20. 側妃とのお茶会
「タンガル帝国の使節団が来国した時、アリシア王女殿下が大活躍したらしい」
「流暢なタンガル語を操って通訳を務めたそうだ」
「すっかりタンガル帝国の王子の心を掴んだというじゃないか」
「なんでもタンガル帝国でしか手に入らない貴重な生地を贈られたとか」
「その生地はあの国ではよほど信頼した相手にしか贈らないものだそうだ。友好の証だそうで、それを持ってるだけでタンガル帝国の城まで自由で出入りできる代物らしいぞ」
「あの王女、醜い容姿の上に我儘で性格が歪んでいるという噂だったが、実はそうでもないのか?」
「実際に通訳を務める姿を見た者は、かなり聡明な方だったと話していたようだ」
ここ最近の王宮内での噂といえば、もっぱら私のことだ。
その場にいた人、聞いた人、高官の貴族から門番の衛兵まで様々な人が立場関係なく口々に私のことを話している。
概ねそれは私を評価する声だ。
通訳を務め上げ、タンガル帝国の王子と友好関係を築いたと功績を讃える者は多かったのだ。
……それにしても、あの生地がそんな価値のあるものだったなんてね。
あとで教えてもらって私が一番驚いたのが、ヨダニール王子から貰った生地についてだ。
高級品で貴重なものだとは認識していたが、まさかタンガル帝国の城に自由に出入りできる代物だったことには腰を抜かしそうになった。
前世で言う、他国への入国許可証(VISA)のさらにすごいバージョンといったところだろうか。
……確かに友好の証だけど。いくら共感を覚えたからといってヨダニール王子はちょっとやり過ぎではないかしら?
せめて私にではなく、エドワード殿下に贈ってくれていたら良かった。
あれから会っていないからエドワード殿下の心を推し量ることはできないが、でしゃばっているとか調子に乗っていると思われていても不思議ではない。
そんな私の懸念は間違っていなかったようで、反応は意外な方向からやってきた。
なんと側妃のマティルデ様から私宛にお茶会へのご招待が届いたのだ。
たまにはエドワード殿下の側に侍る私たち2人でお話しませんこと?と言う申し出で、マティルデ様の離宮に招かれたのだった。
「ごきげんよう、アリシア様」
「お招きありがとう、マティルデ様。素敵な離宮ね」
マティルデ様の侍女に案内されたのは、薔薇の花が美しく咲き誇る庭園だ。
そこで相変わらず昼間なのに露出の多いドレスを着たマティルデ様に妖艶に微笑まれて迎えられた。
今日はこの庭で薔薇を愛でながらお茶をするらしい。
私の離宮の庭とは比べ物にならないくらい手の掛けられたこの美しい庭を見せびらかすのも一つの狙いだろう。
マウンティング好きなマティルデ様らしい演出だと思いながら、テーブル席に誘導され、私は腰を下ろす。
私とマティルデ様が席につくと、周囲にいるそれぞれの侍女が素早くお茶の準備を始めた。
「今日は最高級のダージリンティーをご用意しましたのよ? エドワード様もお気に入りですの」
侍女によって目の前にサーブされた紅茶をまずは一口マティルデ様が口をつける。
こういうお茶会では主催者側が毒味を兼ねて他の出席者より先に食事や飲み物に口をつけるのが貴族間でのルールなのだ。
マティルデ様が飲んだのを見て、続いて私もティーカップに手を伸ばそうとしたところで「あら、そうだわ」とマティルデ様が何かを思い出したように声を上げた。
その声で一旦手を止めた私を、マティルデ様はワザとらしく気遣わしげに見てきた。
「そういえば、私、アリシア様をお茶会にお誘いしてしまいましたけど、大丈夫でした? ベールを付けたまま紅茶は召し上がれます? ベールを外せないなんて不便でしょうしアリシア様はお可哀想ですこと」
お可哀想と言いながら、その口元は明らかに笑んでいる。
周囲のマティルデ様の側近もクスクスと笑いを堪えるようにしているのが分かった。
……これはベールのことに触れて、遠回しに私の容姿が醜いことを馬鹿にしているのね。
確かにマティルデ様は妖艶な色気のある美女だから、容姿に絶対的な自信があるのだろう。
