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24. 秘密のデート

「ねぇ、ロイドはブルネットのバラ祭りって知ってる?」



王宮の舞踏会から数日後の昼下がり。


いつものように応接間のソファーで私とロイドは向かい合って紅茶を飲んでいる。


あのダンスを踊った時間が幻だったかのような、触れることの叶わない王女と王太子の側近としての距離感だ。


とりとめのない会話をしていたのだが、その中で私はつい先日フォルトゥナでアルバイトをした際に常連客から聞いた話を話題に上げた。


なんでも城下町から少し離れたブルネットと呼ばれる地域はバラの名産地らしく、一番美しく咲き誇る時期に毎年お祭りが開催されるらしいのだ。


バラをモチーフにした衣装を身につけてのパレードがあったり、バラ園で歌って踊って食べて飲んでと大盛り上がりするそうだ。



「バラ祭りですか。ええ、聞いたことはありますよ。平民に人気の祭りらしいですね」


「そうらしいわね。フォルトゥナで聞いて楽しそうだなぁって興味を持ったのよ。でもブルネットって結構遠いのよね?」


「日帰りできる距離ではありますが、王宮からですと城下町よりもさらに遠くはありますね」


「そうよね。やっぱり城下町に行く感覚では無理よね……」


「もしかして、行ってみたいのですか?」


そう問われて私は頷く。


行ける距離であれば、王宮を抜け出す時に行ってみようと考えていたのだ。


残り数ヶ月のこの貴重は人質生活を思う存分に堪能したかった。


すると、少し何かを考える素振りをしていたロイドがおもむろに口を開く。


そして思ってもみない言葉を繰り出した。


「……では、一緒に行きますか?」


「えっ!?」


一瞬自分の耳を疑って、私は目を見開きロイドを見た。


顔を隠していない今日は、ベールを隔てることなく目と目が合う。


赤い瞳に見据えられ、それだけでにわかに鼓動が早まるのを感じた。


 ……これってこの前ダンスに誘ってくれた時みたいに、今度はお祭りに誘ってくれているの?


ロイドと一緒にお祭りに行けるなんて、想像するだけで楽しそうでワクワクする。


私は反射的に「行きたい!」っと答えそうになったのだが、口を開きかけてはたと我にかえる。


自分がエドワード殿下の婚約者であることを思い出したのだ。


一般的な常識として、貴族は婚約者以外の異性と2人で出掛けることは良しとされていない。


ロイドとお祭りに行くということは、婚約者であるエドワード殿下に対して不誠実な行動になるのではないだろうか。


まともに婚約者扱いなんてされてはいないが、とはいえ私を躊躇わせる事実ではあった。


黙り込む私を見てロイドは私が考えそうなことを察したのか、再び口を開くと、屁理屈とも言えることを言い出した。


「心配しなくて大丈夫です。もちろんアリシア様と公爵である私ではなく、ただの町娘シアと平民に扮した私、という意味です」


「平民に扮したって、ロイドが変装するの?」


「ええ、さすがに平民の祭りですから」


どうやらお忍びで行くらしい――アリシアとロイドではなく別人として。


 ……シアには婚約者はいないものね。別人だったら出掛けてもいい、わよね?


別人になりすますとはいえ、実態は私たちであることに変わりない。


そんなことは分かっているが、別人だという建前を作った今、好きな人と出掛けたい気持ちが優ってしまう。


 ……正式な婚姻までの最後の思い出作りくらい、許されたっていいわよね? またほんのひとときだけ魔法にかけられて夢のような時間を過ごしてみたい……!


