21. 王宮舞踏会(Sideロイド)
……なぜアリシア様は何も望まないのだろう。もっと自分の希望を述べてくれたらいいのに。
アリシア様が側妃からお茶会に呼び出されたと聞き、私は心配で部屋へ押しかけてきてしまったのだが、対面したアリシア様はいつも通りに穏やかで、怒りも悲しみもどちらの感情のカケラも見られなかった。
話を聞いただけで私は不愉快極まりないというのに、なぜ張本人のアリシア様はこの調子なのだろうか。
概ね事実だし、2人の仲を邪魔するつもりはないから大人しくしていると言う。
自分の環境を嘆くでもなく、受け入れている上に、アリシア様は自分は恵まれているからこれ以上望まない、愛されなくても良いと思っている節がある。
……なぜこんなに無欲なのか。虐げられたり、軽視されるような人では全くないというのに。
実際、アリシア様はかなり多才で有能な女性だ。
それはアリシア様とシアが同一人物であったということで、分かってきたことである。
同一人物だと分かる前から聡明な方だとは思っていたが、予想以上だった。
護身術に、薬の調合技術、斬新な集客手法、そして語学力……並の貴族令嬢が持つ能力を超越している。
その上、ベールの下には誰が見ても美しいと評するだろう容姿も隠し持っている。
美しく、能力もあって、王女という高い地位まである。
それなのに、客観的に見て恵まれているとは言い難い境遇に意を唱えることなく、受け入れ、自らの希望すら何も言わないのだ。
いっそ噂通りもっと我儘を言って欲しいくらいだ。
そのアリシア様の噂は、先日のタンガル帝国の一件で王宮内で上書きされつつあった。
以前は “容姿が醜い上に我儘で性格が歪んでいる” と噂され皆がそう思っていたのだが、“容姿は醜いが聡明で役に立つ王女だ” という評価に塗り替えられていっている。
アリシア様が評価されるのは素直に嬉しい。
それに値する人だからだ。
一方で、エドワード様がアリシア様に興味を持ち出したことは正直なところ不快だった。
自分の気持ちを自覚した後だったこともあり、通訳としてアリシア様がエドワード様の横に並ぶ姿を目にするのもジリジリとした焦燥感に襲われた。
最初から分かっていたことだ、アリシア様がエドワード様の婚約者であるということは。
あと半年もすれば2人は正式に婚姻し、アリシア様はこの国の王太子妃になる。
なのに好意を抱いてしまった自分が悪いのだ。
だが、絶対にアリシア様の素顔をエドワード様には知られたくないという思いに駆られる。
知ったら今以上に興味を持ち出されるのは目に見えている。
今は意外と役に立つかもという人質以上の価値を感じて興味を抱かれているが、アリシア様が美しいことを知れば、きっと女性として興味を寄せられるに違いない。
それを想像するだけで嫌な気持ちになった。
それなのに、当のアリシア様はエドワード様の興味が自分に向くとはつゆ程も想像していない。
自分が女性として見られることはないと端から思っているようだ。
……というか、アリシア様は自分の魅力を分かっていないのだろうな。
ふと先日の出来事を思い出す。
今後も王宮を抜け出すことに目を瞑ると約束すれば、目をキラキラさせて弾けんばかりの満面の笑みを私に向けてきたのだ。
自分がアリシア様に懸想していることを自覚した直後にあの笑みを見せられ、平然を保つのに苦労したのは記憶に新しい。
それにやたらと私の目をじっと見つめてくるし、私の役に立ちたいと言ってくるし、アリシア様も私を想ってくださっているのではと勘違いしそうになることが多々あった。
まさか自分が男から愛されるようなことは起こり得ないと高を括っているから、無意識にそんなことができるのだろう。
……アリシア様は自分のことをもう少し自覚すべきだ。それこそ容姿なんて分からなかった頃から私の心を乱していたのだから。
普通だったら側妃とのお茶会で怒りや悲しみに暮れていてもおかしくないのに、至って穏やかなアリシア様に、私は少し警告するような気持ちで口を開く。
側妃の発言の中でこれだけは訂正しておいた方がいいだろうと思うものがあったからだ。
「一つだけ言わせてください。女は美貌がなければ男を虜にできないと側妃に言われたそうですが、それは完全なる誤りですね。……どんなに容姿の整った女にも興味がないのに、顔を知らない人に惹かれるということもありますよ。私の経験談です」
アリシア様がエドワード様の婚約者で、私がエドワード様の側近である立場上、決して自分の想いを告げることは許されない。
