09. 不可解な自分(Sideロイド)
「ロイド、聞いた? 北の方の貴族の動きが怪しいらしいね。王家への不満を述べて、同じように感じてる者たちで集まりを開いてるんだってさ」
「ああ、密偵から報告は受けている。どうやらノランド辺境伯が中心になっているみたいだな。リズベルト王国との戦争で一番功績があるのに蔑ろにされたとを根に持っているみたいだ」
「まあ、あの戦争直後に王妃様が亡くなって、陛下も静養に入ってしまって王宮が混乱に陥っていたからね。ノランド辺境伯の功労に十分報いていないだろうし不満に思うのは分からなくはないかも」
「反乱を扇動しそうな匂いがするな。早まらないで欲しいが……。この件はエドワード様にも火種があると報告しておくべきだろうな」
王太子の執務室で、主不在の中、アランと私は2人しかいないこの場でそれぞれの情報網を使って得た情報を共有していた。
リズベルト王国との同盟を結ぶことになったあの戦以降、国王の不在も相まって、様々な問題事項が顕在化してきていた。
その一つが今の会話である。
ユルラシア王国の北の方はちょうどリズベルト王国と面している境目であり、その土地を統治しているのがノランド辺境伯だ。
武闘派の貴族で、これまで戦の場で数々の戦果を上げてきた猛将だ。
王国内でもよく知られた人物で、40代の今も自ら先陣を切って戦う勇敢な姿に敬意と憧れを抱く若者も多い。
その実績ゆえに敵国と隣接する難しい土地を長年託されて辺境伯の任に就いているのだが、彼は先の戦いでもその期待に大きく応えた。
リズベルト王国から敗北宣言を引き出したのだから、長年の諍いを終結させた大功績だろう。
……だというのに、王家がきちんと報いることができていないのは確かだ。ノランド辺境伯の人望は侮れないから、本格的に反乱を企てられたら厄介だ。やはりエドワード様に動いて頂くべきだろう。
そう結論付けながらも、エドワード様は事の深刻さを感じてくれるだろうかと一抹の不安を感じる。
しかしそれを今考えてもどうしようもないだろうと気付き、一旦棚に上げることにした。
処理すべき案件はまだまだ他にも山積みだ。
アランとの情報共有を終えた私は執務机に積み上がった陳述書を手に取り、目を通していく。
内容を確認して指示事項を書き込み、その対応を依頼する管轄へ振り分ける。
ものによってはエドワード様の決裁が必要なため、未決裁分として残しておく。
……だいぶ未決裁分が増えてきたな。さっきの件の報告もあるし、そろそろまとめて決裁を貰いに行くか。
私は従者に依頼し、明日のお茶の時間頃に訪問する旨を知らせる先触れをエドワード様に出してもらった。
本当は今日にでも伺いたいところだが、当日の訪問は側妃との時間が邪魔されたと言って不機嫌になることが目に見えているから避けたのだ。
明日までに可能な限り多くを処理してしまおうと引き続き陳述書に目を通していると、ある内容に目が留まった。
「またか……」
思わず口に出してつぶやいていた。
それは城下町を管理する代官から上ってきていたものだった。
「なに? どうかした?」
「また城下町で人攫いだそうだ。ここ最近頻発していて代官から報告が上ってきている」
「女性や子供が狙われてるやつかぁ。最近王都の治安も悪化してるよね……」
「ああ。なんとかしたいが、正直私たちも現状を維持するので手一杯だからな……」
アランと私は示し合わせたように同じタイミングでため息を吐き出す。
なんとか国王の不在を穴埋めするので現状精一杯なのを痛感しているのが私たちなのだ。
「明日エドワード様に諸々の報告と決裁を貰いに行くから、この件も伝えておいた方がいいだろうな」
「そうだね。王都の治安悪化はエドワード様のすぐ足元で起こっていることだから、実感してくださるといいけどね」
まったく頭を悩ませる問題ばかりだ。