別に容姿でマウントを取られたところでなんとも思わないので、私はサラリと流して、事実としてベールをしていても紅茶が飲めることを返事することにした。
「ご心配ありがとう。でもベールを付けていても問題なく紅茶は飲めるわ。この前タンガル帝国のヨダニール王子がいらっしゃった時にもお茶をご一緒させて頂いたもの」
私としては、他国の王族相手でもお茶ができるのだから大丈夫よと言ったつもりだったのだが、どうやらマティルデ様には違う意味で捉えられてしまったようだ。
この言葉を聞いた瞬間、明らかに気分を害したようにマティルデ様は顔を歪めた。
「……今日はその件で一言お伝えしておこうと思いましてお茶会にお招きしたのですわ」
「あら、なにかしら?」
一段と声を低くしたマティルデ様を前にしながら、私はティーカップを口に運び紅茶を飲む。
これからたぶん聞いていて面白い話をされるわけではないだろうから、その前に美味しい紅茶で心を和ませておきたかった。
「アリシア様は通訳を務められ、しかもタンガル帝国の王子から友好の証まで贈られたとか。本当ですの?」
「ええ。なりゆきではあるけど、それは事実ね」
「ずいぶん王宮内で話題になってるみたいですわね。アリシア様を褒めるような声も多いと耳にしますわ」
「私は部屋に引き籠っているから詳しくは知らないけれど、それが本当ならありがたいことではあるわね」
「……少しご活躍なさったからって調子に乗らないで頂けますこと? エドワード様の関心を引けたからって寵愛がアリシア様へ向くわけではございませんのよ? エドワード様は今も私の離宮でお休みなのですから」
「えっ、エドワード殿下の関心?」
調子に乗るなというのは予想していたセリフだったからなんとも思わなかったのだが、それに続いて放たれた言葉は思わぬものだった。
驚きから自然と復唱してしまい、それにマティルデ様はさらに不快そうに眉を顰めた。
「ご自分がタンガル語が話せるところをエドワード様の目の前で披露して関心を引こうとされたのでしょう? それにタンガル帝国との友好を築いた功績で役に立つことも見せつけることに成功されましたものね。すべては見向きもされないエドワード様から寵愛を得るためのことと分かっていましてよ?」
……えっ、私の行動、そんなふうに周囲からは見えているの⁉
1ミリもそんな気はなかったから、指摘されて本当に衝撃を受けた私は絶句してしまった。
口を開けずにいると、マティルデ様は我が意を得たりというふうに、さらに言葉を紡ぐ。
「ええ、アリシア様のその目論見は成功かもしれませんわね。エドワード様はアリシア様に少し興味を引かれたご様子でしたもの。でもそれはただ単に役に立つ女だと思われただけですのよ。私のように女として愛されるのとは訳が違いますわ。それを勘違いしないで頂けます?」
……ええっ、それで実際エドワード殿下が私に興味を引かれたですって⁉
マティルデ様の言うことはいちいち私に驚きの情報をもたらした。
だからビックリして言葉を失ってしまう。
「女として愛されるためには、大変失礼ながらアリシア様では力不足だと思いますわ。私のような美しさがございます? いくら教養があられて、身分が高くていらっしゃっても、女は美貌がなければ殿方を虜にはできませんのよ?」
ふふふっと扇子で口元を隠してマティルデ様は妖艶に微笑む。
私が何も言い返さないのをいいことに、言いたい放題に言えて気持ち良かったらしい。
今回マティルデ様から呼び出されたのは、エドワード殿下の意を受けて、人質のくせに調子に乗るなと私に釘を刺すためなのかと思っていたら、どうやらマティルデ様の独断のようだ。
信じられないけどエドワード殿下が多少私に興味を持ったことが面白くなくて、女としてマウントを取りに来たのだろう。
……まあ、マティルデ様の言うこともあながち間違ってないわね。女として愛される技量なんて私にはないもの。
前世でも衣食住を維持するために働くことに精一杯で、恋愛には縁遠かった。
今世は言わずもがなだから、マティルデ様のように殿方を虜にする方法なんて知る由もないのは事実だ。
