般若の事情
府前基地近郊
栗橋友康と前原達也は顔を見合わせた。自分たちが居る雑居ビルの上から子供の泣き声が聞こえて来るのだ。これから劫火型不死者と闘おうとしている時に、傍に避難民が居るとしたら闘いに巻き込んでしまう恐れがある。
「まずいな…… ちょっと見に行ってみるか……」
こういう時に達也は躊躇しない。助ける事に慣れているのだろう。ビルの階段を登って行く。二人は最上階に通じるドアの前に来た。中から女性の悲鳴と子供の泣き声が聞こえる。達也が咄嗟にドアを開けようとする時に友康が待ったをかけた。
「こういう時にドアを開けると不死者が居るのはお約束ですよ。 だから、自分が空けますから下がってください」
そう言いながら友康がドアノブに手を掛ける。
「お、おう」
達也は友康に言われてピッケルを構えてドアの脇に退いた。
ドアは”ガチャリ”と音を建て開いたが、中からは何も飛び出しては来ない。二人で中を覗き込むと、室内の窓際に茶色い上着を着た女性と花柄の上着を着た女性が何事か叫んでいる。
「やめてー、来ないでーー」
その部屋は会議などで使われる部屋らしく、広めの室内に長机がいくつかと椅子が散乱していた。
女性たちは長机を横に並べて、三人の不死者に襲われないように防いでいる最中だった。女性の影には三人の子供たちが隠れているのが見えた。下で聞いたのは泣き声はこの子供たちのモノだった。女性たちはテーブルを一生懸命抑えながら抵抗していた。
「うがぁああああ!」
不死者は女性たちの叫び声を気にする様子も無く、テーブル越しに女性たちを捕まえようと腕を振り回していた。二人は中年の男性で、もう一人は若い男性だ。
達也は腰から拳銃を取り出し、まず先頭に居た中年の不死者の頭を撃ちぬいた。中年の不死者は脳の中身をテーブルに撒き散らしながら倒れ込んだ。もう一人の中年の不死者は射線に家族連れが居たので連射が出来ない。しかし、その音に気が付いた若い不死者が友康の方に近づいて来る。友康は思わずラバーカップを不死者の顔にカポッと張り付けた。
「・・・もがぁぁぁ!」
ラバーカップを被せられているので若い不死者の叫び声はくぐもって聞こえる。しかも若いだけあって力は強い、友康をジリジリと窓際に追い詰めて来る。
「ぬぁーーーっ!」
友康は不死者の力に負けじと押し返えそうとする。不死者はラバーカップを物ともせずに友康に近づこうと足掻いていた。達也はもう一人の中年の不死者をテーブルから離そうとピッケルで挑みかかっている最中だった。友康の手助けが出来ない。
「ビルの外に放り投げろ!」
達也は友康の方を向いて怒鳴りつけた。友康は若い方の不死者をガラスの無い窓から外に放り投げた…… というか、突き落としたが正しい。その隙に達也は残りのもうひとりの不死者を、足を掛けて転ばしてピッケルを頭に叩き込んで始末した。それと同時に階下から”グシャ”と音が聞こえた。放り投げた若い方の不死者は、今度こそ永遠の眠りに付けたのだろう。
時間にして五分も掛かっていない。達也は肩で息をしながら、室内を見回し他に不死者が潜んでいないか確認した。
「大丈夫ですか?」
達也が拳銃をホルダーに戻しながら、抱き合って震えている女性の一人に聞いた。
「…… 人殺し ……」
それは達也に向かって話しかけられていた。花柄の上着を着た女性が低い声で言い放ったのだ。
「え?」
予想外の反応に達也は戸惑ってしまった。
「よくも家の主人を殺したな!」
花柄の上着を着た女性は般若のような形相になっていた。上目使いに達也を見る目に、怒りが満ちている様だった。
「え? え?」
思わず拳銃で始末した中年の不死者を見た。最初に拳銃で頭を撃ちぬいた中年の不死者は彼女の亭主だったのだ。
「傍に寄るな! 人殺し集団め!!」
そう、叫ぶと花柄の上着を着た女性は子供の手を引いて、廊下の外に走り出して行った。
「ちょっと! 闇雲に外に出ると危ないぞ!」
達也は叫びながら思わず追いかけようとした。しかし、そんな達也を友康は手を掴んで引き留めた。
「追いかけても無駄ですよ…… 今、居る人たちの保護を優先するべきですよ……」
