静かな断層
リング時間で午前十時。
外殻区画の照明プロファイルが昼光に切り替わると同時に、街全体がざわめきに包まれた。
今日は《PROJECT NOESIS 公開報告会》が行われる日だ。
ミロの勤務区画でも、作業員たちが端末越しに公報を覗き込んでいた。
Helios、Novagen、Asterion、LatticeBio──リングを支える四大企業の名が並ぶ。
「報告会」とは名ばかりで、実際は企業と政府の綱引きの舞台だ。
外殻の労働者たちは、ほとんどが興味を示さない。
それでも、今日は違った。
人工空が微かに濁って見えるのは、人々の喧騒のせいか、気象制御層のせいか。
「見たか? Heliosの代表がまた出るらしい」
ハロルドが端末をスクロールしながら言った。
「Coreの“扉”に手をかけるつもりなんだ。まだ何も分かっちゃいないだろうに」
ミロは工具を整えながら、小さく頷く。
「お前、またあの信号を追ってるんじゃないだろうな」
ハロルドの声に、彼は一瞬だけ視線を動かした。
「……解析は止めた。公式発表を待つ」
「そうかい。だがな、Coreの中身は待ってても出てこないぞ」
ハロルドは笑って立ち去る。
その背中を見送りながら、ミロは小さく息を吐いた。
ノヴが端末内で微かな信号を発した。
《──先週のログ、未送信分をどう処理する?》
「保留。外部通信が安定するまで待て。」
《了解。だが、通信層に異常波が増えている。報告会に関連?》
「まだ判断できない。」
ノヴとの会話を切り、ミロは視線を上げた。
遠方に、報告会が行われる中枢区画の光柱が見える。
Coreの真上に位置する、情報管理省の塔。
光は穏やかに見えて、その奥では膨大な演算が唸っている。
そこでは今日、世界の“理解”を決める議論が始まろうとしていた。
⸻
公開といっても、参加者のほとんどは政府関係者と企業代表だ。
外殻の住民は、配信映像でしか見られない。
リング全体に中継され、数十億の視線が一点に集中する。
映像の中で、広報官が登壇した。
「本日、PROJECT NOESIS の第七段階成果を報告いたします」
背後に映し出されたのは、
『Noetic Architecture 3.1』の構造図。
思考構造を数理的にモデル化した、巨大な情報体系。
それがCoreの理解と制御を可能にすると言われている。
だが、外殻の人間には遠すぎる。物理的にも。
ミロはただ静かに見つめていた。
発表の途中、映像に一瞬ノイズが走った。
リング各地で通信遅延が発生し、スクリーンがざらつく
周囲がざわめく中、管理局のアナウンスが流れた。
《通信網の一部に不安定な遅延が発生しています。安全に影響はありません》
だがノヴが即座に囁く。
《外殻第七ノードが遮断。内部からのコマンドで切断されている》
「誰の指示だ?」
《不明。プロトコルが通常の認証系列と異なる。──自己署名のようだ》
その瞬間、映像が完全に途絶えた。
光の柱が一瞬だけ暗転し、リング全体の照明が揺らいだ。
ほんの数秒の停電。だがその間、すべての通信が遮断された。
ノヴの音声も消える。
ミロは即座にバックアップ電源へ切り替え、監視ラインを確認する。
端末に、未知の信号波形が残されていた。
それは前回観測したものと似ている──が、違う。
今度の波形は明確なパターンを持っていた。
しかも、まるで“応答”のように。
やがて照明が復旧し、アナウンスが流れた。
《一時的な電力再配分により、通信障害が発生しました。現在は復旧しています》
観客のざわめきが戻る。
報告会の映像も再開された。
しかし発表の内容は簡略化され、予定より早く終了した。
ハロルドが戻ってきて言う。
「見たか? 中継が止まった時、Coreの照明も一瞬消えた」
「気づいた人は少ない」
「だろうな。…あれは…何だったと思う?」
「まだ、何とも言えない」
彼はその夜、ノヴの記録を開いた。
遮断直前に受信したパケットの断片。
そこには、単なるノイズには見えないシーケンスが並んでいた。
──“HELLO”。
ノヴが低い声で言う。
《信号源、特定不能。内部系統から発信されていた可能性あり》
「Coreか?」
《判断不能。ただ──これは意図的だ》
ミロはしばらく黙ったまま、画面の光を見つめていた。
リングの人工太陽が沈みかけ、光層が橙に変わる。
昼と夜の境目をなぞるように、リングの内壁が静かに輝く。
その光の下で、彼はゆっくりと指先を動かした。
“HELLO”のデータ列を暗号化し、個人記録層に転送する。
それが何であれ、外に出すつもりはなかった。
まだ、誰にも。
その夜、Core上空に小さな光の乱反射が観測された。
公式発表では「観測誤差」とされたが、
外殻通信記録には、確かにもう一つの信号が残っていた。
──“IS THERE ANYONE?”
そして、人工太陽が完全に沈む頃、
リングの照明層がわずかに震えた。