疲れが全身に広がっていくのを感じながら、ふと時刻を確認すればもうお茶の時間を過ぎていた。
私は執務机から立ち上がり、部屋を出て王宮内の廊下を歩き出した。
行き先はアリシア様の部屋だ。
3日に1回の連絡係としての訪問の日だった。
いつもの時間より少し遅れて到着となったが、アリシア様はいつも通りに応接間のソファーで寛いでいた。
自分でも不思議なのだが、なぜか彼女の姿を目にした瞬間、先程まで感じていた疲れが和らいでいくような心地になる。
彼女に会えたことが嬉しい、そんな感情が自然と湧いてきてことに驚いた。
「顔色が優れないようだけど大丈夫?」
私が向かいのソファーに腰を下ろすやいなや、アリシア様は真っ先にそんな言葉を投げかけてきた。
ベールで顔は見えないのに、彼女が眉間に皺を寄せて心配そうにしている姿が容易に想像できた。
なんの打算もなく、ただ純粋に体を気遣ってくれているのを感じて胸が温かくなる。
こんな感覚は初めてのことだった。
「ねぇ、ロイドも忙しいのだから、こんなに頻繁にここに来てくれなくてもいいわよ? エドワード殿下への連絡も特にないもの。せめて頻度を減らすのはどうかしら?」
「……私が来るのは困りますか?」
自分でもよく分からない感覚続きでおかしくなっていたのだろうか。
訪問頻度を減らす提案をしてきたアリシア様に対し、私はなぜか自分らしくもないこんなセリフを無意識に発していた。
……なぜだ? ご機嫌伺い係なんて面倒ごとだと辟易としていたはずではないか。頻度を減らせるのなんて願ってもないことだというのに。
気付けば口にしていた自分自身の言葉に内心驚きを隠せない。
焦ったように困っているわけではないとアリシア様が説明をしてくれるのを聞くと、私は現状維持を決定付けてまた無意識にさっさとこの話を終わらせていた。
それにアリシア様が何気なく口走った「ロイドから色々教えてもらうことはとても楽しい」という言葉に、どうやら私は喜びを感じているようだった。
そんな自分の不思議な言動と心の動きに、自分自身がついて行けず困惑が訪れる。
……この前もアリシア様の無欲な発言の不可解さに戸惑ったばかりだというのに、今度は自分自身が不可解だとは。なぜだかアリシア様に会うとペースが崩れるな。
涼しい顔で何事もこなすため冷静沈着だと周囲に評される私はめったに自分のペースを乱すことはない。
だというのに、この事態は一体どういうことなのだろうか。
訪問頻度の話に決着がついた会話は、次にいつものように報告と質問の確認に移る。
今日は特に質問はないというアリシア様となんとなくもう少し話していたい気分になり、私は自分から話題を提供し出した。
「つい先日のことなんですが、ある酒場が独特な手法で一気に注目を集めて、今城下町で大変な人気になっているんですよ」
それは密偵から辺境伯の動向報告を受けた時に、合わせて王都城下町の目立った動きとして報告に上っていた情報だった。
その時は何気なく聞いていたのだが、そういえばアリシア様は城下町に興味をお持ちだったなとふと今思い出したのだ。
案の定、アリシア様は興味をそそられたようで、体が前のめりになっている。
分かりやすく反応するその姿に、不敬ながら可愛らしいと思ってしまった。
「そのお店の名前って……?」
具体的な店名まで知りたいと思うほど、興味関心があるらしい。
私はその店が仕掛けたという”半額クーポン”と“チュウセン”という手法について話した。
実際なかなかよく考えられた仕組みだと私も思うし、今までにない目新しさや斬新さは称賛に値する。
アリシア様もいたく感心したようで、なんとなくいつもより声が弾んでいるように感じた。
……アリシア様が喜んでいたり、楽しんでいたりすると、なぜだか私まで同じような気分になるな。ご機嫌伺い係としての任を全うできているからか?