「ええ、マティルデ様のおっしゃる通りね。大丈夫、勘違いはしていないわ」
「分かってくださって良かったですわ」
マティルデ様は今日の用件を言い終えたようだし、私もこれ以上マティルデ様と優雅にお茶を飲むのもどうかと思い、お茶会はそれから早々と終了になった。
女同士のマウント取りって本当に面倒だわと思いながら自分の離宮に戻り、自室に入ろうとしたところで、扉前にいる護衛騎士が声をかけてきた。
「お帰りなさいませ、アリシア王女殿下。少し前にブライトウェル公爵がお越しです。ご不在の旨はお伝えしたのですがお戻りまでここで待つとのことで、応接間でお待ちでございます」
「えっ? ロイドが?」
今日はいつもの訪問日ではなかったはずだ。
何か急ぎのことでも起こったのだろうか。
私はお茶会に同行してくれた複数名の侍女の中からライラのみ残ってくれるよう指示を出し、ライラとともに部屋の中へ入った。
扉を閉めるなりベールを取り除き、その足で応接間に向かう。
「ロイド? 戻ったけど何か急ぎのことでもあったの?」
応接間に入ってソファーに向かって歩きながら私はロイドに声を掛ける。
ロイドはソファーに座ってのんびりと紅茶を飲んでいて、急いでいる様子は見受けられない。
私が向かいのソファーに腰を下ろすのを見届けてから、彼は私を見て口を開いた。
「側妃のマティルデ様からお茶会に招かれたと耳にしましたが、大丈夫でしたか?」
「えっ? 大丈夫ってどういう意味?」
「散々なことを言われたのではと思いまして」
まるですべてを知っているかのような口ぶりだ。
私は驚いてロイドを見返したのだが、その反応でロイドは肯定だと認識したようだ。
「何を言われたのです? まぁあの側妃が言いそうなことはある程度想像がつきますが。ご不快な想いをされたのではありませんか?」
「なぜそう思うの?」
「エドワード様がこの前のタンガル帝国の一件でアリシア様にご興味を示されたのは事実です。それをあの側妃が黙って見ているとは思えませんから。調子にのるな、勘違いするななどと言われたのでは?」
「本当にロイドには敵わないわ。まるでその場で見ていたようね」
状況から察してその人物が言いそうなことを推測するロイドの頭の回転に舌を巻く。
ロイドに促されて、私は先程の出来事をかいつまんで説明した。
唇を引き結び、眉を顰め、ロイドは大層不愉快そうな表情だ。
「……それで、アリシア様は何も言い返さなかったのですか?」
「そうね、概ね事実だもの。勘違いしていないから大丈夫よと言っておいたけど?」
「もっと怒っても良いのですよ? アリシア様はリズベルト王国の王女であり、エドワード様の婚約者で将来の王太子妃なのです。側妃にそのように言われる筋合いはないのですから」
「別にいいわよ。マティルデ様とエドワード殿下の仲を邪魔するつもりはないもの。大人しくしているわ」
私が淡々と答える様子にロイドはなぜか痛ましそうな表情を見せる。
可哀想だと同情でもされているのだろうか。
「アリシア様は本当に無欲ですね……。安定した衣食住が補償されているだけで今の生活は満足だとおっしゃる。……なぜそれほどなにも望まないのですか? もっと希望を述べられても良いのに」
真剣な目で問いかけられ、答えに窮して私は口ごもってしまった。
だって本当にこれ以上望むことなんて特にないのだ。
多少面倒だと思うことや、諦めることがあっても、私は十分に幸せで恵まれていると思うのだから。
私からの返答は求めていなかったのか、私が黙っていると再びロイドの方が口を開いた。
「一つだけ言わせてください。女は美貌がなければ男を虜にできないと側妃に言われたそうですが、それは完全なる誤りですね。……どんなに容姿の整った女にも興味がないのに、顔を知らない人に惹かれるということもありますよ。私の経験談です」
美しい赤い瞳にじっと見つめられて意味深な言葉を告げられ、私は思わずドキリとする。
それがなぜかは分からない。
なのに、なんだか無性に胸がドキドキと騒めいてしかたなかった。




