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19. 王女アリシアの活躍

「それなら私が通訳を務めましょうか?」


「……アリシア様はタンガル語を話せるのですか?」


3日に1回のロイドの訪問日。


応接間のソファーで向かい合う私たちは、一見いつもと同じように見えて、実はこれまでと全然違う状況にあった。


まず、私がベールを付けておらず素顔を晒して対面していること。


次に、テーブルの上には疲労回復薬や栄養補給薬など薬の瓶が乗っていること。


そして最後に会話の内容だ。


この日は、来週に控えた外国からの使節団の来国についてロイドから話を聞いていた。


私がライラ以外の侍女と会話をしている時に耳にした話で、興味があってロイドに尋ねてみたのだ。


別に機密事項ではなく、王宮勤めの多くはすでに知っている内容だったらしく、ロイドも厭うことなく話してくれた。


なんでもユルラシア王国にも引けを取らない大国の一つであるタンガル帝国の第二王子が知見を広げるために各国を公式視察しているらしく、今度ユルラシア王国にもやって来るそうだ。


タンガル帝国は、ユルラシア王国ともリズベルト王国とも面しておらず、離れたところにある国だ。


リズベルト王国では国交はなかったが、ユルラシア王国では大国同士ということもあり付き合いがあるという。


そしてタンガル帝国といえば、国土の大半が砂漠で、それゆえ独自の文化を築いて国を治めていることで知られている。


その一つが言語であり、私たちとは異なる言葉を使っているのだ。


前世で言えば、ユルラシア王国やリズベルト王国で使われている言葉が英語だとすると、タンガル帝国はアラビア語といったところだろうか。


もちろんユルラシア王国にもタンガル語を話せる貴族は多少いるそうで、今回もその者が通訳を務める予定だったそうだが、急遽体調不良に陥りしばらく動けなくなったという。


では代わりの者を、となってもこれがなかなか悩ましい問題なのだそうだ。


というのも、今回はタンガル帝国の第二王子が来るゆえに、こちらもさすがにエドワード殿下が全面に出ることになる。


そのエドワード殿下の側で通訳を務め、タンガル帝国の王族と接する立場なのだから、それ相応の身分が求められるのだ。


ロイドやアランもタンガル語はある程度操れるそうだが、通訳レベルは難しいらしく、加えて使節団の受け入れ対応や王宮内人員への指示など全体管理を担うため余裕がないそうだ。


そんな事情を聞いて困っているロイドの様子を目にした私は何か力になれないかなと心底思った。


そうして発せられたのが冒頭のセリフである。


「ええ。完璧な通訳ができるとまでは言い切れないけれどたぶん大丈夫だと思うわよ。それに私であれば身分的にも問題ないでしょう? むしろ王女だからこそ多少失敗しても先方も大目に見てくれるのではないかしら?」


「おっしゃる通りです。それにしても……護身術、薬の調合、斬新な集客手法、そしてタンガル語ですか。アリシア様には毎回驚かされますね。リズベルト王国はタンガル帝国と国交がなかったと記憶していますが、タンガル語はどのように習得されたのです?」


「ふふっ。リズベルト王国で王宮から抜け出している時にね、婚姻によって移民して来ていたタンガル人と下町で出会ったのよ。それで彼女に教えてもらったの。平民だけれど貴族と接する商家の娘だったらしくて、貴族に対する丁寧語も習ったから安心して」


