14. 2人の例外(Sideロイド)
「ロイド、よく来たな。待ち侘びていたぞ。それで例のモノは手に入ったのか?」
事前に先触れを出していたこともあり、離宮に着くとすぐにエドワード様のいる部屋へ通された。
今日はそこに側妃はおらず、エドワード様お一人のようだった。
聞けば、側妃はお疲れのため別の部屋でお休み中だという。
どうやら2人して疲労回復薬を心待ちにしていたようだ。
「ええ、入手しました。エドワード様がおっしゃっていたアドレリンを配合したモノよりも効果がある疲労回復薬です」
「なに、そんなものがあるのか!」
「はい。こちらです。粉末状のため水や湯に溶かして飲用ください。即効性があるので疲労を感じられている時に飲むと良いそうです」
エドワード様の背後に控える従者に疲労回復薬の瓶を手渡しながら、私はシアから聞いた説明を伝える。
エドワード様はさっそく受け取った疲労回復薬を従者に命じて、別の部屋にいる側妃へ届けさせているようだった。
これで依頼を受けていた件も片付き、用件は済んだ。
御前を辞そうと挨拶をしかけたところ、そこでエドワード様に止められた。
エドワード様の方からまだ何か話があるらしい。
また何か面倒ごとではないかと眉を顰めたくなったが、掛けられた言葉は想像とは違うものだった。
「最近あの王女はどうだ? 定期的に訪問して適当にご機嫌伺いしてるのか?」
エドワード様の口からアリシア様の話題が飛び出すのは、アリシア様が来国した時以来のことだった。
気を配る気はないと堂々と宣言した言葉通り、エドワード様は全く関心を持たず放置していて、アリシア様をいない者として扱っていた。
……なのに、いきなりどうしたというのだろうか? この質問の意図はなんだ?
エドワード様の真意が見えず、なんと返答すべきか慎重になってしまう。
アリシア様の不利になるような事態にはしたくないという心理が無意識に働いた。
「……ええ、連絡係を命じられましたので、定期的に訪問して何かお困り事がないかなどお伺いしておりますが……?」
「ふん。そうか。それで調子に乗ったのかもしれないな。人質として憐れに過ごすことにせめてもの情けとしてロイドを遣わしたのが、それが間違いだったかもしれない。もうあんな女の機嫌なんぞ取らなくて良い」
エドワード様の表情からはアリシア様を憎々しく思う様子が見てとれ、不穏な空気が漂っている。
明らかにエドワード様はアリシア様に対して突然態度を硬化させていた。
だが、“調子に乗る” というアリシア様からは程遠い言葉に首を傾げざるを得ない。
……むしろアリシア様ほどその言葉が似合わない人はいないと思うが。無欲すぎて心配になるくらいだというのに。
「……いきなりどうされたのですか?」
私が内心疑問を抱えながらエドワード様に問いかけると、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにエドワード様は語り出した。
「実は一昨日マティルデがあの王女と王宮本殿の庭で出くわしたらしくてな。その時大層嫌な思いをさせられたらしい。マティルデがそんな目に遭うなど、あの王女が調子に乗っているからに違いない! 私の寵愛が得られないからと嫉妬してマティルデを貶めるなど許せることではない!」
鼻息荒く言い募るエドワード様とは反対に、私はどんどん自分の心が冷えていくのを感じた。
聞いているだけで馬鹿らしい話だと思ったのだ。
婚約者に蔑ろにされる今の生活ですら恵まれていて幸せだと笑うアリシア様が、嫉妬して側妃に辛く当たるとは考えられない。
嫉妬どころか、アリシア様は国の安泰のために側妃に早くお子が産まれることまで願っていたのだ。
「……アリシア様が、マティルデ様を貶めたのですか? 具体的に何とおっしゃったのです?」
「そんなことは知らん。マティルデが不快な思いをしたというだけで罪深いではないか! 隣国の王女で婚約者ではあるが、実質ただの人質だというのに思い上がられてはこの先が思いやられる。だからロイド、もう前に命じたことはナシだ。ご機嫌取りの連絡係はしなくていい。大人しくしていろと警告して、その後は放置しておけ」
エドワード様の言葉は完全に側妃の言い分だけに基づいたものだった。
おそらく側妃は相当に話を盛っているか、わざとアリシア様の悪口を吹き込んだに違いない。
……アリシア様は側妃に対面するのが初めてだったはず。アリシア様の方こそ嫌な思いをさせられたんじゃないか? 大丈夫だろうか?
