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ブリジット・レアード


「それで、ご主人はなんと?」


「うちからの持ち出し金は不要か、もう一度きちんと確認しろと。この本を出版するにあたり、再度お金はかかりませんよね?」


 レネーは打ち合わせの机の上に置いている、大切な世界に一冊だけの本を見つめて言った。


 愛する娘と共に考えて、生み出した物語だ。

 病床にいた娘は外出もままならず、外の世界を見て回ることができない代わりに、絵本や童話の世界が大好きだった。


 ある日、手持ちの本は飽きたと言い、「ママが作ったお話を聞かせて」とリクエストされた。


「じゃあ、ブリッジットがお話の主人公ね。ステキなおうちに住んでいる、かわいい女の子よ。明るいお日さま色の髪に、深い海の色の瞳をした、とてもかしこい子です。ある日ブリジットは屋根裏部屋を探検していて、古びた宝石箱に入った、きれいなブローチを見つけました」


 そうして始まった、ブリジットの冒険物語。

 見つけた四ツ葉のクローバーのブローチには、四人の精霊が宿っていて、精霊たちと契約を交わしたブリジットは、異世界へと召喚される。


 レネーは、話に聴き入っているブリジットにたびたび質問をした。


「ブリジット、どうしよう。ここには食べるものが何もないの」


「えっとね、雲をわた菓子にして食べちゃう。お空に雲はあるんでしょう?」


「ええ、あるわ。もくもくとした大きな真っ白い雲が。それをわた菓子にしちゃうの?」


「うん、魔法で。わた菓子に変えたら少し重くなって、ゆっくりお空からおりてくるの。それでね、その雲からお砂糖味の雨がふるの」


「いいわね、口開けて飲んじゃう。けどベタベタしそうね」


 ブリジットと話し合って生まれる物語。

 疲れてしまってはいけないので、毎晩寝る前の少しの時間で、「昨日の続き」から始めた。

 しばらくして、レネーはその物語を紙にしためるようにした。

 長くなってきた物語を、最初から忘れないために。残しておきたかったのだ。


 ブリジットは「わたしの本」と言って気に入り、何度もめくっては喜んでいた。


 天国でも読んでほしいと棺におさめようとしたが、夫に叱られた。

 そのときのやり取りを見ていた友人が、後日「本にすればいい」と勧めてくれた。


「本に?」


「ええ。自伝や日記をきちんとした一冊の本に仕立ててくれる出版社を知っているの。大事な、娘さんとの思い出の書き物なんでしょう? 本にして残したらどうかしら。印字して装丁すれば、長持ちすると思うし。もちろん、原本は原本で大切に保管して、それとは別に」


 レネーは目をみはった。


 ブリジットを亡くしてからというもの、レネーは頭に霞がかかったようにぼんやりしていた。

 心にぽっかりと空いた大きな穴を、埋めたいとも思わなかった。

 暗闇の中に立ち尽くし、底の見えない真っ暗な穴を見つめている。それで良かった。


 しかし思いがけない友人の提案に、思わず顔を上げた。真っ暗な穴から初めて目を逸らした瞬間だった。


『わたしの本』とブリジットが呼んでいた冊子を、きちんとした本の形に仕立て上げる。


「頼めば、そんなことができるの?」


「ええ。お金はかかるけど。自分用に一冊作るだけなら、それほど高額でもないはずよ」


 とはいえ、本自体が高級品だ。

 同じ版を使って大量に刷って大量に売れるものであれば、一冊あたりの単価も抑えられるが、一冊だけ作るとなると費用は割高だ。


 大体このくらいらしいわと友人が提示した金額は、ひと月分の一家の食費くらいだった。

 その夜遅く帰ってきた夫に相談すると、意外にも二つ返事で賛成してくれた。


 出版社と打ち合わせを進め、一冊の特別な本ができあがった。

 タイトルはレネーが決めた。


『ブリジットときらめく宝石の四精霊』


 爽やかな水色の表紙に、金色の文字でタイトルを銘打ってもらった。

 その下に、物語に出てくる四ツ葉のクローバーのブローチのイラストが描かれている。

 本の中身は文字のみで、挿し絵はない。


 その上品でシンプルで丁寧に作られた本を、レネーはとても気に入った。

 少し値は張ったが、友人の助言に従って良かったと心から思い、感謝した。


 そしてまた思いがけないことが起きた。

 本を作ってくれた出版社から「その本をうちで出版させてほしい」と申し出があったのだ。

 たまたま童話部門の編集長の目にとまったそうだ。


「主人いわく、上手いことを言って、さらにお金が取るんだろうと」


「いえいえ、とんでもない。出版にかかるお金は、すべてこちらで負担します。本が売れれば、売上金の一部をレアードさんにお支払いしますし」


「そんなに良いお話が本当に?」


「ええ。でも本が売れることに大きな期待はなさらないでくださいね。売れると思って出す本が、実際に売れるかは我々にも分かりませんので。まずは試しに少しだけ作って、本屋に置かせてもらうのです」


「はい。承知しました」


 本の売上げ金に期待はしていなかった。

 レネーがこの話を受けることにしたのは、きっとブリジットも喜ぶと思ったからだ。

 幼稚園へ通うことも外で遊ぶこともできなかったブリジットが、創作した物語を通して友達ができる。

 同じ場面でワクワクしたり、ドキドキしたり、物語の中のブリジットと一緒に、泣いたり笑ったりしてくれたらいいなと思った。


 たくさんの友達でなくてもいい。

 一人でも二人でも、ブリジットのかけがえのない友達だ。


 そう思って、本を出版することに応じた。

 夫ランダルの出した条件は、


「娘の不幸を売り物にするな。作者の素性は隠せ」だった。


 亡き娘のエピソードでお涙頂戴するのは恥ずべき行為である。よって、作者レネーの個人情報は一切漏らさないことを約束させられた。


「お前に恥さらしなことをされると、俺が恥をかくんだ。肝に銘じておけよ」



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