15. リズベルト王国からの使者
早いもので、いつの間にかユルラシア王国に来てから半年が過ぎていた。
この半年を振り返ってみれば、実に充実したものだったと言えるだろう。
人質として基本的に部屋に引き篭もりながら、こっそり王宮を抜け出して、城下町を散策したり、アルバイトをしたり。
最近では私が作った薬を数種類フォルトゥナに置いて販売してもらっていて、これがちょっとした稼ぎにもなっている。
売れ筋は傷薬や風邪薬、痛み止めなどの前世でいう常備薬の類のものだ。
最初はアルバイトをしている時に常連さんが最近頭痛が酷いと困っていたから、痛み止めを作って提供してあげたのだが、これが評判になった。
口コミで広まって他の人からも欲しいと申し出が続々とあり、フォルトゥナに置いてもらうことになったのだった。
酒場と薬ってどうなの?と思ったのだが、飲みに来た人がついでに薬を買って行ったり、逆に薬目的で来た人がついでに食事をして行ったりと、”ついで”需要が意外とあるらしい。
こんなふうにフォルトゥナを軸足に動いていたら、どんどん城下町の中でも知り合いが増え、今や顔見知りの平民は多くなった。
そんな平民の中にいると様々な噂話が自然と耳に入ってくる。
今話題の人と言えば、ダントツでロイドだった。
ロイドはここ数ヶ月の間で、王都内の各所で経済的に困窮している人に対して炊き出しを実施したのだ。
これにより城下町でよく目にするようになっていた浮浪者が減り、治安が少しずつ改善されていた。
これを肌で感じているのがまさに城下町に住む平民たちで、彼らは対策を講じてくれたロイドに深く感謝しているのだ。
一応王家の名で実施されてはいたのだが、実際は誰が指揮をとっているのかは火を見るより明らかで、ロイドの評判は鰻上りである。
私自身もロイドにはとても感心したものだ。
なにしろあんな雑談のように話したことを、その場で終わらさずに実情に即した形で実行したのだから。
しかもその話をした時の私は王女アリシアではなく、訳アリ貴族で平民のふりをしているシアの姿の時だったのだ。
戯言だと切り捨てて然るべきなのに、ロイドは柔軟に受け入れて参考にしたらしい。
……身分の高さを振りかざすのではなく、身分が高いからこそできることをする姿勢は本当にすごいと思うわ。疲労回復薬を提供して以来、体調も良さそうだし、少しは私も貢献できたかしら。
ロイドは相変わらず、3日に1回の頻度で私のもとにやって来てくれている。
その時に見る顔色が悪くないことに私は毎回ホッとした気分になっていた。
そんな日々を送っていたある日のことだ。
ライラに紅茶を淹れてもらい、いつものように部屋に籠ってのんびり過ごしていたら、扉前にいる護衛から来客の旨が伝えられた。
この部屋に来るのは基本的にロイドだけだ。
だが今日はロイドが来る日ではないため不思議に思っていると、護衛のもとに用件を聞きに行っていたライラが戻って来た。
「どなたなの?」
「王太子様の側近のアラン様です。お急ぎのご用件があるそうですが、いかがされますか?」
「なにかしらね? お急ぎなのだから応接間にお通ししてちょうだい。私もベールを付けたらすぐにそちらに行くわ」
「分かりました」
ライラが入口に向かいアランを案内している間に、私は部屋では付けていないベールを装着して顔を隠す。
服装はこのままでも人に会える状態だったため、特に着替える必要がないのは幸いだった。
ベールだけ付け準備が完了すると、私は応接間に向かう。
ソファーにはアランが座っていて、ライラから提供された紅茶に口をつけているところだった。
