10. 不思議な町娘(Sideロイド)
……ダメだ。執務室にいると色々考えてしまって頭が痛くなる。
エドワード様への報告を終えた日から数日、積み上がる書類を前に私は頭を悩ませていた。
北での反乱の火種は徐々に大きくなりつつあり、最近では王都でも王家への不満を口にする者が増えてきたと次々に報告があがってくる。
そんな動向を掴んでいるというのに、他ならぬ王家から「放っておけ」と厳命を受けているから動きようがない。
危機感を募らせているのは私とアランくらいで、エドワード様を始め、他の側近たちも我関せずの姿勢だった。
こういうことは芽が小さなうちに摘んでおくに限るのだが、動きづらい状況になんとも歯痒い思いだ。
……気分転換がてら、今日は外に出るか。そういえばすっかり放置していたが、エドワード様からの頼まれ事もあったな。
例の疲労回復薬のことだ。
変なところで神経質なエドワード様から、人に頼むのではなく私自らが手に入れて来いと言われている。
さっさと済ませてしまおうと思い立ち、私は城下町へ向かうことにした。
久しぶりに来た城下町は、一見したところ以前と変わっておらず華やかで活気がある。
だが、一本小道に外れるとガラの悪い輩や物乞いをする者の姿も見受けられ、以前より治安が悪化している事実を肌で感じた。
……このことも本格的に深刻化して民の生活に影響が出る前になんとかしたいが……。
また歯痒さを感じる。
私は王位継承権第2位ではあるのだが、エドワード様という正統な後継者がいるため形式的な立場だ。
父が王弟のため王家の血が流れてはいるものの、あくまでも王家に仕える臣下の身であり王族ではない。
それゆえ私の力が及ぶ範囲は限られており、王族の意向や決断に従うほかなかった。
堪らず「はぁ」と小さくため息をこぼし、私は城下町を歩いて回った。
……それにしても薬師の店はどこにあるんだ?エドワード様の情報はかなり大雑把だったからな。
城下町にあるということしか分からない現状、むやみやたらに探すのも非効率だ。
とりあえず平民の多いエリアに足を運ぶかと考えたところで、ふと最近話題になっているという酒場の存在を思い出す。
確か『フォルトゥナ』という名で最近昼営業も始めた店だったはずだ。
……そういえばアリシア様もずいぶん興味を寄せていたようだったな。
人が集まる場であれば情報を得るにはちょうど良いかもしれない。
それに実際に行って自分の目で見ればアリシア様に話せるネタにもなるだろう。
そう思った私は珍しい手法で集客して人気を博しているその酒場に行ってみることにした。
初めて訪れたその店は、いかにも平民向けの大衆酒場という様相だった。
私の護衛に付いていた騎士は「こんな店にロイド様が行くのですか⁉︎」と最初驚いていたが、今は黙って私の背後に控え任務についている。
明らかに貴族だと分かる私に動揺した店員に案内されテーブルに付き、私は店のおすすめだというスープとパンを注文した。
待っている間に周囲を観察してみると、昼のピークを過ぎ落ち着いてきた頃だったからか、広くはない店内に客は半分くらいだ。
この時間帯にこれだけいれば客入りは良い方だろう。
客はやはり平民ばかりのようで、皆が私の存在に緊張をまとっているのを感じた。
貴族とは分かっても私が誰かを認識する者はいないようだ。
そんな中、私の目はふと1人の女に釘付けになった。
なぜならその女はこの中において明らかに異質だったからだ。
どうやら店員の1人のようで、ハニーブロンドの髪に青い瞳の整った顔立ちの女だったのだが、私が気になったのはその容姿の良さではない。
平民のはずなのに、やけにキレイな肌をしており、髪も手入れされたような艶があるし、姿勢も良く、わざと崩した所作をして周りに馴染ませているように見えた。
……訳アリ貴族か? 明らかに普通の平民ではないだろうな。
そんな感想を持ったが、その時はただそれだけで、注文していた料理が運ばれてくるとすぐに意識は逸れた。
提供されたスープは思ったよりも味が良く、正直期待以上だった。
平民の店も捨てたものじゃないなと思いつつ食事を終え、例の”チュウセン”を体験する。