不思議なもので、ロイドへの想いを自覚してからというものの、私は欲深くなってしまったようだ。


会いたい、声が聞きたい、触れたい、一緒に出掛けたい……と望むことが増えている。


今回もそうだ。


なんとも魅力的な申し出につい心がグラリと揺れて、都合良く作り上げた建前に縋りつこうとしている。


「……ぜひ行きたいわ。シアとして」


頭ではダメなことだと理解しているのに、結局私は誘惑に負けて頷いていた。


こうして私たちは、バラ祭りの日にフォルトゥナ前で待ち合わせて一緒にお祭りに行く約束をしたのだった。



そしてお祭りの日――。


私はいつも通りライラに協力してもらって王宮を抜け出し、昼営業前のフォルトゥナの店の前に立ちロイドを待つ。


服装は平民が着ているシンプルなワンピース姿だ。


もちろんベールは外していて、ロイドとライラ以外は私が王女だとは誰も知らない。


今日はフォルトゥナのアルバイトはできないと伝えてあるのだが、最近は新しい店員が順調に育っているようで昼営業もずいぶん余裕ができてきたそうだ。


私は入れる日しか働かない腰掛けアルバイトで、集客手法を伝授したゆえの名誉店員みたいな扱いである。


月に数回しか働いていないものの、エドガーさんとミアのことは大好きだし、常連客にもよくしてもらってるし、私にとってとても居心地の良い大切な場所だった。


 ……でももうあと片手で数えられるくらいしかここにも来れないでしょうね……。


最初から期限があることは分かっていたけど、いよいよその期限が迫ってきた今、寂しい気持ちは止められない。


目に焼きつけるようにフォルトゥナをじっと見つめていたその時、ふいに私の名前を呼ぶ声がした。


耳触りの良い声に私は聞こえてきた方を振り向く。


そこにはいつもの上質な布地に刺繍が施された貴族らしい服装ではなく、動きやすさを重視した簡素な服に身を包んだロイドが佇んでいた。


こんなシンプルな服装をしていても、ロイドの美貌は変わらない。


むしろそれゆえに引き立っているようだ。


 ……それにしても、あの髪はどうなっているの?