「アリシア王女殿下、ご無沙汰いたしております。お変わりございませんか? 急な訪問申し訳ありません」
アランは私が現れるとその場に立ち上がり、臣下の礼をとる。
彼に会うのはこの国に来た最初の日の後、片手で数えるくらいだ。
ただ、ロイドとは親しい間柄らしく、よくロイドの話に名前が出てくるので、なんとなくもっと会っているような感覚があった。
「久しぶりね。私は相変わらず申し訳ないくらいのんびり過ごさせてもらっているわ。ところで急ぎの用件と聞いのだけど何かしら?」
「本来ロイドが連絡係として伺うべきでしたが、今は彼が不在ですので私が代わりにまいりました。実はアリシア王女殿下の祖国であるリズベルト王国から先程使者が到着いたしました。その使者がぜひアリシア王女殿下にお目にかかりたいとのことでして」
「リズベルト王国からの使者? でも私が自国の人間と自由に会うことは許されるの?」
どうやら使者は同盟に伴う資源の提供の件で、リズベルト王国の国王からの書簡を持って来たらしい。
国王の書簡を託されるくらいだから、そこそこの身分の者が来ているはずで、そんな人物と人質である私が自由に会えるとは思えない。
情報漏洩や陰謀の企みなどの可能性だってなくはないのだ。
もちろん私はそんなこと一切するつもりはないのだけど。
「ご懸念の通りですが、私からエドワード様に確認しましたところ、監視付きであれば面会は許可が下りました。いかがされますか? お会いになりますか?」
「ちなみに使者はどなた?」
リズベルト王国の人間で私に会いたいという貴族にほとんど心当たりがない。
となると、何か厄介ごとに巻き込もうとして会いたいと言っている可能性がある。
……こっそり密書を渡されて何かお父様から命令を出されたら堪らないわ。資源提供の条件が厳しいからエドワード殿下を誘惑して籠絡しろとか言ってきそうだものね。
ありえそうなことを頭の中でツラツラと考えていた私だったが、アランの口から発せられた人物の名前を聞くと、即座にその可能性をポイっと投げ捨てた。
なぜならその人物は私に会いたいと本心で言ってくれるだろう数少ないリズベルト王国の貴族だったからだ。
「ぜひ会いたいわ! いつかしら? 今から?」
「はい。使者は王宮本殿の謁見の間の控え室にいらっしゃいますので、こちらの離宮の庭にお連れします。アリシア王女殿下は庭でお待ち頂けますか? 監視として私が立ち会いさせて頂きます」
「分かったわ。では庭に行きましょうか」
アランは近くにいる彼の従者に使者を連れてくるよう言付けると、私に続いて庭へと進む。
本殿の庭ほどの華やかさはないが、ささやかながらも花が咲いていて手入れされた庭でアランとともに待っていると、しばらくして従者に案内された1人の男性の姿が現れた。
鍛えられて引き締まった体つきの長身のその男性は、私の姿を目に入れると、強面の顔を瞬時に破顔した。
「アリシア様……!」
感極まったように私の名前を口にして、一直線にこちらへ向かってくる。
私のすぐ近くにいるアランはこの強面の男性の豹変ぶりに驚いたようで目を見開いていた。
使者として対面した時は、おそらくピクリとも笑わず見た目通りの態度だったのだろう。
「スヴェン、久しぶりね。相変わらずのようね」
私はそんなスヴェンの姿がありありと想像できて、思わず小さく笑いを溢しながら彼を見上げた。
スヴェンは顔立ちが怖いだけでなく、他者に対していつも堅い態度なのだが、昔から私にだけは優しい。
尻尾をぶんぶん振る大型犬のように見えるから不思議だ。