当時のことを懐かしく思い出しながら私は事情を隠すことなく話した。


シアであることが露呈してからというものの、こうしてロイドに対して私が身につけてきたことをサラリと口にするようになったのも大きな変化だろう。


「アリシア様に通訳を務めて頂けるのは正直なところ、とても助かります。ですが、よろしいのですか? 嫌でも注目されることになりますよ?」


それはそうだろう。


他の貴族も多数いる場、エドワード殿下の側で通訳をし外国の使節団と応対するのだ。


今までひっそり離宮に極力籠っていたのに、ベールは付けたままとはいえ、姿を大々的に晒すことになる。


 ……でもこれってある意味良い機会だと思うのよね。お飾り妃だとしても、周囲の人に認めてもらうためにね。


私の脳裏にあったのは先日保留にしたスヴェンとのやりとりだった。


このままだとスヴェンが婚姻後に無理矢理こちらにやって来そうだから、思い止まらせるためにも私が幸せであることを見せつける必要があるのだ。


「大丈夫よ。スヴェンを早まらせないためにも何か対策を取ろうとちょうど思っていたところだったから」


「スヴェン? 対策? ……スヴェンというと、この前使者として来ていたリズベルト王国騎士団の副団長であるルシフェル卿のことですよね?」


私がポロリとスヴェンの名を漏らすと、それにロイドはピクリと反応した。


確かに今の話の流れでスヴェンの名前が出てくるのは不自然で違和感を感じたのだろう。


「もしかして、と思いますが、王宮を抜け出して彼と城下町で会った……ということはありませんよね?」


頭の切れるロイドは私が何かを口にする前にすでにその推測に行き着いていた。


監視のない場で自国の者と顔を合わせていた事実は後ろめたいものがあり、私はそろりと目を逸らす。


が、陰謀を企んでいると思われても仕方ない事態を見逃してくれるはずもなく、ロイドの視線が突き刺さった。


「ごめんなさい……。実はロイドにシアだとバレてしまったあの日にフォルトゥナでスヴェンと会っていたの。ただ、誓ってロイドが疑うような陰謀の企てとかではないの! 本当よ?」


「では何をお話になっていたのかお伺いしても?」


「それは……。そうね、話すべきよね」


スヴェンの個人的な希望でもあるからどうしようかと思ったが、疑われている以上、素直に白状した方がいいだろう。


ただでさえロイドには王宮を抜け出すことに目を瞑ってもらっているのだ。


これでもし問題が起きたら、ロイドの責任問題にもなりかねないから、彼が気にするのは当然のことと言えた。


「私が婚姻したらこの国に呼び寄せて欲しいとスヴェンからお願いされたの。騎士として私に仕えたいって。スヴェンは自分が戦争で負けたことで私が嫁ぐことになったと罪悪感を持っていて、だからそんなことを言い出しているのだとは思うんだけどね」


「なるほど。未婚のアリシア様の側に若い男性が仕えることは外聞が良くないですが、既婚となれば別だろうということですね」


「ええ、まさにそう言っていたわ。だけど私はスヴェンを巻き込みたくないのよ。彼は要職に就いた優秀な騎士だし、侯爵家の後継ぎでもあるし……」


「それで対策、ですか。具体的には?」


ざっくり話しただけなのに、これだけでロイドは大体のことを把握してしまったようだ。


私が先程口走った「対策」という言葉の経緯もきっちり繋がっている。


「スヴェンは私がお飾りではなく愛のある婚姻を結び、皆から愛され認められるような妃になったら諦めてくれそうなの。……さすがに愛のある婚姻は無理だけど、皆に認められる妃であれば頑張りようはあるんじゃないかと思って! だから通訳も務めてみようかと考えたのよ」


「突然通訳をするとおっしゃった時は驚きましたが、なるほど、そういう経緯なのですね。納得しました」


「あ、でも、最初にそう申し出たのはロイドが困ってるみたいだったから力になりたいなって思ったからよ? スヴェンのことは正直後付けな部分もあるわね」


「私の力になりたい、と思われたのですか……?」


ロイドは目を丸くして、一瞬ポカンと呆けた顔になった。


 ……あれ? 何かおかしなことを言った?


