マーク・リード
Mrs.レネー・レアードのペンネームは、マーク・リードという男性名だ。
素性を完璧に隠せと、夫のランダルに言われたからだ。
夫は最初、本を出すこと自体に反対していた。
「馬鹿馬鹿しい、そんな素人本が売れるわけないだろう。恥っさらしもいいところだ」
「でもあなた、これを読んだ出版社の方が、ぜひ売り出したいと」
「簡単に言うな。それ一冊を作るのにいくらかかったと思うんだ。もっと作れと? お前みたいなのは良いカモだぞ。世間知らずで、」
子供を亡くしたばかりと言いかけて、さすがに言いとどまった。
病気で亡くなったのはランダルの子でもある。
しかし付きっきりで見ていたのはレネーで、ランダルは仕事を言い訳に娘のことは任せきりだった。
生まれつき病弱な娘はレネーにしか懐かず、どう接していいのか分からないまま、四歳でこの世を去った。
仕方がなかったと、ランダルは自分に言い訳をした。
娘が病気なせいで、高額な医者代や薬代が毎月必要だった。
それを稼いでくるのがランダルの仕事で、疲れて帰宅すると、妻は病気の娘を付きっきりで見ている。
その辛気臭さに、うんざりしていた。
レネーの新婚当初の美しさは、今は見る影もない。
十八歳で結婚したレネーは、二十歳で娘を産み、二十四歳で亡くした。
家事は雇いの家政婦がしていたが、看病疲れと子供を失ったショックで、レネーは実年齢よりも老けこんで見えた。
娘の葬式の日、魂が抜けたように放心状態だったレネーを尻目に、ランダルは手際よく事を進めた。
棺に入った娘の亡き骸の周りに、色とりどりの美しい花が置かれていく。
そのとき初めて、ふらふらとした足取りでレネーが近づいてきた。
その手には切り花ではなく、ボロボロの小汚い冊子が握られていた。
それを娘の顔の横に置こうとしたので、ぎょっとして止めた。
「待て。なんだ、それは」
「ブリジットが好きだったお話です。あの子が考えて、わたしが書いた」
「じゃあ手元に残しておけ」
「でも……」
みっともないんだよ、と声を低くして言った。
「でも……」
「いいから下がっとけ。ほら」
ボロボロの冊子を突き返されたレネーは、夫の親族一同から冷たい視線を浴びた。
健康な跡継ぎが生まれるものと期待されていたのに、レネーが生んだのは病気の女児一人。期待外れもいいところだった。
一人娘の死後、ランダルの姉はまた次の子供を作ればいいと慰めてくれたが、両親と兄は暗に離婚を勧めてきた。
疫病神のレネーと結婚したままでは運気が下がるという。
(まあそれは特に急がないさ……新しい子ができてからでも遅くない)
ランダルが頭に思い描いたのは、レネーとの子供ではない。
女として見れなくなったレネーとの夫婦の営みは、とっくに途絶えていた。
ランダルは仕事の部下と男女の関係を持っていた。
最初は軽い気晴らしのつもりだったが、辛気臭くて疲れ果てた妻と違い、明るくてはつらつとした独身女に気持ちを奪われた。
ただ今すぐレネーと別れて、再婚を考えるほどでもなかった。
浮気相手に子供ができたら、真剣に考えるつもりだ。
ランダルも疲れていた。
しばらくは仕事に埋没しながら、現実逃避したかった。