「でもスヴェンが使者だなんて驚いたわ。だって普通は文官側近が来るものでしょう? スヴェンは武官だし、騎士団の副団長なのに。何か事情でもあったの?」
そう、これだから私はまさか使者がスヴェンだとは思いもしなかったのだ。
侯爵家の嫡男で騎士団の副団長を務めるスヴェンは私の幼なじみなのだが、不義の子として虐げられる私とも普通に接してくれた数少ない貴族だった。
私の素顔を知る人物でもあり、実は王宮をこっそり抜け出す時にいつも護衛を務めてくれていた。
そして私に護身術を教え込んでくれた人でもある。
私からの問いかけに答えようとしたスヴェンは、すぐ近くにいるアランに一瞬視線を向けた。
それでこの会話が監視下に置かれることを察したのだろう。
言葉を選ぶように口を開く。
「もちろんアリシア様にお目にかかりたかったからですよ。使者の権利を勝ち取ってここに参りました」
「あら、そうなの? でもその甲斐あって久しぶりに会えて嬉しいわ」
「私もお会いできて嬉しいです。……ただ、私はアリシア様に謝りたいこともあるのです」
「謝りたいこと?」
そう言われても私には全く心当たりはなかった。
むしろ教えてくれた護身術が実践で役に立ったことを報告してお礼を言いたいくらいだ。
スヴェンはそんな私の気持ちとは裏腹に、悔しげに一度目を伏せ、それから再び私を見た。
「……あの時、あの戦争に負けなければ、アリシア様がユルラシア王国に行くことにはならなかったのに……と悔やんでいます。その、今のご状況は存じています。だからこそ、あの場で指揮官の1人として戦った身として謝罪したいのです」
言葉を濁して”今の状況”とスヴェンは言ったが、おそらくこの人質生活およびお飾り妃になることが確定した婚姻を指しているのだろう。
それをあの戦争の場にいた当事者としてスヴェンは責任を感じているようだった。
「スヴェンが気に病むことではないわ。むしろあの戦争から無事に帰ってきてくれて本当に良かったと思っているの。私はスヴェンの帰還前にリズベルト王国を発ったから心配してたのよ。それに今の生活は悪くないのよ? とても恵まれていて満足しているわ」
「満足、ですか……?」
「ええ、リズベルト王国にいた時と同じように自分の部屋に籠って好きなようにさせてもらっているの」
「同じように、部屋に籠って好きなように……」
スヴェンは私の言葉をつぶやくように復唱し、チラリと私が顔を隠すために付けているベールを見た。
それで大体のことを察したのだろう。
「アリシア様も相変わらずでいらっしゃるのですね。部屋に籠って、侍女が王都の城下町で体験してきた話を聞くのを楽しみにしているのですか?」
(訳: 相変わらず、侍女になりすまして王宮を抜け出して城下町に行っているのですか?)
「ええ、そうよ。この国の城下町は興味深いところでね、侍女の話を聞くのはとても楽しいのよ?」
(訳: そうよ。この国でも城下町で色々楽しみを見つけたのよ)
監視役としてアランが耳を傾けているから、私たちは私たちにしか分からない表現で話をする。
きっとアランには私がきちんと人質として部屋に籠った生活をしていて、なおかつ今の生活に満足していると伝わっていることだろう。
「それは良かったです。私もぜひその興味深いこの国の城下町を訪れてみたいものです。実はまだユルラシア王国からの書簡の返答を待つためにこの国にしばらく滞在いたします。なので、せっかくなので城下町に行ってみようと思うのですが、アリシア様は侍女の話を聞いてどこがおすすめですか?」
(訳: しばらくこの国にいます。その間に城下町でお会いしたい。どこに行けば良いですか?)
