01. 人質としての婚姻
「お前の婚姻が決まった。半月後にまずは婚約者としてあちらに出向き、そのまま滞在して1年後に正式に婚姻となる」
ある日、父であるリズベルト王国の国王に突然呼び出された私は、まともに挨拶をする暇も与えられず、いきなりこんなことを告げられた。
第一王女である私ももう18歳だ。
この国の女性の結婚は成人を迎える16歳から認められており、平均はだいたい18歳である。
だから私ももういつ婚姻の話が来てもおかしくないとは思っていたが、何の前触れもなくあまりにも当然だったことには少し驚いた。
しかも婚姻までのスケジュールのみが告げられ、肝心の相手すら不明だ。
正式な婚姻が1年後と時間を要することを考えると相手も王族なのだろうか。
臣下に嫁ぐのであれば通常これほど時間はかからない。
「あの、お父様、出向くとおっしゃられましたが、私はどちらに嫁ぐのでしょうか……?」
「嫁ぎ先はユルラシア王国のエドワード王太子だ。年齢は23歳でお前とは歳も近い」
「えっ? ユルラシア王国……? あんな大国の王太子のもとに私が……?」
それは思いもよらない相手だった。
なにしろユルラシア王国といえば、我が国とは比較にならないくらいの豊かな大国だ。
それに長年の敵対国でもあったはず。
さらに相手はそんな国の王太子、つまりは次期国王ということだ。
将来的にその妻は王太子妃、そして王妃になるということを意味している。
しかも政略結婚にありがちな歳の離れた老いぼれの相手に嫁ぐというわけでもなく、歳周りも近いという。
……それなのに、なぜ私なの? そんな好条件であれば、私ではなくあの子のはずじゃない……?
そう思い至り、これがただの婚姻ではないことをうっすら察し始めていると、続けて父はその事情を話し始めた。
「お前もあの国とは長年争っていていることは知っているだろう。そして先般も大きな戦に発展したことも」
「はい。いまだに兵が戻ってきておりませんので、戦争中なのですよね?」
「いや、先日決着がついた。甚大な被害が出て我が国が降伏することになった。このまま進軍されては勝ち目はないと判断したのだ。あの国とは我が国の資源を低価格で継続的に提供することで講和となり、同盟を結ぶことになった」
「降伏……同盟……ですか」
私もこの国の王女として情勢は理解していたつもりだ。
だが、知らぬ間に我が国は敗北に追い込まれていたらしい。
騎士団を率いて戦争に旅立った幼なじみを思い出すと、俄かに心配になってくる。
「それでだな、同盟の証として、王族同士で婚姻を結ぶことになったのだ」
「左様ですか」
完全なる政略結婚だが、こういうことは王族ならばよくあることだ。
国の和平のために顔も知らない相手に嫁ぐなんてことは一般的であり、そのことに私もなんの不思議もない。
だが、私が不思議なのはそれがなぜ私なのかということだった。
「……エレーナではないのですか?」
私が小さな声で問うと、父は冷たい目で私を見据え、ふんと鼻を鳴らす。
「婚姻と言っても1年の婚約期間は人質みたいなものだ。敗戦国で尚且つ小国の我が国の姫がどのような扱いになるかも分からぬ。そんなところに可愛いエレーナを嫁がせるわけがないだろう? しかもあの国の王太子にはすでに側妃がいて大層寵愛していると聞く。婚姻を結んだところで妻とはなるが形だけのこと。冷遇されるのは目に見えている」
……ああ、なるほど。だから私というわけね。
その説明で心底納得がいった。
つまりは私の妹で、第二王女であるエレーナがそんな扱いをされるのは許し難いが、私なら良いという判断なのだろう。
実態はどうあれ、私もリズベルト王国の王女であることには変わりがないのだから。
「お前をこれほど有効に使える場面が巡ってくるとは思わなかった。王女として残しておいた甲斐があったというものだ。分かっているとは思うが、お前に拒否権はない。駒として従うように」
「……承知いたしました」
「分かればよい。半月後に人質として発てるように準備を進めよ」
「……仰せの通りにいたします」
逆らう気もなく、私は静かに御前で礼をしてその場を立ち去る。
