16. 幼なじみ騎士のお願い
「アリ……」
フォルトゥナの昼営業が始まるやいなや、待ち構えていたかのように店に入って来たスヴェンが口を開くのと同時に、私は彼の腕を強く引っ張る。
思わず私の本名を口にしそうになったスヴェンを阻止し、そのまま腕を引いて個室へと連行した。
ここは以前ロイドが来た時に通したあの個室だ。
あらかじめエドガーさんとミアには、今日は私宛に来客があることを伝えていて、この場所を使わせて欲しいと頼んでおいたのだ。
「ここではシアよ。以前と同じだから、スヴェンなら分かるわよね?」
「……すみません。つい感極まってしまってうっかりしていました」
「気をつけてね。それにしても本当に久しぶりね、スヴェン。こうしてこの国で会えるとは思っていなかったわ」
「私もです。まさかこの国でもシア様が抜け出しをしているとは思いませんでしたよ。顔を隠して生活しているのですか?」
スヴェンも王宮で使者として面会はできても、こうして監視もなく城下町で会うことは想像していなかったようだ。
さすがにユルラシア王国では当然ベールを外して生活していると思っていたらしい。
「リズベルト王国の王族は婚姻するまで人に顔を見せないことを良しとする文化があるってことにしてあるの。だから婚姻するまでの期間限定よ。考えてみれば、もうあと半年ほどね……」
この自由な生活も残りあと半年だと思い至ると、少し寂しい気持ちになった。
こんなふうにフォルトゥナで過ごしたり、城下町のみんなと顔を合わせる日々は限られているのだ。
「……やはりお辛い生活なのですよね。人質だなんて……。私たちが敗戦したせいで、シア様が嫁ぐことになったことが悔しくてなりません」
「それはこの前も伝えた通り、スヴェンが責任を感じる必要は全くないわ。それに言ったでしょう? 今の生活も悪くないし満足しているって。以前よりも良いくらいなのよ?」
「……本心ですか?」
疑うような目で私を見るスヴェンを私は真っ直ぐと見つめ返す。
今日はこのことを伝えてスヴェンの罪悪感を祓うためにここに来たのだ。
「もちろんよ。だって考えてもみて? スヴェンも知っての通り、リズベルト王国で私は不義の子として蔑まれていたでしょう? 家族から冷たく当たられていたわ。でもこの国では、みんな私に無関心なのよ。大人しくさえしていればそれで良いって感じなの。精神的には以前よりずいぶん楽よ」
「ですが、婚姻相手のエドワード王太子はすでに寵愛を与える側妃がいて、シア様を一切顧みないと聞きます。それでよろしいのですか……?」
「貴族の結婚なんて政略結婚がほとんどなのだから似たようなものじゃない。私の婚姻で国同士が戦わずに済んで平和になるのならとても意味のあることだし、私は満足だわ」
「本当にシア様は相変わらず無欲ですね……。もっと自分の望みを主張しても良いのですよ。あなたは王女なのですから」
「私は割とワガママよ。こうして1年は自由に謳歌させてもらってるのだもの。ライラにも迷惑をかけていると思っているわ」
ふふっと笑みをこぼしながらそう言うと、スヴェンは私が本心で話していることを感じ取ったのだろう。
顔に浮かべていた後悔の表情が少し和らいだ気がした。
「シア様のお心は分かりました。もうこれ以上、私が後悔を感じるのは控えます。そうしないとシア様が気に病まれるでしょうから」
「その通りよ。本当に私は今の生活に満足なのだから、スヴェンが気にしないでちょうだい。罪悪感を感じている顔は見たくないわ」
「ええ。仰せの通りにします。……ですが、一つお願いがあります」
「お願い?」
「はい。正式に婚姻されたら、私をこの国に呼び寄せてください。シア様のお側で仕えたいのです」
思わぬ申し出が飛び出し、私は目を見張る。
いきなりなぜこんなことをスヴェンは言い出したのかさっぱり分からない。
私が不可解な表情を見せたためか、スヴェンはさらに言葉を重ねる。