私の想いはこの先成就することはないものだ。
それを頭ではしっかり理解しているのだが、一方で愛されるはずがないと諦めているアリシア様に私の想いを知って欲しい衝動に駆られる。
だから婉曲に、あくまで経験談として、分からない程度に自分の気持ちを織り交ぜた。
これが私に許される精一杯だった。
◇◇◇
「ああ、もうこんな時期か」
「一年なんて本当にあっという間だよね」
執務室で机に向かう私とアランは手元に届いた招待状を目にして、思わず声を上げだ。
それは毎年恒例の王宮主催の舞踏会の案内だった。
毎年この時期に王宮で盛大に催される舞踏会は、ほぼ国中の全貴族が集まると言っても過言ではないほどの大規模で華やかなものだ。
この舞踏会については他の王宮務めの高官が取り仕切っており私も関わっておらず、招待状を見てその存在を思い出した。
「エドワード様が毎年楽しみにされている舞踏会だから、今年も気合い入ってそうだね。昨年はマティルデ様のエスコートをされていたけど、今年はエドワード様どうされるつもりだろう? さすがにこの舞踏会はアリシア王女殿下にも出席してもらうだろうし、そうなれば身分的にマティルデ様よりアリシア王女殿下を優先する形になると思うけど……」
アランが何を言いたいのかはすぐに察しがついた。
いかにもエドワード様が不満を述べそうな内容だった。
アランの懸念はもっともだと思い、念のため舞踏会関連を取り仕切っている担当高官に確認したところすでに手を打ってあるとのことだ。
例年はマティルデ様をエスコートしてエドワード様も会場入りしてくるのだが、今年は入場をなしにして上座に予め座っておいて頂くそうだ。
エドワード様を真ん中にアリシア様とマティルデ様で挟むように椅子を配置し、身分的な配慮と寵愛具合の配慮を兼ね合わせた形にするらしい。
席を立ってダンスフロアへ赴く際のエスコートはその場に応じてになるという。
……その状況だと、アリシア様はきっとその場にずっと座っているだけになるのだろうな。
エドワード様がアリシア様に気遣うことなく、マティルデ様を連れてダンスフロアへ赴く姿がありありと想像できる。
そしてその2人の姿を、悲しむでもなく、当たり前のように穏やかに眺めるアリシア様の姿も同時に脳裏に思い浮かんだ。
そして舞踏会当日――。
いつも以上気合を入れて着飾った貴族たちが王宮の大広間に一同に集まった。
ダンスに興じる者、食事に夢中な者、お酒でほろ酔いになっている者など様々だが、一番はやはり貴族同士での情報交換に勤しむ者が多い。
ほぼ全貴族が集まるこの舞踏会は、有力者と顔繋ぎをしたり、縁談相手を見つけたりと、社交にもってこいの場だ。
私のところにもさっきから有象無象の貴族が擦り寄るようにやってくる。
その多くはなんとか公爵家と縁を結ぼうとする貴族からの縁談ばかりだ。
年頃の娘を連れて挨拶に来て、遠回しに、時には直接的にアピールされる。
どの令嬢もシナを作り、媚びるような目で私を見つめてくるのだが、強欲な野望が透けて見えて辟易とした。
やはり私の女嫌いは全く治っていないのだと改めて実感したくらいだった。
「おい、見たか? 例の隣国の王女殿下」
「ああ、噂通りベールで顔を隠していたな」
その時、近くにいた貴族たちの会話がふと耳に飛び込んできた。
話題はアリシア様のことだった。
「王宮勤めの者に聞いたところ、我儘で性格が歪んでいるという当初の噂はデマのようで、容姿は醜いが聡明で役に立つ女性らしいぞ」
「私も先程その話は耳にした。なんでもタンガル帝国の王子が来国した時に活躍したとか」
「らしいな。だが、エドワード様の寵愛は依然としてマティルデ様の独占だそうだ。王女には全く関心がないようだな」
「となると、正式に婚姻した後はお飾り妃で、子をなすのはやはりマティルデ様が有力だな。マティルデ様の関係者と縁を結んでおく方が良さそうだ」
実のところ、今日はこのような会話が至るところで繰り広げられていた。
というのも、アリシア様がこのように貴族の前に姿を現すのは初めてのことで、全貴族の注目が集まっているからだ。
先日のタンガル帝国の件で王宮勤めの者は見たことがあったり、話を聞いていたりしても、それ以外の貴族はアリシア様についてほぼ情報を得ていない。
近くこの国の王太子妃となるアリシア様の存在は今後の権力争いの動向に大きく影響する。
それゆえ、どういう人物なのか、エドワード様との関係はどうなのかなど、皆が口々に探り合っていた。