白いベールで顔を隠しながら、自室のある離れへ向かって王宮の廊下を歩いていると、右手に見えた庭で王妃である義母と妹のエレーナがお茶を楽しんでいる様子が視界に入った。
「あら? お姉様?」
気付かれないよう気配を殺しながら通り過ぎようとしたものの、その努力も虚しく、あっさりと呼び止められてしまう。
仕方なく私は庭にいる2人に近寄り、まるで臣下のように礼儀正しく礼をする。
「ごきげんよう。お姉様が王宮の本殿にいるなんて珍しいわね。もしかしてお父様に呼び出されたのかしら? ねぇ、お母様?」
「そうね。陛下が例の件、そろそろ告げるっておっしゃってたわね」
どうやらこの2人は婚姻の当事者である私より先に父から話を聞いているようだ。
エレーナはさも心優しく同情するような、それでいていい気味だと嘲るような目で私を見てきた。
「お姉様が本当にお可哀想だわ。人質みたいなものなのでしょう? しかもお相手にはすでに寵妃がいて愛される見込みもないだなんて。同じ女性としてあんまりだと悔しく思いますわ」
「姉を心配するなんてエレーナは本当に優しい子だこと。お相手の王太子様も可愛いエレーナが嫁いでくるのを期待しているでしょうから、さぞガッカリされるでしょう。王太子様こそお可哀想だわ」
「お母様、私も王太子様のご期待に添えないのは心苦しく思っているの。でも心の弱い私には人質生活も愛のない結婚生活もとても耐えられそうにないもの。お姉様のような図太さが私にもあれば良かったのだけれど」
「エレーナ、あなたが気に病む必要なんてないのよ。エレーナには、陛下と私のように愛が溢れる幸せな結婚ができる婚姻先を見つけてあげますからね。大国とはいえ、どんな扱いを受けるか分からない元敵国へあなたを送り出すなんてとても私たちにはできないもの。そんな婚姻は裏切者のあの女が産んだ不義の子が相応しいわ」
「そうね、お母様のおっしゃる通りかもしれないわ。ねぇ、お姉様? 向こうの国に行かれたら少しは我儘を控えて大人しくなさった方がよろしくてよ? あと、王太子様をご不快にさせないために今のように常にベールで顔を隠してお過ごしになると良いと思うわ? 私、お姉様がとっても心配なの」
「まぁ! エレーナは本当に心優しい娘ですこと。少しは見習って欲しいものだわ」
私が何も口を挟まないのをいいことに、義母とエレーナは、小鳥がさえずるようにとめどなく喋る。
義母は私に明確な嫌悪を言葉に滲ませ、エレーナは一見姉を心配する妹を装いながらも見下しているのが丸分かりだった。
いかに酷い環境へ私が送られるのかを改めて言って聞かせることが目的のようだ。
この2人のこの態度はいつものことなので、じっと床の一点を見つめてやり過ごす。
2人が散々言いたいことを言い放ち満足したところで解放され、ようやく私は離れの自室に辿り着いた。
部屋で侍女と2人きりになるやいなや、私はベールを放り投げ、ドサリとベッドに倒れ込む。
久しぶりに王宮の本殿に足を運び、周囲の蔑む視線に晒されて疲れた。
それに慣れているとは言え、身内の心無い言葉の数々は、僅かながらも私の心を蝕むのだ。
「ああーっ! もう腹が立ちますっ! アリシア様はなんでいつもそんなに平気そうにしているんですかっ!」
私がベッドで王女らしからぬ姿でダラっとしていたら、堪りかねたように私付きの侍女ライラが声を張り上げた。
まるで私の代わりに怒るかのように感情を爆発させている。
「しょうがないわよ。事実なんだから」
「どこが事実なんですっ! 不義の子だなんて言い掛かりではないですかっ! 陛下も実の娘をこんな扱いするなんてどうかしてますっ!」
「ライラ、誰が聞いているかも分からないのに、陛下を批判するなんてやめなさい」
「でも……っ! 髪色のせいだけでっ!」
ライラは悔しそうに唇を噛み締めた。
私はリズベルト王国の国王と王妃の間に産まれた第一王女なのだが、産まれた瞬間から王妃の不義の子として白い目で見られて育った。
というのも、髪色が王家特有のプラチナブロンドではなかったからだ。