身内の急な不死者化に、錯乱してしまうのは良くある事だ。怒りをぶつける先が必要なのも分かる。しかし、助けてくれた相手を非難するのは駄目だろうと友康は考えた。冷静に状況を判断できない奴は相手にしてはいけない。この事変で友康が学んだことだった。
「追いかけてまで助ける義理は無いです。 それに残った彼女らを守らないといけないですよ」
友康はある意味冷酷だ。追いかけて行って連れ戻す手間と今の状況を冷静に判断したのだろう。優先順位を示す事で達也に冷静さを取り戻して欲しかったのだ。
「いや、それでもあの家族を守る責任が俺にはあるんだよ」
達也はそんな友康の手を離させようと、自分の腕を掴んでいた友康の手を振り払おうと力を入れた。
「助かる可能性を選ばなかったのは彼女たちなのですよ。 それは僕らの責任じゃないですよ」
友康は残った家族連れにも聞こえる様に言った。恐らく勝手に出て行った彼女たちは生き残れないだろう。自分たちで折角の可能性を潰してしまったのだからだ。それを自分たちのせいにされては堪らないと考えたのだ。
振り返ると残った女性が子供たちを抱き寄せていた。
「このビルに逃げ込んだ時に子供が倒れていたそうなんです……」
女性は不死者が発生した経緯を、達也たちに説明し始めた。
「あの女性のご主人が助けようと近づいたら急に起き上って、ご主人に噛みついてしまったそうなんです」
残った女性は大井と名乗った。府前基地に逃げようとしていたが、不死者の大群に怯んでしまい、このビルに隠れてやり過ごそうとしていたらしい。
大井さん家族四人は、先に来ていた先程の家族連れとここで出会ったらしい。しかし、花柄の女性のご主人が不死者になり、介抱していた自分の息子に噛みついた。それを止めようとした大井さんの主人が噛まれて不死者化してしまい、自分たちの家族に襲い掛かって来た。
それを防いでいる最中に達也と友康が来たのだった。
「じゃあ、若い方の不死者は先程の女性の息子さんだったのか……」
達也は考え込んでしまった。火急の事態だったとは言え、目の前で『元家族』だった不死者を始末したのは拙かったのかも知れない。
”不用意に近づいたのが悪い、自己責任”
何でも”自己責任”の言葉が溢れているが、他人事だと簡単にそう言えてしまう。しかし、いざ自分がその立場なら、きっと助けてしまうだろう。”善人程早く死ぬ”のが今の状況だ。仕方が無いと割り切れないものを達也は感じていた。
「じゃあ、もう一人は大井さんのご主人でしたか…… 咄嗟の事とは言えすいません」
達也は大井さんに頭を下げた。
「いいえ、もう私たちが判らなくなっていたみたいですから良いんです。 私たちを助けてくださってありがとうございます」
大井さんも丁寧に達也に頭を下げた。友康は部屋に捨てられていた新聞紙を、頭を砕いた中年の不死者にかけてやり、子供たちの目に触れないようにしてやっていた。
「時間は戻せないです。 どうにも出来ない事をあれこれと悔やんでもしょうがないですよ」
友康は考え込んでしまった達也の肩に手を置いて言った。何でもかんでも一人で背負い込むなと友康は言いたかったのだ。
”ンズゥゥゥン”
劫火型不死者の足音が聞こえて来た。ざわざわとした不快な気も迫って来ていた。
「まず、あいつをやっつけましょうよ」
友康は達也の気を逸らす為に、違う話題を振ることにした。劫火型不死者の足音が聞こえると言う事は、強化型や歩行型が近づきつつあると言う事だ。さっさと対策を考えないと、囲まれて行き詰まってしまう。
「屋上に行ってニートブラザーライト改で奴の目を潰す、その後に手榴弾を奴の口の中に放り込む……ってのはどうだ?」
達也は言った。どうやら劫火型不死者との闘いを前にして落ち着いたらしい。
「そうしましょう…… 僕たちは外の不死者を倒しに行きます。 みなさんはもう少しここで隠れて居て下さいね?」
友康は大井一家に告げると、コクンと一同が頷いた。
友康と達也は屋上への階段を上っていった。闘いはまだ始まってすら居なかったのだ。
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