「おい、上座の方を見てみろ。やはりエドワード様はマティルデ様にご執心のようだな。あの様子を見ていれば王女に一切興味がないのがよく分かる」
聞こえてきた言葉に釣られて、私も王族が座る上座に視線を移すと、まさに私が先日思い浮かべた場面が繰り広げられていた。
つまり、エドワード様がアリシア様に気遣うことなく、マティルデ様をエスコートしてダンスフロアへ赴くところだった。
ダンスフロアに降り立った2人は、貴族たちの注目を一身に浴びながら、実に仲睦まじく体を密着させて踊り出す。
その姿を見れば、エドワード様がマティルデ様を寵愛しているのは一目瞭然だった。
これを目にした貴族たちがこぞってコソコソと囁き合う。
――「マティルデ様はなんてお美しいのでしょう」
――「エドワード様と並ぶととてもお似合いだわ」
――「それに比べてアリシア様は王女という身分だけしか価値がない方のようですわね」
――「ベールの下は大層醜いみたいですもの。お可哀想だこと」
――「いくら正妃になっても全く愛されないお飾り妃なんてお辛いでしょうね」
――「きっと子も望めないでしょうね。女として同情してしまいますわ」
可哀想だ、辛そうだと一見心配しているような言葉を紡ぎつつ、クスクスと笑う貴族たちは、完全にアリシア様を馬鹿にするように嘲笑っていた。
だが、当の本人はといえば、ベールで表情は見えないものの、私の予想した通りなんともないというように穏やかな雰囲気を漂わせている。
この心無い貴族たちの言葉に、苛立ちを感じたのはむしろ私の方だ。
……アリシア様がこのように言われる筋合いはない。特にマティルデ様と比べられて貶められるなんて我慢ならない。
腹の底から怒りが込み上げてきて、居ても立っても居られず、私は上座の方へ歩き出した。
そしてアリシア様が座る椅子の前まで来ると、その場で膝をついて手を差し出す。
「……ロイド?」
「アリシア様、私と踊って頂けますか?」
「えっ?」
一瞬目を見開いたアリシア様だったが、私がじっとベール越しに顔を見つめていると、ふふっと小さく笑った。
「ええ、喜んで」
そう答えた声には明るい響きがあり、表情は見えないが、あの美しい顔に微笑みを浮かべているのだろうと感じた。
……今、アリシア様の笑った顔が見られないのが残念で仕方ない。きっとこの場にいる誰よりも美しいはずなのに。
アリシア様を馬鹿にしていた貴族たちに見せつけてやりたいものだと思ったが、同時に自分以外の者には見せたくないという矛盾した気持ちにも襲われた。
私はどうやらなかなかに独占欲が強いらしい。
この方はエドワード様の婚約者で、将来のこの国の王太子妃――決して独占などできる相手ではないというのに。
そんな現実に身を焦がしていると、手に柔らかい感触を感じた。
差し出していた私の手にアリシア様が手を重ねたのだ。
この約半年、アリシア様とは何度となく向き合い言葉を交わしてきたが、こうして体に触れるのは初めてだった。
私は立ち上がり、そのままアリシア様の手を引いてダンスフロアへ誘う。
その場にいる多くの貴族たちの驚いたような視線が痛いくらい突き刺さった。
エドワード様がマティルデ様と踊っているため、王位継承権第2位である私がアリシア様にダンスを申し込むのは決して無作法なことではない。
おそらく貴族たちが驚いているのは、私が女性とダンスを踊るという点だろう。
なにしろここ数年、私はすべてダンスの誘いを断っていて、公の場で踊ってすらいないからだ。
「すごく見られているわね。やっぱりロイドは人目を引くし、注目されているのね」
「それはアリシア様も同じですよ」
ダンスフロアに向かって歩きながら、他の人には聞こえない大きさの声で私たちは言葉を交わす。
小声で話しているため、その距離はいつもより近かった。
「ふふっ、私の場合はみんな物珍しがっているだけよ。あと見定めでしょうね。それにしても公の場でダンスなんて初めてだわ」
「私も数年ぶりですよ」
「あら? そうなの? ロイドならいつもたくさん女性から誘われるでしょうに」
「今まで踊りたいと思う女性なんていませんでしたから」
ベール越しに見つめると、アリシア様はわずかに動揺したような様子を見せた。
気持ちを伝えることは叶わないのに、自分の言葉が届いているように感じて少し気持ちが上向きになる。
無意識に口角に笑みを浮かべると、ダンスフロアに着いた私はアリシア様の腰を引き寄せた。




