紫陽花の想い出
久々に実家へ帰ると、紫陽花の絵が飾られていた。小学生の私が幼いなりに、さまざまな色を駆使して完成させた紫陽花の絵。少し前まで、常に上下逆さだったこの絵が、正しく飾られるところを見て、私は少しだけ昔のことを思い出す。
小学生のとき図工の時間で、花をテーマに絵を描くことになった。みんなは花壇のある中庭に集まり、様々な花の絵を描いたが、私は職員室の裏で身を寄せ合うようにして咲く、紫陽花を選んだ。紫陽花を花びらを一つ一つ描くことは細かい作業で、神経を集中させるような作業だった気がする。
週に二時間ほど、そんな作業を繰り返し、多くの生徒が絵を完成させたが、私の絵は細かくて、なかなか完成することなく、花をテーマにして絵を描く図工の時間は終ってしまった。それでも、私は紫陽花の絵を完成させるため描き続けた。
先生に完成させるよう、言われたからか、自主的だったのかは覚えてはいないが、私は放課後残って、紫陽花を描き続けた。友人が一人残って、私の作業が一段落終えるまで、毎日のように待っててくれたのは、今思うと有り難いことだった。
私は何日か居残りを続け、紫陽花の絵を完成させた。青い紫陽花を中央に、赤い紫陽花、枯れた紫陽花、色付きの悪い紫陽花が並んだ絵だった。自分ではそれが上手なのか分からなかったが、小学生なりの大作ではあったと思う。
教室の前の廊下に、生徒たちの絵が並べられた。幾分か後れたが、やっと私の絵もそこに並んだ。それから、授業参観日がやってきて、母は忙しい中、仕事の合間を縫ってやってきてくれた。そして、家に帰ってから私の絵を大層誉めてくれた。
「色使いが良かった。そして、貴方の根気強さを感じた。それは、母としてとても安心したし、誇らしく思った」と。
自分としては努力をしたつもりはないし、やることをやっただけなので、誉められてもあまり実感はなかったが、単純に嬉しくはあった。
数日経ったある日、並ぶ生徒たちの絵の中から私のものだけがなくなっていた。何があったのか、と気にしていると、担任の先生に声をかけられた。
「貴方の絵、素晴らしかったから、○○にスイセンしたよ」と
このとき、私は推薦の意味も分からなかったが、何かに選ばれたのだ、と言うことは理解できた。自分が選ばれた喜びはもちろん、母の目は、確かだったのだ、と思うとそれも誇らしかった。
母に報告すると「そうだと思った。あの絵はよかったもの」と笑った。教室の前に並んだ、みんなの絵が取り外され、それぞれのもとに、返されたが、私の絵は返ってこなかった。
先生にどこに行ったのか聞くと「スイセンに出したから、まだ返ってこない」とだけ言われた。それも母に報告すると、少し嬉しそうに「そうなんだ。返ってくるの、楽しみね。あ母さん、本当にあの絵、いいと思ったから」と言った。
私も早く絵が返ってきて、母に手渡し、喜んでくれる日を楽しみにしていた。
しかし、絵はなかなか帰ってこなかった。
季節が変わり、学年が変わっても。時々、私は先生に尋ねた。
「紫陽花の絵、どうなったの?」と
だが、先生は曖昧に返事するだけで、具体的なことは教えてくれなかった。子供ながら、聞くたびに迷惑そうに顔をしかめられる、と気付き、絵について訪ねることを控えることにした。
私は、もしかしたら、あの絵は立派な場所に展示され、多くの人に評価されているのかもしれない、と勝手に納得した。
そして、卒業も間もなくとなった。母も「あの絵、どうなったの?」と聞くようになり、私はもう一度、先生に尋ねてみた。
「あの絵、返してください」と。
すると、先生は煩わそうに「あー、はいはい」と言って立ち上がった。どこに行くのか、と付いていけば、教材やらカーテンやら、不要なものが詰め込まれた物置部屋だった。そして、その棚の中から、私の絵が取り出されたのである。
「はい」とだけ言って、先生はそれを私に渡した。
ありがとうございます、と私は言ったが、釈然としない気持ちでいっぱいだった。埃にまみれた私の絵は、私の想い出の中にあったそれとは違い、とても貧相でムラのある、汚い絵に見えた。
それでも、その絵を手渡したときの母は「やっと返ってきてくれた」と、喜んでくれた。私は絵がずっと汚い物置部屋に置かれていたことは言えなかった。
母はわざわざ額を買って、私の絵を飾った。私が上京して、たまに帰ると、その絵はやはり飾られていた。絵は上下が分かりにくいものだったので、いつも逆さに飾られていた。私は母に「逆だって」と笑いながら直すと、母も「そうだっけ」と笑った。
また、母は思い出すように、その絵を誉めてくれた。嬉しいような恥ずかしいような、そんな感情のあとには、必ず埃まみれで手渡された瞬間を思い出してしまう。
私の得意気な気持ちと、母への尊敬が踏みにじられた、あの瞬間を。あの先生は、若いこともあって、生徒から人気があった。
でも、私は彼がそういう人間であると知っていた。絵の件の他にも、時々見せる、子供を馬鹿にした態度を。
先生、私は覚えていますよ。
貴方がどんなな人間なのか。私と母の気持ちを踏み躙ったことも。
貴方にとっては取るに足らない、仕事の一部だったかもしれなけれど、私にとっては大きな出来事でした。些細なことだ、と笑うかもしれませんが、私は自分を肯定してあげられない人間になってしまった。そんな影響を与えたのです。
どうしてくれるのですか。責任を取れるのですか。謝ってほしいわけではありません。顔だって二度と見たくないのですから。ただ、後悔してください。深く後悔して、人を不幸にしてしまった罪を、ずっと忘れないでいてほしい。
でも、そんなこと忘れてしまったでしょう。貴方は、そういう人なのだから。
今はもう私の紫陽花の絵を誉めてくれる人はない。いつの間にか逆さになってしまうこともなくなり、誰かが触れた様子もない。
六月になって道端で紫陽花を見かえると、私は思い出す。
私を誉めてくれた人のこと。
私を踏みにじった人のこと。
私は忘れない。たぶん、これからも。
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