○彼方への扉 後
後編。
加藤夏希視点。
この話は、私こと加藤夏希の21歳の、とある夏の日の出来事から始まる摩訶不思議なお話の最初の断片である。
前回のあらすじ。
私はデパ地下の青果売り場で果物を売って働いている21歳の女の子。働き始めて1年と数ヵ月。職場には私と同じぐらいの年代の子は殆どいなく、年齢層でいうと30〜40歳ぐらいが一番多かった。その殆どが男性で、女性は数名いる程度だ。21歳の若さと勤続年数の少なさからか、私が希望の休みを取れる事は少なかった。だが、今年の8月24日は大事な用事があったためシフトを作成する31歳の先輩に『絶対休みにしてください』と頼んでいた。そのかいあってか先輩はちゃんとその日を休みにしてくれたのだが、その時に『何があるの?』と聞かれた時には参ったもんだ。
だって言える訳がない。
この年になって少女漫画家相田月々(あいだつきづき)のサイン会に行くだなんて。
8時24日当日。
早起きして相田月々のサイン会が行われる東海ビル4階南広場に行った私は、無事にサイン本、相田月々の『彼方への扉』最新10巻を手に入れる事が出来た。
『月刊らいおん』で人気上位にある作品であるためか私が思っていたよりも会場である広場には人が多く、ポスターや既存本などが置いてあるテーブルもあったりと、イベント会場は賑わっていた。私はその賑わいを少しの間楽しみ、帰ろうとした。
その時にぶつかり出会ったのが、中原綾乃、自称私の娘だった。
「良かった…本当に会えるなんて…!私、貴方の娘です!」
「はぁ?」
不躾にそう言い出した少女に、私はついついいつもよりも低い声で『何いってんだこいつ』の意味を込めて口を開いてしまう。
この少女はいったい全体何を言っているのだろうか。私の娘って……産んだ覚えはないし、私のこの歳でこんなに大きい子、産めるわけがない。
という事は。
イタズラ、若しくはドッキリか嫌がらせ。
「あの、話せば長くなるんですけど。私、中原綾乃といいます。貴方の子供で、えっと、未来から来て…ってあぁっ!!ちょっと待って!!」
少女、中原綾乃に背を向けて立ち去ろうとしていた私を、中原綾乃は慌てて追いかけて腕を掴む。
「待って、お母さんっ!」
「あの、私、貴方のお母さんじゃないです。こんな所で私なんかに構わずに本当のお母さんを探してください。じゃ」
「私のお母さんは貴方なんです!」
しつこいな。
と、表情に思いっきり出してやったのに腕を掴んだまま折れる様子のない中原綾乃を私はじっと見据える。
未来から来た私の娘だぁ?まんま『彼方への扉』の彼方と実空の設定そのまんまではないか。
考えられる選択は4つ。
その1。
職場の人達の嫌がらせorドッキリ。
その2。
学生時代の友人知人の嫌がらせorドッキリ。
その3。
家族の嫌がらせorドッキリ。
その4。
痛々しい少女。
その3はまず無いだろう。家族にここに来る事は言ったが『サイン会』に行くとまでは言っていない。それに、こんなアホみたいなイタズラやドッキリを外でするような家族兄弟でもないからだ。確率は一番0に近い。
その1と2もあまり考えられない。職場の人達にはサイン会、もといこの漫画の事ですら話題にしたことがない。学生時代の友人とはこの漫画の事で盛り上ったりもしたが、サイン会に行く事は誰にもまだ言っていないので、私がここにいる事は知らない筈だ。
もし仮に、職場の人達、学生時代の友人達が私がここに来ている事を知っていた、あるいは知ったとしても私に嫌がらせやドッキリを仕掛けてくるとはあまり思えない。今までそういうのをやられる方とは無縁の人生だったのだから。
という事は、あと考えられるのは…………。
私はこの少女、中原綾乃をとりあえず痛々しい女の子として認識する事にした。
「お母さんっ、話を聞いて下さい!」
「あー…、うん。えっと、そうだね。とりあえず向こう(警備員さんの所)へ行こうか」
「お母さん、私は不審者でもなければ痛々しい人でもありませんよ」