王家に産まれた子供はこれまで例外なく、銀髪のような美しい白金色の髪色を有していたのだが、私はハチミツのようなオレンジ色がかった金髪だったのだ。
待望の第一子、喜びの絶頂だった国王と王妃は愕然としたそうだ。
母である王妃は不義を否定したのだが、それを信じるものはおらず、仲睦まじかった2人の関係は一転したという。
心を病んだ母は廃人のようになり、次第に衰弱して私が2歳になる頃に亡くなった。
その頃ちょうど側妃に輝かんばかりの美しいプラチナブロンドを持つ女児エレーナが産まれたのも大きかったのだろう。
……この世界にはDNA鑑定なんてないから、いくら不義ではないと言い張っても証明できないものね。母はまさに悲劇のヒロインだったと思うわ。
当時まだ2歳だった私だが、実はこの頃のことはきちんと把握している。
というのも、私は産まれた時から前世の記憶を持ち、中身は成人していたからだ。
前世、私は日本という国で、貧乏暮らしにあえぐ苦労性の女の子だった。
最後の記憶が20歳頃だから若くして亡くなったのだろうと思われる。
気付いたらアリシアとして意識があり、どうやらここは異世界のようで、なにやら私を取り囲む周囲の人々の表情が凍り付いていると認識した。
不思議なことに相手の言葉がすぐに理解できた私は、赤ちゃんの姿で周囲の会話に耳を傾け、冷静に自分の立場を理解していた。
だから、母が亡くなった時は悲しかったが、父が私に冷たく当たるのも、側妃だった義母がその後王妃となり私を冷遇するのも、2人の間に産まれてプラチナブロンドを有するエレーナや弟が私を嘲笑うのも仕方がないと思えたのだ。
むしろ、前世が貧乏で苦労したせいか、妹や弟とは完全に扱いは異なるものの、一応王女として不自由なく王宮で過ごさせてくれたことに慈悲深いとさえ感じたものだ。
「それにエレーナ様のあの言いよう! 我儘は控えた方がいい? どの口が言ってるんだか。ベールで顔を隠すのだって、本当は醜くなんてないのにっ! 悔しいですっ!」
ライラの怒りはおさまっていなかったようで、今度はエレーナに噛みついている。
母が亡くなって以降、乳母となったライラの母に育てられた私は、3つ年上のライラとは姉妹のように育ち、気心知れた間柄だった。
ライラが成人を迎えた16歳からは、私付きの侍女としていつも側に控えていてくれていて、とても心強い存在だ。
王族の侍女は高位貴族の令嬢が務めることがほとんどのため、実は下位にあたる男爵家の令嬢のライラが侍女をしているのは異例だった。
それが認められているのは、ひとえに私が不義の子として王族の中で冷遇されているからだ。
私としては、こんなふうに私に代わって怒ってくれるライラが侍女として側にいてくれるだけで救われる心地だし、それだけで充分だった。
「でもベールは私にとっても好都合だわ」
「確かにそれはそうなんでしょうけど。でも、本当はこんなにお美しいのにっ! 醜くい容姿で性格まで歪んでいるなんてアリシア様が言われているのが我慢できませんっ!」
醜くて性格も歪んでいる、というのはリズベルト王国で周囲が私に対して抱いている印象だった。
王女でありながら舞踏会などの社交の場に一切出席せず、王宮で見かけた時にはいつもベールで顔を隠し、必要最低限しか言葉を発さない姿からそう言われるようになった。
加えて、心優しく美しいエレーナが積極的にそれを吹聴して回ったことで、今や誰もが知っている。
実際のところは、ライラの言うように、別に私は醜くくはない。
というより、世間一般にはかなりの美人に分類されると思う。
ハニーブロンドの豊かな髪に、宝石のような青い瞳、顔の各パーツも整ったお人形さんのような顔立ちだ。
前世の記憶がある身からすると、絵に描いたような金髪碧眼のお姫様だとすら思う。
エレーナにとっては、蔑むべき存在の私がこの美貌なのが面白くなかったようで、物心ついた頃から顔を隠せと命令してくるようになったのだ。
それが私がベールで顔を覆って人前に現れる理由だった。
だが、このベール、実は私にとっては今や大層都合の良いもので、生活には欠かせない必須アイテムとなっている。