そもそも任務とはいえ、女嫌いな私がこうして女性と普通の会話をしていること自体が珍しく、さらに言えば女性に対して可愛らしいと思うことなど異例だということにこの時の私は全く自分で気付いていなかった。
◇◇◇
翌日のお茶の時間、私は前日に先触れを出していた通り、エドワード様のもとを訪れる。
エドワード様のもとというのは、すなわち側妃のいる離宮だ。
通された部屋では、当たり前のように側妃のマティルデ様がエドワード様の横にいてしなだれかかっている。
「それでロイド、話とは何だ? 私はマティルデと過ごすのに忙しいのだ。手短に済ませてくれ」
まるでシッシッと追い払うような言い草だが、こんなことはいつものことだ。
次の言葉を口にするとまた嫌な顔をされるだろうと思いながらも私は提言する。
「……政務のことなので、マティルデ様には席を外して頂きたいのですが」
「構わぬではないか。マティルデは私の寵妃なのだから何を聞かれても問題ない」
「そうですわ。私のことは気になさらないで? 私とエドワード様は一心同体なのですから常にお側にいたいの」
さらに自分の体をエドワード様に押し付けるマティルデ様に、エドワード様は鼻の下を伸ばしてご満悦な様子だ。
……まったく、エドワード様はこの女の何が良いのだろうか。さっぱり分からない。
この側妃はまるでエドワード様だけを愛していると言わんばかりの態度なのだが、エドワード様が近くにいない時はそうではない。
なにしろ私にも色目を使ってくるのだから。
その上、自分の立場も弁えず、国の状況にも無関心で、王太子の寵妃ということだけを盾にただ贅沢な暮らしを享受している女なのだ。
欲に塗れた女は私の一番嫌いなタイプだ。
目の前で体を寄せ合う2人に冷めた目を向けてしまうのは止めようがなかった。
「……申し訳ありませんが、内密な話もありますので。どうかご理解ください」
「内密な話だとしても私は構わないが」
「……耳にされたマルティデ様がお辛い思いをされることになるかもしれませんよ?」
内密な話だと述べているにも関わらず渋るエドワード様に、私はあえてマルティデ様のためだと強調する。
それでようやく「それなら仕方ない」と同意を得られ、促されてマルティデ様が退室していく。
政務に関する内密な話だと言えばその機密性は言わずもがなだというのに、ここまで懇切丁寧に伝えなければ話も始められない現実に頭を抱えたくなった。
「それで、内密な話とは何だ?」
「実は反乱の動きがあります。ノランド辺境伯が王家に反感を持っていてどうやら人集めをしているようです。火種が燻り出していますのですぐに対処した方が良いかと」
まずは今回一番重要報告事項であった件を私は話し出す。
この件は王族であるエドワード様自らに動いて頂かないとどうしようもないものだった。
「は? 反乱の予兆だと? バカバカしい。そんなのは放っておけ。どうせ何も行動になど移すはずがない」
「ですが、ノランド辺境伯の人望の厚さは十分に脅威となります。先の戦の功労に対する王家の労いに対する不満が元のようですので、今からでもエドワード様がきちんと報いれば鎮火するのではないかと思います」
「ふんっ。そんな面倒なことを私はするつもりはない。マティルデとの時間が減ってしまうではないか。放っておけば良い」
「しかし……」
「くどいぞ。この話はこれで終わりだ。分かったな?」
「……承知しました」
何度も食い下がりながら深刻さを説明するも、結局エドワード様は「放っておけ」の一点張り。
最後まで意見を変えず、挙げ句の果てには側妃との時間の方が大切だと言い出す始末だ。
……どうしたものか。本当に頭が痛いな。
話を打ち切られてしまったからにはこれ以上この件を続けるわけにはいかず、続いて私は王都の治安悪化について報告する。
しかしこれも「放っておけ」の一言だ。
エドワード様の考えでは、放っておけばそのうちなんとかなるらしい。
今までもそうだっただろう?と言うが、それは裏で私たちが処理してきたからであって決して勝手に解決しているわけではなかった。
「ああ、そうだ、城下町で思い出した。そういえば私からロイドに頼みたいことがあった」
王都の話の流れでエドワード様は何かを思い出したらしく、おもむろに口を開く。
“頼みたいこと”という言葉を耳が拾い、嫌な予感に顔を顰めたくなった。
「実は人伝てに聞いたのだが、城下町に腕の良い平民の薬師がいるらしくてな。そこでアドレリンという貴重な薬草を煎じた疲労回復薬を手に入れてきてくれ。よく効くらしい」
「疲労回復薬、ですか? 何のためにお使いになるのです?」
「ふっ、もちろんマティルデとの子作りに今以上にもっと励むためだ。その疲労回復薬があれば無限に頑張れるらしいからな」
……ああ、本格的に頭が痛くなってきた。
国のことには無関心で全く耳を貸さないというのに、側妃とのことに関してだけは向上心があるらしい。
頼んだからなと念押しして命令され、呆れ返って何も言えない私は頷くしかなかった。
これ以上ここでエドワード様と話しているより執務室で仕事を進めた方がよっぽど効率的だと感じた私は、最後に王太子承認が必要な陳述書を差し出す。
本来なら説明してサインを貰うべきなのだが、端から説明など聞く気のないエドワード様の様子を見て、ただサインだけを貰うことにした。
サインすら文句を言いながら手を動かすエドワード様の側に黙って控え、終わり次第、私は早々とその場を去って執務室へと戻ったのだった。