その言葉に一瞬口ごもる。
本来人質として部屋に籠っているはずの私が王宮を抜け出した先で自国の貴族とこっそり会うのは許されることだろうかと躊躇した。
陰謀の企てをするなどやましいことをする気はスヴェンも毛頭ないのだろうが、やましいことをしているような気分になりそうだと思ったのだ。
「私はあの戦争に行く前に自国で城下町に最後に訪れずに後悔したのです。なので、今回はわざわざ遠路はるばるこの国に来たので、ぜひこの国の城下町に訪れてみたいと思っています」
(訳: このままアリシア様に会えずに自国に帰ったら後悔しそうです。お願いします、会ってください)
かなり遠回しな表現で言葉を交わしていたが、スヴェンの言わんとすることは私には分かった。
彼の言葉の端々からはいまだに私がこの国に来ることになったことへの後悔が滲んでいるように感じる。
……一度ちゃんと会って率直な言葉で会話した方がいいかもしれないわね。このままだとスヴェンがずっと気に病んでいそうだもの。
「分かったわ。そうね、侍女の話によると、フォルトゥナという名前の酒場が城下町で話題になっているみたいよ。私も叶うものならぜひ一度行ってみたいと思ったからおすすめよ。酒場だけど昼営業もしているらしくて、その時間帯が穴場らしいわ」
(訳: フォルトゥナという酒場で落ち合いましょう。時間は昼営業の時間ね)
「なるほど、それは気になりますね。ぜひ伺ってみます。私はおそらく1週間ほど滞在するので、いつでも行く時間は取れそうです」
(訳: 分かりました。そこに伺います。1週間ほど滞在しますが日程はいつにしますか? 私はいつでも大丈夫です)
「スヴェンが城下町を散策する日が天候にも恵まれるといいわね。そういえば2、3日後は天気が良さそうだと耳にしたような気がするわ。本当かは分からないけれど」
(訳: 2日後か、3日後になると思うわ)
「そうですか。天候ばかりは運頼みな部分がありますからね。天気が良いのを祈るばかりです」
(訳: 分かりました。何事もなく、お会いできることを心から願っております)
私たちは表面上はなんともない世間話の会話を繰り広げていたため、特に周囲から怪しまれるようなことはなかったようだ。
時間にして数分くらいの短い面会は終了し、スヴェンは私に深々と頭を下げると、従者に従って去って行った。
「アリシア様はずいぶんと使者であるリズベルト王国騎士団の副団長とは親しいのですね」
スヴェンが見えなくなると、その場に残ったアランが私に声をかけたきた。
怪訝に思っているという雰囲気ではなく、ただ単に感想を口にしたという感じだった。
よほどスヴェンの態度の落差に驚いたのだろう。
「ええ。スヴェンは幼少期からの付き合いなの」
「なるほど。私とロイドみたいな関係性ということですね。それにしてもアリシア様は城下町のことにご興味がおありなのですね」
「侍女からいつも話を聞いているし、興味はあるわ。あとロイドも色々教えてくれるのよ?」
「ロイドがですか?」
「そうよ。ロイドって優秀な教育係みたいよね? なんでも知っているし、教え方も上手だからいつも助かっているわ」
「そう、ですか……?」
私がそうロイドを称賛すると、アランは腑に落ちないと言うようにわずかに首を傾げた。
こっちこそアランのその態度に引っ掛かりを覚える。
私たちはお互いに不思議なものを見るような目を向け合っていたのだが、アランに次の予定が迫っていたため、それ以上突っ込むことはなく、その場を解散した。
私は部屋に戻り、ライラを呼び寄せると、スヴェンに会ったことや、2日後か3日後に城下町で会う予定であることを話す。
もちろんライラもスヴェンのことはよく知っているので、彼の名前を聞いて懐かしそうな顔を見せた。
「では、次に王宮を抜け出される際は前みたいにスヴェン様の護衛付きということですね。それは私としても安心です」
「次回だけよ。どうもスヴェンは私がこの国でこうしていることに責任を感じているみたいだから、会って監視下のない状態できちんと話してくるわ。前よりマシだって」
「はい。私はスヴェン様のお気持ちも分かります。きっと直接アリシア様とお話になればスヴェン様も少しは心が落ち着かれるでしょう」
ライラと話し合って、ライラの勤務状況とロイドの訪問日を鑑み、次回は2日後に王宮を抜け出すことに決まった。
あの取り繕った会話でスヴェンと意思疎通はできていたと感じたけど、本当に伝わっているだろうか。
それにスヴェンがなんだか思い詰めている様子だったのが心配だ。
一抹の不安を感じつつ、私は2日後に予定通り王宮を抜け出して、指定したフォルトゥナへと向かった。