心のうちを見破られ、私はギクリと乾いた笑いを溢す。
「お母さんが自分で言ってましたから。あの時はどこの痛々しい小娘かと思ったって」
「お母さん、いるんじゃない」
「当たり前です。お母さんがいなければ私は産まれてません。言ってたのはお母さん、つまり未来の貴方なんです」
「……………」
そろそろ帰りたい。
本気でそう思いながら、私はきょろきょろと周りを見る。もしかしたらの確率で、やっぱりドッキリなのではないかと思ったからだ。だが、私が見たものはもの珍しげに私達二人を通り過ぎざまに見ていく者、遠めにこちらを見ながらひそひそと話す人達、そして無関心、というか気付いてもいない人達のみ。
ビデオカメラで撮っている人やドッキリ大成功の看板を持っている人などどこにもいない。
てか、ちょっと目立ってる。
それもその筈。
未来から来た娘が自身の親に会いに来るだなんてネタ、もろに『彼方への扉』そのまんま。ここはまさにその『彼方への扉』の作者である相田月々のサイン会会場なのだから。
こんな話をしていて目立たないわけがない。
「ね、ねぇ…。とりあえず場所変えようか」
そう言って私は中原綾乃を連れだってイベント会場である南広場をあとにした。
「お母さん、どこに行くのですか?」
「んー…うん…あのさ、ところでさ、そのお母さんってのやめてくれる?」
東海ビルを出てどこに行くでもなしにぶらぶら歩いていた私は、隣を歩く自称私の娘中原綾乃にお願いする。
「あー…そうですね。まぁ私も同じ歳ぐらいのお母さんにお母さんと呼ぶのは少し変な気分だったんですよ」
「同じ歳ぐらいって、今何歳なの?」
「17歳。高2です」
高校生……。
高校生のくせにこんな痛々しい事をやってるのか。それとも痛々しい事をやっている自覚がないのか。
「お母さんは確か22…ぐらいでしたよね?」
「21」
そしてお母さんと呼ぶのはやめてください。
「ところで、えっー…と、綾乃ちゃんは未来から来た私の娘なんだよね?」
そういう設定なんですよね?
「はい」
「どうやって未来からこっちに来たの?」
細かいところを突っ込んで自滅させてやろうかと考え、私は中原綾乃に質問をぶつける。
「えっと……多分、時空空間竜巻に巻き込まれたんじゃないかと」
なんかSFチックなものきたー。
「私もまさか自分が時空空間竜巻に巻き込まれるなんて夢にも思ってなくて……。あ、そっか。今のお母さんは知らないんですよね。時空空間竜巻の事。でも私もあまり詳しい事は知らないんですけど……」
中原綾乃いわく。
数年後の未来の何処かで巨大鯨が発見された。
その鯨は今まで誰も見たことがない鯨であったため、研究者達がその鯨を調べた。その結果深海に生息する鯨である事が判明。だが、その実態はまだまだ謎に包まれていたため調査研究を続行。その研究の過程で何らかの事故が発生し、その事故が原因で何故か竜巻が発生。研究員の一人が竜巻に巻き込まれ行方を眩ませた。
竜巻はその後数分でその場から掻き消えた。
研究所周辺、竜巻が通った道筋など徹底的に探したが、竜巻に巻き込まれた研究員は見つからなかった。
その後、何回か同じような竜巻が各地で見かけられるようになり、そのたびに一人また一人と行方不明者が出ている事から、あの竜巻は人食い竜巻だとニュースや新聞で大きく取り上げられていたらしい。
そして行方不明者が6人になり、研究者達が竜巻の解析でしっくはっくしている頃。最初の竜巻が起きた時に行方を眩ませた研究員が研究所に帰って来たのだ。
その研究員いわく。
自分は過去に行っていた。時間を越えて過去の世界へ行っていたのだ、と。
「どうやって戻ってこれたのかなどは解らないって言ってたみたいです。気が付いたら未来の、もとの時間に戻っていたらしいってテレビで言ってました」
「…使えない研究者だな」
「過去に、もしかしたら未来にだって行けるかもしれない竜巻って事で、時空空間竜巻。竜巻が起こった時に行方不明になった他の人達も、多分過去か未来に行ってるんじゃないか、って見解らしいです」