ロイドの普段の髪色は艶やかな黒色なのだが、今日の彼の髪色は瞳と同じ赤色をしていたのだ。


「ロイ……」


その理由を聞こうと名前を呼びかけて、慌てて私は口をつぐむ。


そういえば今日の私たちは別人だったのだと思い出した。


そんな私を見てロイドは楽しそうに口角に笑みを浮かべる。


「私のことは今日はルイズと呼んでください」


「ルイズ?」


「ええ、亡くなった父の名前です。偽名を名乗る時によく使っているんですよ」


「そうなのね、分かったわ」


今日の私たちはシアとルイズということだ。


私の顔は知られていないし、ロイドも髪色まで変えて変装しているから、仮に貴族に遭遇しても気づかれないだろう。


「ところでルイズ、その髪は一体どうなっているの?」


「髪の色の印象は大きいですからね。当家に伝わる秘伝を使って変えてみました」


「すごいわね、全然別人みたいだわ」


私たちはコソコソと小声で話しながら、乗り合い馬車の停留所へ向かう。


平民の私たちは、王宮や公爵家の馬車ではなく、あくまでも平民の使う手段でブルネットに向かうのだ。


ちなみに今日は特別に護衛もいない。


身分を隠して別人になっている完全なお忍びだし、行く場所も平民ばかりのところだし、そしてロイドも武術の心得があり私も護身術が使えるからだ。


だからこの場は本当に私とロイドの2人きりだった。


 ……まるでデートみたい。いいえ、まるでといえより、まるっきりデートよね。


一度そんなふうに考えてしまうと、妙に意識してしまって、なんだかこそばゆくてソワソワしてしまう。


ロイドはいつも通りに私に対して丁寧な口調だけど、名前は「シア」と呼び捨てだ。


平民同士で様付けで呼び合わないからだ。


そう呼ばれるのも新鮮でドキドキした。


いや、呼び方だけではない――結局のところ私は隣にロイドがいるということだけでトキメキを止められないのだ。


そんな状態で乗り合い馬車に揺られること1時間少々。


ようやく目的地であるブルネットに到着した。


馬車を降りた瞬間、甘く優雅なバラの香りがふわりと香って鼻を掠めた。


お祭りに際し多くの出店でバラを売っていて、身につけている人も多いようだ。


賑やかな雰囲気が漂っていて、その場にいるだけで私もワクワクしてくる。


「あちらの方でパレードがちょうど始まるようですよ。行ってみましょうか?」


「ええ! 楽しみだわ!」


ニッコリ笑って背の高いロイドを見上げれば、彼はなぜだか眩しそうに目を細めた。


逆光だったかなと思って背後を一瞬振り返ったその時だ。


ふいに右手に何かが触れるような感じがした後、温かいものに包まれた。


驚いて自分の右手に目をやれば、手に触れていたのはロイドの左手だった。


そう、手を握られていたのだ。


そしてそのまま私の手を引いて、ロイドは歩き出す。


「ル、ルイズ……?」


「平民はこうやってエスコートするらしいですよ。人も多いですしはぐれないでくださいね」


貴族のエスコートは、男性が手のひらを上に向けるようにして差し出し女性が軽く上に乗せる形か、男性の腕に手を添える形かのどちらかが基本だ。


つまり手を握ることはない。


ふと辺りを見渡せば、確かに周囲の男女の何割かは仲睦まじく手を握り合っている。


 ……ということは、ロイドの言うようにこれが平民流のエスコートなのかしら。貴族よりも、なんていうか距離が近いのね。


その男女たちは恋人同士だということなどつゆ知らず、私は周囲の様子から納得を得ると、動揺していた気持ちを落ち着かせた。


だが、動揺は消え失せても、鼓動の早さだけは制御することはできない。


全神経が繋いだ手に集中し、じんわりと汗ばんできてしまう。


こんなに汗をかいた手を握っていてロイドは不快に感じないかなと心配になってきてしまった。


ちょうどその時、一際賑やかな音が鳴り響いてきて、バラのモチーフの衣装に身を包んだ人々のパレードが目の前を通る。


家にあるような調理道具を楽器に見立てて音を奏でているようだ。


バラのモチーフというのも人それぞれで、刺繍で表現している人、生花を纏っている人、バラのように見える何かを創作している人と、実に個性的で面白い。


一気に目を奪われた私は、手汗のことからスッカリ意識を飛ばして、目の前のパレードに夢中になった。


もちろんその間も手はつないだままだった。



◇◇◇



「すっごくみんな楽しそうね!」


「確かに賑やかですね」


空が薄暗くなってきた頃、私とロイドはバラ園に移動してこのお祭りのメインとも言える部分に参加していた。


色鮮やかなバラが咲き誇るバラ園の中、一部が広場のように開けた場になっていて、その中心で人々が音楽と歌に合わせて踊っている。


貴族の舞踏会のような優雅なダンスではなく、手を取り合って自由にステップを踏むような完全な創作ダンスだ。


そのダンスを楽しむ人々を囲むように、場の外側にいる人たちは地面に座って食事やお酒を楽しんでいる。


私とロイドも他の人に倣って、比較的綺麗な場所を選んで地面に座り込み、出店で購入したお酒を飲んでいた。


このお酒にもバラのエキスが入っているそうで、ほんのりと花の香りが漂う。


「ねぇ、ルイズ。せっかくだから一曲踊ってみない?」