「今は未婚の女性の側に、自国から連れて来た未婚の騎士がいるのは外聞もよくありません」
「確かにそれはそうね」
「ですがシア様がご結婚されれば別です。……もしそれでも未婚の騎士だと差し障りあるようであれば私も身を固めます」
「えっ!? というか、そもそもスヴェンはリズベルト王国の騎士団の副団長という要職に就いているし、侯爵家の後継じゃない。ユルラシア王国に来るなんて無理よ。すべてを捨てることになるわ」
本気か冗談か分からないが、早まったことを言うスヴェンを思いとどまらせようと焦って私は今スヴェンが持つものを指摘する。
家や職はそんなに簡単に捨てられるものではないはずだ。
だが、スヴェンはなんの躊躇も見せることなく、しごくアッサリと切り捨てた。
「問題ありません。職は実力でこの国でも得られなくはないですし、家は弟がいるので後継は大丈夫です」
「ええっ!? 本気……!?」
その潔いまでの発言に驚かされるのはこちらだ。
スヴェンの口調や目、態度、すべてから本気度をヒシヒシと感じ、狼狽えてしまう。
「は、早まっちゃダメよ……! 私に仕えてくれてもたぶん良いことはないわよ? 一応このままいけば半年後には王太子妃、そして後々は王妃にはなるけれど、それはあくまで形式上。完全なお飾りよ? たぶん側妃が子を産むだろうから、そうなればますます私の立場は王宮で弱いものになるわ。その私に仕えていたらスヴェンまで被害を被るかもしれないし……」
私はこの先待ち受けている自分の未来を言って聞かせる。
こんな分かりきった状況なのに、そこに輝かしい未来があるはずのスヴェンを巻き込みたくなかった。
「だからこそお側で仕えたいのです。昔からシア様を知る者がライラだけでなく、もう1人いるとさらに心強いのではありませんか?」
「それはそうだけど……」
「それに婚姻された暁にはベールを取られるのですよね? そうなればいくら寵愛を一身に受けている側妃でも心穏やかではいられないと思うのです。シア様はお美しいですからね。嫉妬に狂った側妃がシア様に危害を加えないとも限りません。騎士である私がいればお守りできます」
「確かにその事態が絶対にありえないとは言い切れないけれど、でもやっぱりダメだわ。スヴェンはリズベルト王国の武力の要だもの」
「ユルラシア王国とは同盟になりましたので、しばらく大きな戦いもないでしょう。であれば私が抜ける程度の武力低下は問題視されないと思います」
ああ言えばこう言うスヴェンは、私の言葉をことごとく言い返してくる。
そのどれもが筋が通っていて、ついに私は口ごもってしまった。
「ご同意頂けたようですね。それでは、お願いを叶えて頂けますか?」
私が黙ったのを見て、納得をしたと理解したスヴェンは話をまとめるように私に問い掛けてくる。
でもやっぱりスヴェンを私の未来に巻き込むのはどうかと思う私は、苦し紛れにあり得ない未来を仮定して問い返した。
「私がお飾りの妃になるから、スヴェンは罪悪感もあって仕えたいと言ってくれてるのでしょう? じゃあ、仮に私が誰から見てもものすごく幸せな状況になったとしたら? それでもスヴェンは私に仕えたいと言うの?」
「それはお飾りではなく愛のある婚姻を結び、皆から愛され認められるような妃になったらということですか?」
「そうね、そんなこともあるかもしれないわよね?」
天変地異が起きても絶対にないだろうが、話を進めるために私は肯定してみる。
スヴェンは何事かを少し考える素振りを見せた上で口を開いた。
「もちろんお仕えしたいです。……ただその場合は、シア様の夫である王太子様が私の存在を不快に思われないのでしたら、という前提にはなるでしょうね」
「つまり、なにがなんでもこの国で私に仕えるということではないってことよね?」
「そうなりますね」
……スヴェンを思い止まらせるためには、私が幸せを見せつけるしかないってことね。う~ん、でも愛のある婚姻云々は無理だろうから、狙い目は皆から愛され認められる妃って部分かしらね?