当たったのは「次回ビール1杯無料券」というものだった。
……なるほど、この券を使うためにまた来店するという仕組みか。固定客になりやすい仕掛けだな。
会計をしながら私は店員の女に尋ねてみる。
「この”チュウセン”や”半額クーポン”という仕組みはお前が考えたのか?」
「い、いえ! と、とんでもありません……! これはある方が助言してくださって!」
「ある方?」
「えっと、その、今日も店員として手伝ってくださってる方です!」
女がチラリと視線を向ける先を追うと、先程の訳アリ貴族だと思われる女だった。
どうやら彼女が発案者のようだ。
このような策が思い付くとはなかなか聡明な女なのだろう。
「ところで、城下町でよく効く薬を売っている店を知らないか? 腕の良い平民の薬師だと聞いたのだか」
「も、申し訳ありません……! 私は特に心当たりがございません! お力になれず誠に申し訳ありません!」
何か薬の件も情報を得られないかと最後に尋ねてみたのだが、残念ながら空振りだった。
土下座しそうな勢いで謝罪されたため、私はさっさと会計を済ませて店を出た。
有力な情報はなかったが、思った以上に食事は美味かったからアリシア様に話すネタにはなりそうだ。
その後は馴染みの店に顔を出し情報収集をしたのだが、思わしいものは得られなかった。
薬屋自体はいくつかあったので訪れてみるも、エドワード様が言っていたアドレリンという薬草を煎じた疲労回復薬はないのだ。
アドレリンという薬草すら知らない薬師も多い有り様だった。
……エドワード様は一体誰から聞いたんだ? ガセ情報ではないだろうか。
空は分厚い雲に覆われ天候も悪くなってきており、もう王宮へ戻ろうかと半ば諦めていた頃、私は何気なく大通りから外れた小道に視線を向けた。
そこは城下町に到着した時にガラの悪い輩がいて気になった場所だった。
すると、その道の奥の方で女が数人の男に囲まれているのが目に飛び込んできた。
その様子に陳述書の内容を思い出す。
城下町で多発している人攫いの状況に酷似しているように感じたのだ。
「そこで何をやっている」
小道に足を向け男たちに向かって声を投げかければ、5人いる男のうち3人がこちらへ勢い良く突っ込んでくる。
私にも武術の心得があるし、こちらには騎士もいたので制圧は余裕だった。
手早く片付け男たちの確保を騎士に任せると、私は女を囲んでいる残りの男2人の方へ向かった。
「大丈夫か?」
女の身が危ないのではと声をかけ近寄ってみると、すでに男2人は地面にのされていて、女が1人で佇んでいた。
思わぬ事態に女を凝視してしまったのだが、同時にその女が先程酒場にいたあの訳アリ貴族だと思われる女であることに気付いた。
「……この2人はお前がやったのか?」
「ええ、私がやりました。護身術の心得があるので。たださすがに男5人の相手は無理だったので助かりました。助けて頂きありがとうございました」
アッサリと自分がやったと述べる女にこの事態の事情聴取をすると、やはり例の人攫いであったことが分かった。
男たちの人相をよく見れば目撃情報にあったものとも合致する。
護衛の騎士に人攫い犯である男たちの処理を命じ、私は再びまじまじと女に視線を向ける。
「……お前、フォルトゥナの店員か?」
「えっ?」
「昼に行ったんだが、あの場にいただろう?」
「はい。おっしゃる通りです。先程はご来店頂きありがとうございました」
そう問いかけ念のため確認すれば、女はそれを認めた。
やはりあの時目にした女で間違いなかった。
……訳アリ貴族風で、護身術の心得まであるこの不思議な女なら薬師のことももしかして知ってるかもな。
もうほぼ諦めていたのだが、王宮に帰る前に最後にダメ元で聞いてみるかと思い、私は今日何度となくした質問を女にも投げかけてみる。
すると女は「何の薬を探しているのか」と逆に問い返してきた。
私を貴族だと分かっているだろうに、この落ち着いた態度はやはり普通の平民ではない。
それに酒場では遠目に見ただけだったため、会話を交わすのは初めてだったのだが、この女が口を開くとどうしてもある人が頭にチラつく。
