【静かな夜】風が見せる夢
本編の静かな夜を読了後に読むことをオススメします。
草原の上を、やさしい風がすべり抜けていく。
淡い陽の光が地平を照らし、茂る草花がふわりと揺れた。空はどこまでも青く、雲は白く軽い。どこからか運ばれてくる草花の香りが、ほのかに鼻をくすぐる。
――ここは。
俺は立っていた。足元には、緑の絨毯のように広がる草原が広がり、色とりどりの花によって装飾されている。そしてその先には、懐かしい風景。なだらかな丘の上。遠くには、エアリエルの街並みが、霞むように小さく見える。
そうだ。この場所は、俺とあいつがいつも座って、夢を語り合った場所。
「……ヴァンク」
背後から、懐かしい声が届いた。
息をのみ、ゆっくりと振り返る。
そこには――少年が立っていた。
白銀の髪。穏やかな笑み。けれどその瞳は、どこか大人びていた。子どもだった頃のあいつよりも、少し背が伸びている。
「クレール……?」
その名を口にした瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。懐かしくて、でも、夢だとわかってしまうその姿がひどく愛おしかった。
「……風はね、ちゃんと君の声を届けてくれるんだよ」
クレールは微笑んだ。その笑顔は、あの頃と何も変わっていなかった。俺はただ、立ち尽くすしかなかった。
「クレール……お前……本当に……」
「うん。僕だよ。……久しぶりだね、ヴァンク」
風が吹く。草がそよぎ、彼の髪が揺れた。
その一瞬が、永遠に続けばいいとさえ思えた。
「ずっと……ずっと探してた。なのに、俺は……」
言葉が詰まる。悔しさ、情けなさ、いくつもの思いが一気に押し寄せる。
「……そんなこと、言うなよ。俺が、あのとき――もっと強ければ。もっと早く、何かに気づけていれば……っ!」
「ちがうよ」
クレールの声は風のように柔らかく、けれど確かに心に届いた。
「ヴァンク。君のせいじゃない。あれは、あの日の運命だった。誰のせいでもない。……ぼくが自分で選んだ道でもある」
「でも……!」
俺は叫ぶようにして前に一歩踏み出す。まだ小さく押さなかった自分は何も出来ず、今もクレールを探し出すことが出来ない。そんは無力だった自分への怒りが今も胸の底へと残り、拳をギュッと握りしめた。
クレールは近づき、そっと俺の手を取った。
「ぼくは、生きてるよ。風の加護の中で、ちゃんと。君が、探し続けてくれたから。……あきらめなかったから、こうして風が君をここへ連れてきてくれたんだ」
その手は、あたたかかった。夢の中なのに、こんなにも――。
「……また、会えるのか?」
俺は問いかける。夢の中とは思えないほど喉の奥がつまって、言葉が震えた。
クレールは頷いた。まっすぐに、迷いのないまなざしで。
「うん。でも、それは今じゃない。もう少しだけ、風の導くままに進んで。……あの方も、見ていてくれるから」
「あの方……?」
「うん。ぼくたちの約束を、あの方はちゃんと覚えてる。……そして、ヴァンクが守ろうとしてるその想いも、届いてる」
クレールはそっと空を見上げた。風が吹き、彼の髪と草花をやさしく揺らす。
「風は導いてくれる。君が道に迷った時に背中を押してくれる」
風が吹いた。優しく、背を押すように。クレールの姿が、風に包まれて少しずつ薄れていく。光が、白く渦を巻き始める。
「……待ってくれ! まだ――!」
「だいじょうぶ。かならずまた会えるよ。君と"あの人"が出会えたように」
その言葉とともに、クレールは手を振った。ふわりと微笑みながら。
「今の君なら……もう一度、ぼくを見つけられる。ふふ、まるでかくれんぼだね」
「……クレール……!」
その名を叫んだとき、世界が光に包まれた。
――ヴァンク。きっと、君は風の中で答えを見つける。
そして。
「――待ってる」
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目を覚ますと、静かな朝だった。
カーテンの隙間から、柔らかな陽が差し込み、風は自分の頬を伝っていた涙を優しく拭うように優しく触れた。
窓の外、庭の草花がそよいでいる。その音がまるで、誰かの囁きのように優しく耳に届いた。
俺は、そっと手を伸ばす。夢の中の、あの風をつかもうとするように。そして、ぽつりと呟いた。
「……君に会いに行くよ。クレール」
風が応えるように、ふわりと部屋を通り抜けていった。
――まるで、もう一度始まる約束の続きを、やさしく背中で押してくれるかのように。