大人しくしているつもりだったから考えたこともなかったが、たとえお飾りの妃でも、何かしら周囲の人から認めてもらえるように動くこと自体は可能かもしれない。
苦し紛れから始まった仮定だったけど、スヴェンを早まらせないためだったら、頑張ってみてもいいかもしれないと私は思った。
「分かったわ。それなら私はスヴェンがこの国に来なくても良いと思うくらいの幸せを掴んでみるわ! だから、早まらないでちょうだいね? とりあえず半年後、また話し合うことにしましょう? 今のタイミングではお願いは保留ね!」
私はこう締めくくると、これでこの話をスパッと終わらせる。
スヴェンも致し方ないと諦めたのか、素直に頷いてくれて、なんとか保留にすることができた。
思わぬ申し出によりスヴェンと攻防を繰り広げた私は、なかなか疲労していたようで、スヴェンが帰った後フォルトゥナでの昼営業を終えるとこの日はまっすぐ王宮に戻ることにした。
いつもなら午後は城下町をふらふらと歩き回ることが多いのだが、とてもそんな気力と体力はなさそうだったのだ。
……影武者を務めてくれているライラも早く帰る方が喜ぶものね。大人しく帰って、部屋でライラに今日のスヴェンとの攻防戦を話そうっと。ライラもスヴェンの話は聞きたいだろうしね。
使者としてスヴェンが来た話をした時も懐かしそうな顔をしていたライラを思い出すと、早く話したくなって私は乗り合い馬車に乗りそそくさと王宮へ戻る。
この半年、もう何度も抜け出しているので、王宮内を素顔を晒して何食わぬ顔で歩くのも慣れたものだ。
ライラの部屋への出入りだけは毎回慎重に行い、街歩き用のワンピースから侍女服に着替え、自室の窓のあるところへ向かう。
小さな石を窓へ投げると、コツンと鳴った音に反応して、すぐさまライラが窓の中からロープと手袋を落としてくれる。
それを使って2階まで登り、窓から部屋の中へと滑り込んだ。
「いつもありがとう、ライラ。今日は早く戻ったのよ。ライラにスヴェンの話をしたくって」
「…………」
「スヴェンったらいきなり思いもよらないことを言い出すものだから本当驚いたわ。ね、気になるでしょう?」
「…………」
部屋に到着するなり、私はライラに笑顔を向けて話し掛けたのだが、なぜかライラは黙ったままだ。
いつもなら呆れながら小言を漏らすなり、楽しそうに話に乗ってくるなりするはずなのに。
明らかに不自然なライラに、私は首を傾げて、注意深くライラを観察してみる。
王女らしい華やかなドレスに身を包み、ベールで顔を隠したライラは、一見するといつも通りの影武者姿だったのだが、よくよく見ればなぜか小刻みに体が震えているようだった。
「ライラ? 震えているようだけど寒いの? 具合でも悪い……?」
「………アリシア様、申し訳ありません」
絞り出すようにライラから発せられたのはなぜか謝罪の言葉だ。
全く訳が分からず、状況が読み込めない私はただ尋ねるしかない。
「どうしたの、ライラ? 具合が悪くても私に謝る必要なんてないのよ? それとも何か別のことを言っているの……?」
「……とりあえず、そのままこちらにお越しください。それでお分かり頂けます」
ライラはそれ以上語らず、今いる寝室から応接間の方へ私を促す。
なぜ応接間へ?という問いは、震えながらあまりにも身を縮めて恐怖しているような雰囲気のライラに聞けなかった。
信頼をおくライラに言われるがままにそちらへ向かった私は、応接間の扉を開けた瞬間、全身が金縛りにあったかのように固まってしまった。
なぜなら、無人のはずのその場に人がいたからだ。
しかも《《両方の私》》をよく知る人物が。
その人物はソファーから立ち上がると、艶めくような黒髪をわずかになびかせ、こちらへ歩いてくる。
スラリとした長身が私の目の前で立ち止まり、真紅色の瞳が私を見下ろした。
「やっと正体が分かりましたよ。訳アリ貴族のシア。……いいえ、アリシア・リズベルト様?」
形の良い唇から紡がれた言葉は、もう何もかもを察したようなものだ。
……ああ、バレてしまったのね……。
どういう経緯があったのかは分からないが、彼は知ってしまったのだろう。
そして影武者を務めるライラは事実が明るみになってしまったことに酷く怯えているに違いない。
そう悟った私は観念するかのように肩の力を抜くと、彼の完璧に整った顔を見つめた。
王女アリシアとして、彼をこんなふうに見上げるのは初めてではないだろうか。
いつも彼は臣下の姿勢を保っていたから、私を見下ろすようなことはなかったのだ。
「ロイド……」
「さぁ、どういうことか説明頂けますね?」
「ええ、分かったわ」
ベールを脱いだ素顔の王女アリシアの状態で、私はロイドと初めて向き合う。
そして、これまでのことを素直に白状する覚悟を決めたのだった。