中原綾乃の中で、意外ときっちりと考えられていた過去への来方に、私はどうしようもなくため息をつきたかった。
自滅どころの話ではない。
「過去や未来に行ける竜巻。突発的に起こるソレに、まさか私が巻き込まれるとは夢にも思ってなかった……。こんな事になるならニュース番組をもっと見とけば良かったなって」
「……さいですか」
どうしよう。
この子の妄想劇、終わりそうにない。
「で、お母さん……、あっ!えー…っと、夏希…さん。私がもとの時間帯に戻れる方法を一緒に探して欲しいんです」
「……………」
「無理なお願いしてるのは重々承知してます。夏希さんがまだ私が話したことや私が娘である事を信じていない事も理解してます。でも、今、この状態で頼れるのは夏希さんだけなんです。お願いします。私を助けて下さい」
立ち止まり、深く頭を下げる中原綾乃に私はどうするでもなくその頭を見下ろす。
この子は本気で言っているのだろうか。本気で未来から来た私の娘だと、そう言っているのだろうか。そんな設定ぶら下げて、同じ設定の『彼方への扉』の作者である相田月々のサイン会に来たというのだろうか。
そんな馬鹿な。
この子の言う事が真実であるわけがない。深海の鯨とか竜巻に巻き込まれたら過去に行けるだとか、非現実すぎる。
だが、今先程からずっと頭を下げているこの子が嘘を言っているのだと、何故か確信することが出来ない。私が是の答えを出すまでこの子は頭を上げることはないだろう。そう思ってしまう。そこまでの気迫がこの子からはひしひしと感じられる。そして、それは頭を上げようとしないこの子を見ても解ることだ。
私は、夏の太陽ががんがんと照りつける青い空を仰ぎ見て、長いため息をついた。
「……解ったから、とりあえず顔あげてよ」
「お母さん…」
お母さんはやめい。
「お腹空いたからなんか食べにいこう。お腹空いてたら頭も回らないし、ここはめちゃめちゃ暑いしね。とりあえずご飯でも食べながらゆっくり考えようか」
そう言って中原綾乃の目をまっすぐ見て笑ってやる。中原綾乃は少し安心したかのようにはにかむ様に笑い、「はい」と呟いた。
正直言って信じたわけではない。だが、やはりこの少女中原綾乃を無理矢理警察につき出す事も、その辺に放り出すことも、私にはどうしても出来なかったのだ。
それが、この少女が私の娘だからなのか。人としての性なのか。それとも人間のエゴなのか。ただのその時のノリだったのか。
その時の私には解らなかった。多分、考えたくもなかったのだろう。
これが私こと加藤夏希と彼女、中原綾乃が初めて出会った夏の日の出来事。
長い長い夏の
終りそうな夏の日々の
加藤夏希が母親になる日の
たった1つの
始まりの日。
中原綾乃が開いた、
加藤夏希への、扉。
「ふぅ………」
「どうしたの?加藤さん。なんか悩みごと?俺が相談にのってあげようか?」
「あー…いえ、別に。悩みなんてないですよー」
「ふーん。でも最近仕事中によくため息ついてるねぇ」
「え!?そんなにしてますか!?」
「うん。してる」
「…………」
「仕事に疲れてんの?」
「いえ、そう言うわけでは」
「だよね。そうだとしても加藤さんより俺の方が疲れてると思うし」
「嫌みですか」
「んーん。妬み。おっさんゆえの妬み」
「歳ですねぇ」
「その言い方は傷付くなぁ」
綾乃、登場。
「お母ぁさんっ」
「(おかーさん?)」
「綾乃ちゃん、何でここに。あとお母さんはやめい」
「あ、そうだった…。夏希さん」
「…加藤さんの子供?」
「!?違いますよっ!!産んでるわけないでしょうこんな大きな子!!」
「お母さん、ひどいっ!!違うだなんて……っ!私はお母さんの子だって何回も言ってるのにっ」
「やっぱ子供なんじゃん」
「違います!!!!あとそこの綾乃ちゃんは黙ってて」
「酷いよお母さん…、やっと私の事認めてくれたと思ったのに……」
「認知してなかったの?」
「ちっがぁぁーーうっっっ!!!!!!」
っていうのをやりたかったんだよね。