意外なロイドの反応にこちらも目をぱちくりしてしまう。


でも次第にいつも冷静でクールなロイドのちょっと間抜けな表情がなんだか可笑しくなってきて、クスクスと小さな笑みを漏らしてしまった。


それにハッとしたロイドは、コホンと咳払いをしてなにかを誤魔化している。


陰謀を疑われたことによる、さっきまでのピリッとした空気はすっかり消え失せていた。



◇◇◇



「お久しぶりでございます、エドワード殿下。本日はよろしくお願い致します」


「ふんっ。くれぐれも私の足を引っ張らないようにな。君を通訳として同席させる決定をしたのは苦肉の策なのだから、勘違いしないように」


「ええ、もちろんでございます」


私は今、使節団を迎えるための謁見の間で、実に半年以上ぶりに婚約者であるエドワード殿下と面していた。


半年前に会った時はなんとも思わなかったが、彼が側妃との愛欲の日々に溺れ、執務を放り投げているという実情を知っている今、この横柄な態度には多少思うところがあった。


聞いたところによると、今回の私が通訳を務める話は当初エドワード殿下が拒否したらしい。


通訳だとしても他国の王族の前で私が隣に並ぶことが嫌だったのだという。


その理由は側妃が嫌な気持ちになったり、私が勘違いするから、だそうだ。


ある意味側妃に一途で素敵なのだが、通訳が他にいないという状況が全く読めていないというか、把握していない視野の狭さに残念な気持ちになる。


最終的にロイドやアランに説得されて渋々頷いたということだった。


「本当にタンガル語が話せるのだろうな? これで役に立たなかったら我が国の恥晒しだ。その時はただではおかないからな」


「はい、承知いたしております」


「そのベールは取らないのか?」


「ええ、以前お話致しました通り、婚姻までは人に見せない伝統文化ですので。タンガル帝国も文化や伝統に重きをおく国ですからご理解頂けるかと存じます」


そう言って恭しく頭を下げて見せるが、エドワード殿下をはじめ、周囲にいる貴族からも疑わしげな目を向けられた。


そうこうしていると、謁見の間の扉がノックされ、扉の前にいた護衛が声を上げる。


「タンガル帝国の第二王子ヨダニール様および使節団の皆様のご到着でございますっ! お通し致します!」


その一言ののち、謁見の間の扉が開き、ロイドに案内されて浅黒い肌色に頭にターバンを巻いた一団が中へ入って来た。


一目でタンガル帝国の人たちだと分かる風貌をしている集団だ。


先頭にいる他より豪華な装飾の服を身につけた一際目立つ彫りの深い顔の男性が第二王子だろう。


その第二王子だけがエドワード殿下と私が座る椅子の向かいに腰掛ける。


他の人たちは背後に控える形だ。


『初めまして。タンガル帝国の第二王子ヨダニール・タンガルと申します。この度は私の訪問を快く受け入れてくださり感謝いたします』


ヨダニール王子が手を差し出してエドワード殿下と握手を交わす横で、私は今の言葉をエドワード殿下に通訳する。


通訳は後ろに控えている側近の誰かだと思っていたらしいヨダニール王子は、隣の私が話し出したことに一瞬だけ驚いたような顔をした。


「ユルラシア王国の王太子エドワード・ユルラシアです。遠路はるばるようこそ我が国へお越しくださいました」


エドワード殿下の言葉はヨダニール王子の背後にいる通訳が訳して伝えている。


双方の通訳は相手の言った言葉を訳して自国の者へ伝えることだけが今回の役割だった。


『エドワード王太子のお隣のあなたは? ただの通訳ではないようですが?』


『私はエドワード殿下の婚約者で、リズベルト王国の第一王女アリシア・リズベルトと申します。今日はエドワード殿下の通訳を務めさせて頂いています』


『リズベルト王国の王女ですか。両国が同盟を結んだという話は耳にしておりましたが、なるほど王族同士の婚姻まで結ばれるのですね。それにしてもアリシア王女はとても流暢なタンガル語ですね。どこで学ばれたのです?』


『リズベルト王国に移住して来た者に教えてもらいました』


『もしやと思いますが、ゼンケル商会の者ではないですか?』


『えっ! その通りです! ヨダニール王子は彼女とお知り合いなのですか⁉』


『ええ。ゼンケル商会は王家御用達の商会で懇意にしていましたから。リズベルト王国に移住する者は少ないですからね、もしかしてと思ったのですがまさかでした。驚きましたね』