……このハニーブロンドの髪、そしてこの声のせいで、アリシア様を重ねてしまうな。
訳アリ貴族だと思われる町娘と、王女を重ねるなど不敬も甚だしいことは間違いない。
アリシア様は人質として今も王宮の自室で大人しくしているはずで、この女とは身分も立場も全く違う。
だというのに、アリシア様に似ている部分があるからか、つい気が緩んで私は聞かれたことに率直に答えてしまった。
「疲労回復薬だ。アドレリンという薬草を調合したものがこの辺りで手に入ると聞いた」
言葉が口をついて出た瞬間、この女にこんなに詳しく話す必要なかったと後悔が襲う。
どうせ言ったところで知らないだろうから余計な情報を漏らすべきではなかったのだ。
だが、ここで予想外のことが起こる。
「……アドレリン? アドレリンは貴重なわりに瞬間的な効果しかないから微妙よね。疲労回復薬ならレウテックスを調合したものの方が効果も持続性も高いはずだけど。調合も簡単だし……」
女が薬草のことを詳しく知っている口ぶりでボソリとつぶやいたのだ。
薬師でも知らない者がいる薬草のことを、さも当たり前のように知っていて、それよりも効果のある薬草さえ分かっているようだ。
……この女、何者なんだ? ただの平民ではないだろうが、ただの貴族でもなさそうだが。
「……お前、薬の心得があるのか?」
私は半ば確信がありつつも、わざと尋ねた。
女は誤魔化すように言葉を濁しながら視線を宙に向ける。
「調合されている薬草の名前を知っていたじゃないか。アドレリンなんて珍しい薬草なのに。しかもそれよりも効能がある薬草まで知っているようだし」
「その、以前知り合いから教えてもらったので少し知っているだけです」
「調合もできるのだろう? レウテックスなら簡単と漏らしていたしな」
詰めるように畳み掛ければ、ようやく観念したのか項垂れるように首を縦に振る。
やはり薬草を知るだけでなく、調合する技術まで身につけているようだ。
「あの、たとえ調合できたとしても、とても公爵様にご提供できるものでは……」
「へぇ、私が公爵だと知っているのか?」
「あっ……」
調合するのは勘弁して欲しいと言わんばかりにやんわり逃げようとした女は、そこで失言を漏らす。
……私を公爵だと認識しているとは、ただの平民ではないことは確定だな。貴族として会ったことがあるのかもしれない。だが、こんな不思議な女なら記憶に残っていそうなもんだが……。
いくら記憶を遡ってみても思い当たる貴族の女は思い浮かばない。
唯一脳裏をよぎるのはアリシア様だが、それはあり得ないことなので除外だ。
……まあ、この女がどこの貴族令嬢でも今はいい。これだけ手掛かりのなかった疲労回復薬を手に入れられそうなのだから、利用しない手はない。そろそろエドワード様からも催促されそうだしな。
そう冷静に判断を下した私は女に調合を頼んだ。
しばし考えていた女だったが、最終的には助けてもらったお礼だと引き受けてくれることになり、10日後に酒場で受け渡しが決定した。
シアと名乗ったその女とその場で別れ、王宮に戻り執務を片付け、公爵家の屋敷に戻った私は公爵家で雇っている密偵を呼び寄せる。
ある依頼をするためだ。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、一つ調べて欲しいことがある」
「はっ。承知しました。どのようなことで?」
「城下町の酒場『フォルトゥナ』で働いているシアという女の身元調査をして欲しい。おそらくどこかの貴族だと思うんだが」
「『フォルトゥナ』のシアですね。外見的な特徴はどのような者ですか?」
「髪はオレンジ色がかった金、目は青、身長はは平均くらいで細身、整った顔立ちの女だ。できれば10日以内である程度情報が集まっていると助かる」
「すぐに取り掛かります」
話が終わると、密偵の男は足音も立てずに出ていき、部屋には静寂が訪れた。
……さて、あの女は何者なのか。楽しみだな。
私はグラスに琥珀色の酒を注ぎ入れ、ゆっくりと口に含みながら、口角に笑みを浮かべた。