表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

紫陽花の想い出

作者: 葛西渚

久々に実家へ帰ると、紫陽花の絵が飾られていた。小学生の私が幼いなりに、さまざまな色を駆使して完成させた紫陽花の絵。少し前まで、常に上下逆さだったこの絵が、正しく飾られるところを見て、私は少しだけ昔のことを思い出す。




小学生のとき図工の時間で、花をテーマに絵を描くことになった。みんなは花壇のある中庭に集まり、様々な花の絵を描いたが、私は職員室の裏で身を寄せ合うようにして咲く、紫陽花を選んだ。紫陽花を花びらを一つ一つ描くことは細かい作業で、神経を集中させるような作業だった気がする。


週に二時間ほど、そんな作業を繰り返し、多くの生徒が絵を完成させたが、私の絵は細かくて、なかなか完成することなく、花をテーマにして絵を描く図工の時間は終ってしまった。それでも、私は紫陽花の絵を完成させるため描き続けた。


先生に完成させるよう、言われたからか、自主的だったのかは覚えてはいないが、私は放課後残って、紫陽花を描き続けた。友人が一人残って、私の作業が一段落終えるまで、毎日のように待っててくれたのは、今思うと有り難いことだった。




私は何日か居残りを続け、紫陽花の絵を完成させた。青い紫陽花を中央に、赤い紫陽花、枯れた紫陽花、色付きの悪い紫陽花が並んだ絵だった。自分ではそれが上手なのか分からなかったが、小学生なりの大作ではあったと思う。


教室の前の廊下に、生徒たちの絵が並べられた。幾分か後れたが、やっと私の絵もそこに並んだ。それから、授業参観日がやってきて、母は忙しい中、仕事の合間を縫ってやってきてくれた。そして、家に帰ってから私の絵を大層誉めてくれた。


「色使いが良かった。そして、貴方の根気強さを感じた。それは、母としてとても安心したし、誇らしく思った」と。


自分としては努力をしたつもりはないし、やることをやっただけなので、誉められてもあまり実感はなかったが、単純に嬉しくはあった。




数日経ったある日、並ぶ生徒たちの絵の中から私のものだけがなくなっていた。何があったのか、と気にしていると、担任の先生に声をかけられた。


「貴方の絵、素晴らしかったから、○○にスイセンしたよ」と


このとき、私は推薦の意味も分からなかったが、何かに選ばれたのだ、と言うことは理解できた。自分が選ばれた喜びはもちろん、母の目は、確かだったのだ、と思うとそれも誇らしかった。


母に報告すると「そうだと思った。あの絵はよかったもの」と笑った。教室の前に並んだ、みんなの絵が取り外され、それぞれのもとに、返されたが、私の絵は返ってこなかった。




先生にどこに行ったのか聞くと「スイセンに出したから、まだ返ってこない」とだけ言われた。それも母に報告すると、少し嬉しそうに「そうなんだ。返ってくるの、楽しみね。あ母さん、本当にあの絵、いいと思ったから」と言った。


私も早く絵が返ってきて、母に手渡し、喜んでくれる日を楽しみにしていた。




しかし、絵はなかなか帰ってこなかった。

季節が変わり、学年が変わっても。時々、私は先生に尋ねた。


「紫陽花の絵、どうなったの?」と


だが、先生は曖昧に返事するだけで、具体的なことは教えてくれなかった。子供ながら、聞くたびに迷惑そうに顔をしかめられる、と気付き、絵について訪ねることを控えることにした。


私は、もしかしたら、あの絵は立派な場所に展示され、多くの人に評価されているのかもしれない、と勝手に納得した。


そして、卒業も間もなくとなった。母も「あの絵、どうなったの?」と聞くようになり、私はもう一度、先生に尋ねてみた。


「あの絵、返してください」と。


すると、先生は煩わそうに「あー、はいはい」と言って立ち上がった。どこに行くのか、と付いていけば、教材やらカーテンやら、不要なものが詰め込まれた物置部屋だった。そして、その棚の中から、私の絵が取り出されたのである。


「はい」とだけ言って、先生はそれを私に渡した。


ありがとうございます、と私は言ったが、釈然としない気持ちでいっぱいだった。埃にまみれた私の絵は、私の想い出の中にあったそれとは違い、とても貧相でムラのある、汚い絵に見えた。


それでも、その絵を手渡したときの母は「やっと返ってきてくれた」と、喜んでくれた。私は絵がずっと汚い物置部屋に置かれていたことは言えなかった。




母はわざわざ額を買って、私の絵を飾った。私が上京して、たまに帰ると、その絵はやはり飾られていた。絵は上下が分かりにくいものだったので、いつも逆さに飾られていた。私は母に「逆だって」と笑いながら直すと、母も「そうだっけ」と笑った。


また、母は思い出すように、その絵を誉めてくれた。嬉しいような恥ずかしいような、そんな感情のあとには、必ず埃まみれで手渡された瞬間を思い出してしまう。


私の得意気な気持ちと、母への尊敬が踏みにじられた、あの瞬間を。あの先生は、若いこともあって、生徒から人気があった。


でも、私は彼がそういう人間であると知っていた。絵の件の他にも、時々見せる、子供を馬鹿にした態度を。


先生、私は覚えていますよ。

貴方がどんなな人間なのか。私と母の気持ちを踏み躙ったことも。


貴方にとっては取るに足らない、仕事の一部だったかもしれなけれど、私にとっては大きな出来事でした。些細なことだ、と笑うかもしれませんが、私は自分を肯定してあげられない人間になってしまった。そんな影響を与えたのです。


どうしてくれるのですか。責任を取れるのですか。謝ってほしいわけではありません。顔だって二度と見たくないのですから。ただ、後悔してください。深く後悔して、人を不幸にしてしまった罪を、ずっと忘れないでいてほしい。


でも、そんなこと忘れてしまったでしょう。貴方は、そういう人なのだから。




今はもう私の紫陽花の絵を誉めてくれる人はない。いつの間にか逆さになってしまうこともなくなり、誰かが触れた様子もない。


六月になって道端で紫陽花を見かえると、私は思い出す。


私を誉めてくれた人のこと。

私を踏みにじった人のこと。


私は忘れない。たぶん、これからも。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


もし、まだブックマーク登録をお済でない方は「ブックマークに追加」のボタンを押していただけると嬉しいです。


他にも下の方にある☆☆☆☆☆のボタンによる応援、感想を投稿いただけると、モチベーションアップにつながります。


別の作品も投稿していますので、よろしければ覗いてみてください。


■ポンコツ聖女は急成長するショタ王子の要求を断れない

https://ncode.syosetu.com/n2444iv/


■異世界でチート無双するはずが、そこは実力主義の世界だった

https://ncode.syosetu.com/n3882ie/


■隕石が落ちた地で(短編)

https://ncode.syosetu.com/n6677ie/


■私の彼氏は確かにクソ野郎だけれど、あんたみたいな男とは付き合いたいと思えない。理由はないけれど絶対無理。

https://ncode.syosetu.com/n6322ho/


■異能探偵

https://ncode.syosetu.com/n0579gi/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 子供との信頼関係は些細なことであっさりと崩れる瞬間が来る、それに気づけなければ、そこから生まれた溝は一生埋まらない。 常々そういう考えがあります。 このお話を読んで、彼女のお母さんはその…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