『ええ、本当に驚きました。不思議なご縁ですね!』


「おい、なんだ。何の話をしている? 通訳してくれねば分からないではないか」


エドワード殿下に不満気に催促され、そこで私はハッとする。


ヨダニール王子から私への質問が続いたため、咄嗟に答えてしまっていてすっかり通訳するのを失念していた。


私は慌てて今の会話をかいつまんでエドワード殿下に伝える。


その後はあまりでしゃばり過ぎないように、ひたすら通訳に徹したのだが、どうやらヨダニール王子は私に興味を持ってしまったらしい。


予定されていたエドワード殿下とヨダニール王子の会談が終わった後、リズベルト王国のことを知りたいからという理由で私個人との面会希望の申し出があった。


丁重にもてなす相手からの申し出を断る理由もなく、翌日にエドワード殿下抜きで面会することになった。


場所は王宮本殿の庭園を一望できる見晴らしの良い部屋のテラスだ。


私自身も初めて足を踏み入れる場だったのだが、要人を接遇するための貴賓室だという。


ヨダニール殿下と接するにあたり、王宮勤めの高官が手配してくれたらしい。


『このたびはわざわざ時間をとって頂きありがとうございます、アリシア王女』


『とんでもありません。私もタンガル帝国の方と接する機会はありませんでしたので光栄です』


他国の王族を前に緊張しながら、私の侍女たちがティーカップに紅茶を注いでくれる。


その香り高い紅茶を味わいながら、今日は通訳なしで私とヨダニール王子は会話を始めた。


『昨日は聞きそびれてしまったのですが、アリシア王女はいつもそのベールを?』


『はい。私の国では王族は婚姻するまで人に顔を見せないことを良しとする古い文化があるのです。もっとも古過ぎて今や廃れてしまっていますが。ただ、私はその古い文化を大切にしたいと思っていて実践しているのです』


『なんと……! アリシア王女は古い文化や伝統にとても理解のある方なのですね。素晴らしいお考えだと思います』


完全に嘘話なのをヨダニール王子に話すのは躊躇われたが、聞かれた以上この話を突き通すしかない。


どうせあと半年くらいの話なのだと割り切り、私は至って真面目に嘘を語った。


これに大変感心されてしまい、若干胸が痛む。


『我が国も文化や伝統は大切にしています。このターバンを巻く姿もそうです。タンガル帝国のような暑い国でターバンを巻くのは暑くないのかと他国からは(いぶか)しがられます。自国の者の中でも嫌がる者も若い世代には増えてきました。ですが、暑い国だからこそでして、強い日差しや風雨、砂塵などから頭部を守る目的で巻いているのです』


『そうなのですね。確かに一見不思議なこともきちんと理由があるものですよね』


『ええ、文化や伝統というのは長い年月の間で当初の目的や理由が捻じ曲げて伝わり廃れてしまうことも多いものです』


前世の日本でもこういったことはよくあった。


若い世代が離れて行くことで担い手がいなくなり、長年築かれたものが廃れてしまうと確かテレビでも特集されていた気がする。


そんなことをなんとなく思い出しながら私はヨダニール王子の話に応じる。


『アリシア王女の国でのベールも同じでしょう。廃れつつあるとのことですが、だからこそそれを大切にされるお心に大変共感いたします』


『若い世代が文化や伝統を体感してみれば、その良さはきっと実体験として分かるんでしょうけどね。その良さを誇れると素敵ですよね。文化や伝統を重んじながらも、時には現代流にアレンジしてみたりして親しみやすくするのもいいですよね』


『ええ、ええ! 本当にその通りです! さすが素晴らしいお考えをお持ちですね!』


なにやら大変良いように解釈してくださったようで、なんだか私が志の高い崇高な人間にされてしまっている。


ヨダニール王子には感動したというような輝く目を向けられてしまった。


ベールのことはただのハッタリの嘘であり、前世で見たテレビの感想をなんとなく述べたに過ぎないのに……と思うと申し訳なくて滝汗をかいてしまいそうだ。


『大変感銘を受けました。私と志を同じくするアリシア王女には友好の証としてこちらをお渡しさせてください。これは我が国で最高級のターバンを作る時の生地です。よろしければ、ぜひこの生地でベールやドレスをお作りください。きっと美しいモノが仕上がるでしょう』


ヨダニール王子の付き人経由で渡された生地に手を触れると、びっくりするくらい滑らかで柔らかい手触りだった。


これが最高級品だということは一目瞭然だ。


『こんな高級なもの頂けません。お返しできるものもないですし……』


『私からの友好の証ですから見返りは求めませんよ。いつかアリシア王女には我が国に来て、我が国の文化と伝統を体感頂きたい。その時にぜひこの生地をお召しください』


どうやらヨダニール王子はともかく自国の伝統を誇りに思っていて、それを認められたことが嬉しいらしい。


実際に見て欲しいと言い出すほどだ。


この生地も文化や伝統の一端なのだろうから、それを私に体験して欲しいのだろう。


そう解釈した私は純粋な思いを無下にもできず、言葉通りありがたく受け取ることにした。



だが、私とヨダニール王子がそんなやりとりをしている背後で、控えていたユルラシア王国の高官たちが驚きながら密かに騒めいているのを私は全く気づいていなかった。

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[一言] 通訳の公務中に私用の会話してしまうのは大丈夫なんですかね
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