モーリス・ヤング
ロッドとエルが余計なお世話を画策していた頃、レネーは弟のモーリスと会っていた。
「姉さん、ありがとう。借りた分、これで全部だ。無利息無期限で貸してくれて、本当に助かったよ。一生恩に着るよ」
モーリスが差し出したのは、布に包まれた束の紙幣だ。
「気にしなくていいのよ、家族が困っていたら助けたいもの。これ、一気に返してくれて大丈夫なの? 分割でもいいのに」
「大丈夫。実はさ、先方の夜逃げ先が分かって、取り立て屋から少し回収できたんだ。それも、あのとき姉さんが用立ててくれたおかげだよ。銀行の信用を失くさずに済んで、なんとか商売が続けられたから」
レネーの実家は、紡績工場向けの機械を製造販売、メンテナンスする商売をしている。
競合相手が少なく売上単価が大きいため、経営は安定していたが、数年前に取引先が多額の売掛金を残したまま機械ごと夜逃げをして、その煽りを受けていた。
なんとか資金を繋いでいたが、いよいよ立ち行かなくなりそうになった1年前、助け舟を出したのがレネーだった。
商業出版した本の印税がまとまって入ってきたのだ。
レネーは迷わず実家を助けるために使った。
ブリジットが生きていたらできなかったことだ。
「家族が困っていたら助ける、か……耳が痛いな。姉さんが大変なとき、こっちもいっぱいいっぱいで何もできなくて、助けてもらうだけして」
「そんなことないわ。いっぱいいっぱいなのに毎月手紙をくれたし、ブリジットのバースデープレゼントもクリスマスプレゼントも、毎年必ず贈ってくれて嬉しかったわ」
「それだけだ。会いに行けばよかった。またいつか、家のことが落ち着いたらって……またいつでも会えると思ってた、馬鹿だ」
きゅっと唇を噛むモーリスの手に、レネーはそっと手を重ねた。
六歳年下の、幼い子供だとばかり思っていた弟もいつの間にか、すっかり男性の手をしている。家業を支え続けている手だ。
「私もよ。気になりながら、ずっと実家に顔を出せてなくて。あなたに任せきり。ありがとう。またこうして会えて、嬉しいわ」
「姉さん……俺こそ。あ、話は変わるけど」
とモーリスはしんみりした空気を払拭するように、語調を改めた。
「半年くらい前に、姉さんの本を学校へ寄贈した?」
「ええ、したわ。本当は国中の学校に贈れたらいいんだけど、さすがに多くて。近隣の学校だけ」
本は高価な物で、自宅にホイホイ買ってもらえるのは裕福な子供たちだけだ。
そうでない子供たちはお下がり品をもらったり、図書館で借りるしかない。
ブリジットも本が大好きだったが、所有している本は少なかった。
医者代と薬代だけで負担が大きいのに、新しい本をポンポン買い与えるなんてとんでもないと、ランダルにチクチク言われていたことを思い出す。
もしブリジットが成長して学校に通えていたら、学校図書館から次々と本を借りてくるタイプの児童だったかもしれない。
ブリジットが行くかもしれなかった、地域の学校へ本を贈りたい。
そしてブリジットと友達になったかもしれない子供たちに、ブリジットが作った物語を読んでもらいたい。
そう思って、著書を寄贈した。
「その内の一校に、僕の友人がいてね。教師として。本好きなやつでね、先月久しぶりに会って話してたら、職場の学校へ児童書の寄贈があったって聞いて。本のタイトル聞いて、あっそれは僕の姉さんが贈ったんだって、思わず言っちゃったんだ」
「えっ」
「あ、もちろん分かってる。姉さんは覆面作家で素性をバラしちゃいけないってことは。だから慌てて言い換えたよ。姉さんは出版社で働いてて、その本を寄贈する手配をしたんだって。作者だとは言ってない」
「そうなのね。そんな嘘ついて大丈夫かしら」
「大丈夫だよ、怪しまれてなかった。作者のマークさんにも出版社宛でお礼状を出したけど、お姉さんにもお礼を言っておいてって頼まれた。子どもたち大喜びで、貸出予約が埋まってるんだって」
それを聞いて、レネーは嬉しく思った。
頼まれてもいないのに著書を寄贈するなんて、押しつけがましい偽善行為だろうかと逡巡したこともあった。
でも、自己満足だっていいじゃないか。私がしたいからするのだと、一歩を踏み出してみると足取りは進みやすかった。
やるべきことがある、進むべき道が目の前にあるということは、ありがたい。
何もなければ一歩も進めず、暗く深い穴をただ眺めて立ち尽くすだけだったろう。
弟から聞いたその友人の名前と、勤め先の学校名を記憶して帰り、マーク・リード宛に届いた手紙の束の中から探した。
確かに礼状が届いていた。教師らしくきっちりと丁寧な文字で綴られていたのは、寄贈書への感謝と物語の感想だった。