26. 願いを叶えるために(Sideロイド)
アリシア様とバラ祭りに出掛けた数日後、アランから内密に話があると言われ、私はアランを公爵邸へ招いていた。
応接間の扉を閉め切り、この場には私たちは以外の者はいない。
テーブルを挟んで対面でソファーに座りながら、琥珀色の酒が入ったグラスをお互い無言で傾ける。
いつになく真剣な顔をしたアランは酒で喉を潤すとゆっくり口を開き出した。
「……静養されていた陛下のご容態がいよいよ末期らしいよ。あと1ヶ月持つかどうかだと言われてるってさ」
アランは眉根を寄せ、ひどくショックを受けた様子だった。
優秀で臣下からの信望も高かった国王陛下を、アランがとても尊敬していたのを知っている。
その国王から「ぜひ息子を支えてやってくれ」と幼少期に言われたからこそ、アランはエドワード様の側近として仕えることを決意し、今も真摯に執務に励んでいるのだ。
「王妃様が亡くなられて衰弱された時に、見る影もなくなった陛下のお姿を拝見していたから覚悟はしていたけど……。人って心が弱ると体も弱るものなんだね」
「ああ、実は私も先日エドワード様のことで陛下と話がしたいと思って面会してきたんだ。だが、話ができる状態じゃなかった……。実に残念だがもう長くないというのは肌で感じた……」
「そうなんだ……」
アランは私の話に目を伏せ、再びとても心痛な表情を浮かべた。
王宮舞踏会の後、自身の心の揺れを感じた私は正気に戻るため陛下にエドワード様や国の現状を伝えて相談したいと静養場所へ訪れていた。
そしてその場で自身の叔父である国王の容態について自分の目で知るに至ったのだ。
そしてこの状態である事実も、私にあの決意をさせる後押しをした。
「実はさ、今日はロイドに相談があってね。……もうエドワード様に仕えるの、正直限界かもしれない」
「なにかあったのか?」
「ほら、数日前にロイドが休みを取った日があったでしょ? あの日、ロイドに代わってエドワード様に諸々の報告と決裁をもらいに行ったんだけど、ずーっとマティルデ様と部屋に籠ったまま出てこなかったんだよ。先触れを出しておいたのに」
「誰も部屋へ取り次ぎしてくれなかったのか?」
「いや、中に声は掛けてくれたけど無視されたんだよ。政務より側妃との時間が優先だって言ってね」
これまでは先触れを出しておけば、一応その時間は空けてくださっていたが、ついにそれすら無視されるようになってきたらしい。
エドワード様にとって政務は誰かにやらせるものという意識なのだろう。
「そこまでなら、まぁいつも通りだなと呆れるくらいで済んだんだけど……」
「ということは、アランが仕えるのを限界だと思うような何かがあったのか?」
「そう。渋々しばらく待ってようやく部屋から出て来たエドワード様に報告や決裁をしたわけなんだけど、その時に陛下のご容態も伝えたんだよ。そしたら何て言ったと思う?」
言葉を一度切ったアランは、その時のことを脳裏で思い出しているに違いない。
思いっきり顔を顰めて言葉を続ける。
「”父上がもう長くないというのは残念ではあるが、つまりそれは私がこの国の最高権力者になるということだな。これからはなんでも私の思い通りというわけか。王族が減ってしまうからより一層子作りに私が励まねばな” って言ったんだよ」
陛下のご容態を悼むでもなく、次期王としての自覚が芽生えるでもなく、頭にあるのは変わらず側妃との愛欲の日々だけ。
立場に応じた責務は放り投げ、特権だけを享受するつもりらしい発言に、開いた口が塞がらなかったらしい。
アランが敬愛する国王を軽視するような部分も許せないと感じたのではないかと思う。
「でも僕が側近を抜けるとロイドにかなり皺寄せがいくよね。今でもロイドに相当な負担がかかってるのは分かってるからさ……」
今すぐにでも任を降りたいと言わんばかりの面持ちをしたアランはどうやら私のことを気にしてくれていたらしい。
ここまでアランの話を聞く方に徹していた私は、酒をグッと飲み干すとここで一か八かの賭けにでる。
アランを見据えて、慎重に口を開いた。
「……アラン、数ヶ月だけこのまま側近に留まってくれないか? そして私がこれからやろうとしていることに手を貸してくれると嬉しい」
「炊き出しみたいに、また何か新しいことを計画してるってこと?」
「新しいことと言うか……反乱だ」
「はっ……!?」
アランは目を剥いて絶句してしまっている。
それも無理もない反応だろう。
なにしろ数ヶ月前までは、反乱を危惧して手を打たなければと私自身がそれを止めようとしていた立場なのだから。
……人生どうなるか分からないものだな。アリシア様と出会わなければ、私が反乱に加わる決断をすることはなかっただろうな。
アリシア様とバラ祭りに出掛けたあの日。
アリシア様がポロリと溢した本音を耳にして、私は心を決めたのだ。
なんとしてでもアリシア様の願いを叶えてみせる――と。
――「叶うならば、アリシアとロイドとして素顔で三曲連続踊ってみたいものだわ」
絶対に無理なことだと頭で分かっているのに心で願ってしまった……というように切なげな表情で呟いたアリシア様の顔が脳裏に焼き付いて離れない。
いつも何も望まないアリシア様が願ったことだからこそ、叶えて差し上げたいのだ。
私と同じ気持ちを抱いてくださっていると分かっても、ハッキリと言葉にすることも、触れることも許されない己の立場がもどかしかった。
「ロ、ロイド……反乱と聞こえたけど、聞き間違いだよね?」