これまで踊る人を眺めていた私は、ふいに聞いたことのある歌が耳に飛び込んできて、思い切ってロイドに誘いかけた。


たぶんリズベルト王国で王宮を抜け出していた頃に城下町で耳にしたことのある歌だ。


「聞いたことがない曲なので、私は振り付けを知りませんよ?」


「大丈夫よ。だって特に決まった振り付けはないのだもの。みんな自由にステップを踏んでいるだけよ?」


「そういうことでしたら、やってみましょうか」


断られるかなと思ったけど、ロイドは頷いてくれて、私たちは自然とさっきみたいに手を繋ぎ、踊っている人たちの輪の中に入っていく。


手を繋いだまま向かい合って、歌と音楽に合わせて自由にステップを踏んだ。


でたらめなステップで、優雅さや美しさなんて皆無だったけど、楽しくて楽しくて、心の底から笑顔が弾ける。


特に今日はベールを付けていないから、お互いの顔を見ながら踊れるのがすごく嬉しかった。


ロイドの口元にも笑みが浮かんでいる。


 ……ああ、すっごく楽しい! 本当に今日来て良かった。これから何があってもこの思い出を胸に頑張っていけそうな気がするわ。


エドワード殿下と結婚して王太子妃となり、愛されることのないお飾り妃として生きていくことに対してこれまで何の感慨もなかった。


嫌だとか、悔しいとかを思うこともなく、淡々と受け入れていた。


だけど、ロイドへの想いへ気付いてしまったら、欲が湧いてきて、このまま王太子妃となるのが嫌だという想いを初めて感じた。


好きな人の近くにいたい、叶うならば好きな人に愛されてみたい……そんな想いに駆られるのだ。


好きな人が心にいるのに、好きでもない人と結婚するというのは思った以上に堪えることのようだ。


だからこそ、今日の楽しい思い出があれば支えになる気がした。


「初めてあのようなめちゃくちゃなダンスを踊りましたが、なかなか楽しいものですね」


一曲を踊り終えた私たちは、元いた場所へ戻って一休みする。


舞踏会で踊るダンス以上に体を動かしたから息が上がっていた。


気付けば辺りは暗くなっていて、夜が深まってきている。


暗闇を照らすため、バラに燃え移らないよう配慮されながらいつの間にか松明(たいまつ)が複数灯されていた。


「そろそろ帰らなければなりませんね」


「そうね」


あまり遅くなると王宮に戻るのに苦労するし、一日中部屋で影武者をしてくれているライラにも申し訳ない。


私たちは呼吸を整えると、その場を立ち上がった。


もう帰る時間なのだと思うと寂しさが込み上げてくる。


「……もう魔法が解ける時間なのね。ルイズ、お祭りに連れて来てくれて本当にありがとう。とても楽しかったわ」


「私も楽しかったですよ」


「今回はベールを付けていない状態でルイズと踊れたわね」


「そうですね。やはりお互いの顔を見て踊れる方が良いですね」


「ふふっ、私もそう思ったわ。……叶うならば、アリシアとロイドとして素顔で三曲連続踊ってみたいものだわ」


最後にポロリと本音がこぼれ落ちた。


素顔で踊るのは、私がエドワード殿下と結婚した後であれば機会はあるかもしれない。


でも三曲連続で踊るなんて日は永遠に訪れることはないだろう。


あれは婚約者か夫婦という特別な相手としか無理なのだから。


そこではたと自分の致命的なミスに気付く。


 ……え、私の台詞ってロイドを好きって告白してるのとほぼ一緒じゃない⁉


なんてことを言ってしまったのだと血の気が引いていく。


慌てて取り繕おうとしたら、ロイドは聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かを小さく呟いた。


「アリシア様……」


それは私の名前だった。


しかも今この瞬間までロイドは徹底して「シア」と私を呼んでいて一度も間違えることがなかったのに。


そして何を思ったのか突然その場に跪く。


まるで舞踏会の時にダンスを申し込まれた時のように片膝をついた状態で私を見上げた。


「ロイド……?」


そのただならぬ雰囲気に、私も思わずルイズという偽名ではなく、本名で呼びかけてしまった。


「私は自分勝手な人間なので、今のお言葉、自分の良いように解釈させてもらいます。その上で、今から私は独り言を言います。あくまで独り言なので返答はいりません」


私が困らないよう予防線を張ると、ロイドは私の目を見つめてゆっくりと口を開いた。


()()()を言うために。


「……その願い、必ず叶えます。私も心から望んでいることなので」


ロイドは大きな独り言を述べると、片膝をついたまま、今度は両手で(うやうや)しく私のスカートの裾を手に取る。


そしてそこにそっと口づけを落とした。


「……!」


声にならない声が唇から漏れる。


体に触れられたわけではないのに、全身が熱く火照ってきて、今の私はきっと恥ずかしさで真っ赤な顔をしていることだろう。


まるで求愛するようなロイドの行動と言葉に、今まで感じたことのないような喜びとトキメキが胸を駆け巡った。


 ……もしかして、ロイドも私と同じ気持ちなの……? そう思っていいの……?



スカートから唇を離したロイドは、再び私を見上げる。


その瞳には恋い慕う気持ちと決意が滲み出しているようだった。


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