう言えば……」
ふと、達也が友康の胸のポケットに何か紙片をねじ込んだのを思い出した。
友康は胸のポケットから、クシャクシャになった紙片を取り出し広げてみる。すると、そこには慌てて書いたらしい走り書きが一言だけあった。
『 にげろ 』