「いや、聞き間違いではない。そう言ったからな。ノランド辺境伯に誘われて与することに決めた」
「ほ、本気!? まさかロイドが……!? この前までは一緒に手を打たなければって話し合ってたのに。その決断をした背景を聞いてもいい? ノランド辺境伯がよっぽど巧みに誘ってきたの?」
アランが疑問に思うのはもっともだった。
私は自分がアリシア様に想いを寄せていることも含めてありのままを打ち明けることにした。
「アランの言う通り、当初は全く反乱に加わるつもりはなかった。だからノランド辺境伯が接触して来ようとするのも全部無視していた。だが、私自身の事情が変わったんだ。そしてそのためには反乱に与するのが合理的だと考えた」
「ロイドの事情……?」
「アリシア様に懸想した。あの方をなんとしてでも幸せにして差し上げたいと思ったんだ」
「ええっ!? あの女嫌いのロイドが女性に好意を持ったの!? しかもアリシア王女殿下!? ああ、だから舞踏会の時にダンスを踊ったのか……!」
腑に落ちたというような顔をしたアランに私は肯定の意味で頷く。
そしてノランド辺境伯が私を旗頭として王位簒奪の反乱を考えていること、隣国も絡む問題のためその期限はエドワード様とアリシア様の婚姻までに決行となることを話した。
「なるほど。確かに反乱の後にロイドが王位に就くのなら国に大きな混乱はもたらさないだろうね。むしろ陛下の先が長くない現状において、王族としての自覚や責任がないエドワード様のことを重々知っているから、その方が国のためになるとさえ感じるね。いや、もうそれしか手はないのかもしれない。それにロイドが国王になれば、エドワード様とアリシア王女殿下の婚姻も止められるだろうし」
「あとは、陛下のご容態が悪く先が長くないことも決断する後押しになったんだ。私も叔父である陛下のことは敬愛している。陛下が築いて来られたこの国を、このままエドワード様に任せておくと破綻する未来しか見えない……」
「それには深く同意するよ。さっきも話した通り、つい先日僕もそれを改めて実感したばかりだから」
そこまで話すとアランは考え込むように顔を伏せて無言になった。
そしてしばらくして再び顔を上げると私を真摯な目で見据える。
その瞳には決意の色が浮かんでいた。
「分かった。僕もその計画に加わるよ。ロイドに手を貸す」
「誘っておいてなんだが、侯爵家のことはいいのか……?」
「父上はもともとエドワード様には不信感を持っていて、この前の舞踏会での振る舞いを見てより一層それが深まったらしいんだよね。ほら、アリシア王女殿下をかなり蔑ろにしてたでしょ? いくら愛情がなくても隣国の王女に対してどうなのかって言ってたよ。だから理解を得られると思うんだ」
よくよく聞けば、アランの婚約者であるミランダ嬢の家である伯爵家はノランド辺境伯の遠縁にあたるらしい。
伯爵家は反乱に与しているという噂はないが、アランは前から疑いを持っていたそうで、可能性が高いと最近感じていたらしい。
「そういう意味でも、ミランダと僕が婚姻するためには同じ側にいた方が家同士の関係としても良いと思うんだよね。だから計画に加わるのは自分のためでもあるんだ」
「そうなのか。理由はなにあれ私としてはアランに力を貸してもらえるのは助かる」
そこから反乱に関する具体的な話を共有する。
決断した直後に、家令のバーナードをはじめとしたブライトウェル公爵家の臣下たちにも私の考えは伝えてあった。
そのうえで、すでにノランド辺境伯へは反乱に加わる旨を返答している。
そのため数日後に反乱軍の主要人物たちと会合をする予定があり、そこにアランも参加することで話がまとまった。
「ちなみにさ、ロイドって今もエドワード様から任を受けてアリシア王女殿下のもとへ訪問してるの?」
「実は以前にエドワード様にもうその任はナシだと言い渡された。……だが聞かなかったことにしている」
「へぇ~ロイドでも自分の気持ち優先しちゃうことあるんだね! なんか人間らしくなったねロイド。たださ、しばらくその訪問も控えた方がいいんじゃない? それこそ反乱が成功するまでは」
意外なことを言われて私は目を瞬く。
これまで通りに3日に1回訪問するつもりでいたからだ。
「舞踏会でアリシア王女殿下とロイドが踊ったことで注目浴びたでしょ? そんな中で定期的に訪問していたら、実は恋仲なんじゃないかと疑ってかかる貴族も出てくるかもしれないよね。そうなると面倒なことになりそうじゃない?」
確かにアランの言うことはもっともだった。
婚約者のいるアリシア様が不貞を働いていたと不名誉な噂が流れるかもしれないし、私の気持ちが露呈して弱味を握られることになるかもしれない。
ただでさえ水面下で反乱を企てている中、余計な注目を集めてしまうのは悪手だろう。
……それに私も自分の行動が制御できないかもしれないしな。
バラ祭りに出掛けた日に、平民流のエスコートだと称してアリシア様の手を繋いだことや、スカートに口づけを落としたことは記憶に新しい。
あの時も本当は抱き寄せて、頬や唇に口づけをしたい衝動を必死に抑えたのだ。
アリシア様も同じ想いでいてくれると分かった今、扉を開けているとはいえ部屋の中で2人きりでいれば、そのような行動を起こしてしまいかねない懸念はある。
「アランの言う通りだな。反乱が成るまでは訪問は控えることにする……」
アリシア様の顔を見たり、声を聞いていたりできなくなると思うと、想像するだけで苦しさが込み上げてくる。
だが、これも願いを叶えるためには仕方ないことだ。
そう私は自分に言い聞かせたのだった。