エドワード様の話を聞いて私が考えるのはアリシア様のことばかりだった。
たとえエドワード様から連絡係の任務を解かれて放置を命じられても、全くその気はなかった。
初めてエドワード様の命に従いたくないという気持ちが湧いてくる。
「……伝えておきます」
だから私は命令を肯定する言葉は避け、あくまで伝えておくという事だけを返答すると、そのまま挨拶をして足早にその場を立ち去った。
側妃の離宮を出た私がその足で向かう先はアリシア様のもとだ。
いつもより時間は早いが、今日はもともと予定していた訪問日だった。
お茶の時間まで待って訪問すべきかもしれないが、あの話を聞いた後ということもあり、とても悠長に構えている気分ではなかった。
嫌な思いをしてアリシア様が傷ついているかもしれないと思うと、一刻も早く会って大丈夫かこの目で確認したいと思ったのだ。
いつもの時間より早い訪問に、扉の前の護衛から取り継がれた侍女はやや驚いていたが、拒否をされることはなかった。
応接間に通されソファーに腰掛けると、少し遅れてアリシア様が現れる。
いつもはアリシア様が先に座って私を待っているため、逆のシチュエーションがなんだか新鮮だった。
「お待たせしてごめんなさい。いつもより時間が早かったから準備が整ってなかったの」
「いえ、こちらが早く来てしまったので」
アリシア様は急いで身支度を整えてくれたのだろう。
慌てていたのか普段付けているベールが少し傾いていて、僅かに唇が覗いていた。
いつも顔全体にかかるようにベールを覆っていて全くその顔は窺い知れないため、チラリと見える部分に思わず目が吸い寄せられる。
柔らかそうな赤い唇に見入っていると、その形の良い唇が動き言葉を紡ぎ出す。
「なにかあったの?」
その口調は私を心配するような響きがあった。
いつもと違う行動を取った私に何か起こったのではと気に掛けてくれているのだろう。
「私には何もありませんよ。ご心配には及びません。アリシア様こそ大丈夫ですか?」
「えっ、私?」
アリシア様はなんのことか分からないというふうに小首を傾げる。
全く心当たりがなさそうな雰囲気を感じ、私は先程エドワード様から聞いた話を切り出した。
「一昨日、側妃のマティルデ様と偶然遭遇されたと聞きました。初めてお会いになったと思いますが大丈夫です? 嫌な思いなどされませんでしたか?」
「ああ、そのことね」
言われて思い出したという様子でアリシア様は明るいあっけらかんとした声を上げる。
その声は至っていつも通りのものだ。
「そうなのよ。偶然会ったの。でも別に嫌な思いなんてしてないわよ?」
「どんなことをお話になったんです?」
「大したことは話してないけど……そうね、強いて言うならいかにエドワード殿下がマティルデ様を寵愛されているかを伺ったという感じかしら? 片時も離さずずっとマティルデ様の離宮にいらっしゃるんでしょう?」
「……それをマティルデ様から聞かされたのですか?」
「ええ、そうよ。嬉しそうに語ってくださったわよ?」
自分の婚約者に放置され、その婚約者の側妃から寵愛具合を聞かされるなんて、かなり堪えることではないのだろうか。
話を聞く限り、マティルデ様の方こそ寵愛を盾に、自分より身分の高いアリシア様を貶めているように感じる。
「……その話を聞いてアリシア様はなにも思うところはなかったんですか?」
「それは嫉妬しなかったのか、とかそういう意味? それなら全くよ。仲睦まじくて素敵だと思うわ。これからも仲良くどうぞってお伝えしたくらいだもの」
アリシア様に取り繕っている様子はなく、本当に心からそう思っているのだろう。
それは発する雰囲気から察せられたし、唇にも緩やかに笑みが浮かんでいる。
「ただね、マティルデ様の側を離れないってことは政務も放棄しているってことでしょう? そこが心配になったわ。この国の未来は大丈夫かしら……って。それにロイドに負担がかかっていそうで心配になったのだけど大丈夫なの?」
続けてアリシア様が口にした心配事は、自分自身のことではなく、国と私のことだった。
……アリシア様にはエドワード様の状況を伏せていたのに、側妃の言葉から察するに至るとはやはり聡明な方だな。それに私のことまで。
アリシア様が傷ついたのではと心配して来たというのに、逆に心配されている。
アリシア様といい、あの訳アリ貴族のシアといい、ここ最近人から心配されてばかりだ。
女から口先だけで気遣う言葉を掛けられることはあるが、それは私に近づくためであったり、何か見返りを求めるためであったりと、欲深い女たちの計算高い言動の一つにすぎない。
それらとは明らかに異なり、純粋に心から発せられる言葉は実に心地よく嬉しく感じた。
……なぜアリシア様の言葉はこんなにいちいち私の感情を揺さぶるのだろうか。
いや、でもアリシア様だけではない。
あのシアという女から気遣われた時も他の女とは異なり、不快ではなかったのだ。
……女嫌いが軟化しているのかもしれないな。
今まで一律にどんな女も苦手で、近寄って来られるのも嫌だった自分に例外が2人も現れたのだ。
つまりはそういうことではないだろうか。
私はとりあえずアリシア様が傷ついたりしていなかったことに胸を撫で下ろすと同時に、自分の変化の理由を自分なりに導き出したのであった。