「最初はエレーナに言われて渋々始めたことだったけれど、今となっては感謝しているの。これのおかげで顔を知られていないから、こっそり抜け出し放題なんですもの!」
ふふっと笑いながら私はライラを見つめる。
ライラは腰に手を当てて怒るポーズを取りながらも、すっかり毒気を抜かれたようで、はぁっとため息を溢した。
「アリシア様が城を抜け出して城下の下町で楽しんでいるのは存じてますけど、お戻りになるたびに生傷作ったり、火傷を負ったりされていて驚かされる身にもなってください」
「それは昔のことでしょう? ライラはいつまで経っても昔のことを言い出すんだから。ナタリーにそっくりよ」
乳母であり、ライラの母の名を出すと、思い当たるところがあったのかライラは少し恥ずかしそうにして口をつぐんだ。
尊敬する母に似ていると言われるのはこそばゆいらしい。
母娘の関係性に微笑ましいものを感じながら、私は思い出したかのように今度は自分からライラに話しかけた。
「さっきの義母とエレーナの会話で察したかもしれないけれど、半月後に婚姻先であるユルラシア王国に行くことになったの。正確には婚約者として1年過ごしてその後に結婚となるのだけどね。それで、出発の準備をお願いしたいのだけど、手伝ってもらえる?」
「やっぱり陛下からのお話はそういうものだったのですか。でもあの方々がおっしゃっていたように、人質生活な上に、愛される見込みもない結婚だなんて……。アリシア様への扱いが最後まで酷すぎますっ!」
「ライラは悲観的ね。愛のない結婚なんて貴族であれば珍しくもないじゃない。それに人質生活と言うけどきっと大して今と変わらないわよ。むしろ身内から離れられることを思うと、楽になるくらいじゃないかしら?」
そう、散々言われたこの婚姻だけど、私は割と前向きに捉えていた。
身内から蔑まれてチクチク言われるのは地味にダメージを負うが、他国に行けばそういうこともなくなる。
貧乏だった前世では海外旅行に行くことも叶わずだったことを考えると、他国に行けるなんてちょっとした贅沢だ。
「……もしかしてあちらの国でも今のように城を抜け出すことをお考えではないですよね?」
「ふふっ、ライラはなんでもお見通しね。さすがに婚姻してしまえば難しいでしょうけど、1年の婚約期間であれば可能ではないかしら? 今のようにベールで顔を隠しておけばいいだけだもの」
「はぁ、アリシア様らしいというかなんというか。心配すぎるので、もちろん私もあちらの国へお供させて頂きます。侍女がついて行くのは問題ないのですよね?」
「えっ? ライラが一緒に来てくれるの?」
「抜け出すなら私がいた方が良いのではありませんか?」
「それはそうだけど……ライラの婚期が遅れちゃうわよ?」
ライラは今21歳だ。
すでに女性の結婚年齢の平均を越えているが、元敵国である他国へ行くとなればますます結婚とは縁遠くなるだろう。
「別に構いませんよ。私は結婚したいとも思っていませんし、せいぜいアリシア様の側で良い思いをさせてもらいます」
キッパリ言い切るライラに私は胸が熱くなる。
どんなに強がっていても、未知の世界に1人で足を踏み入れることに不安がないといえば嘘になる。
だから、正直ライラが一緒に来てくれるのはとても心強かった。
「……今までだって良い思いなんてしたことないくせに」
「高価な甘いチョコレートやクッキーをお裾分けしてくださるだけで充分ですよ」
「分かったわ。ユルラシア王国の甘味も絶対食べさせてあげる! 我儘言って珍しいものも全部集めてもらうんだから!」
「それは楽しみです。さぁ、それではさっそく出発に向けて準備を始めましょう。半月なんて意外とすぐですからねっ!」
私たちは顔を見合わせるとふふっと笑い合い、持って行くもの捨てるものの話し合いを始めた。
そしてその半月後、予定通りに私はライラ一人を連れ、最低限の護衛に囲まれて馬車でユルラシア王国へ向けて城を旅立った。
見送りに顔を出す身内も、臣下も、民もいない。
隠されるように王宮の離れで育ち、いないものとして扱われた不義の子である嫌われ王女は、ひっそりと生まれ育った国をあとにしたのだった――。